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glide







快晴の青空がかげり出したのは午後からだった。
天気予報もろくに見ていなかったせいで傘もない。
仕事と趣味の一区切りがついたところで降り出した大粒の雨は痛いくらいだった。
フードをかぶったくらいじゃしのぎ切れない雨に辟易しながら、歩く。
走るのは雨に負けたようで悔しかった。
薄暗い貸倉庫のような建物のひさしに辿り着いた頃には、コートの質量は倍以上に増していた。
トタンで出来た簡易倉庫の中からは雑音交じりのラジオが聞こえてくる。
しゃがれた声のパーソナリティが各地の天気を伝えていた。
ごごご、と遠くで地鳴りのような雷鳴が響いた。
トタン屋根をかんかんと雨が叩き、蒸し暑かった空気をしんと冷やしていく。
灰色の空を見上げる。毎年感じる既視感に心臓のまわりがちくりと痛んだ。


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お互いに無言なのは、余計なひとことからこの土砂降りの中乱闘まがいのことをするのが嫌なほどに体力が失われていたからだろう。
体育館の校庭側にある両引き戸の重たい扉の上にある小さな屋根の下。
コンクリートの1段だけの階段は、男がふたり腰かければもう空きはほとんどない。
ざああと大きな音を立てる雨は、体育館の中で部活動をする生徒たちの声をかき消した。
数分前までしていた蒸し暑い中での追いかけっこはこの夕立によって強制的に終了した。
暑さのせいか、今日はこれ以上いがみあうのも、濡れるのも、疲れてしまった。

「シズちゃん、もっとこっち座りなよ。濡れちゃってんじゃん、足元」

彼は背を向けて階段の端ぎりぎりのところに腰かけていた。
臨也がそう言うと、渋々と言った様子で腰をずらした。
ふたりで、校庭を見ながら雨をやり過ごす。

「どうせ夕立だし、すぐ止むよ。もう今日は君を怒らせるつもりもないし、そんな警戒しなくてもいいよ。」

雨音が激しさを増す。空気が冷えていく。帰り道は涼しいだろうことを素直に喜んだ。
また沈黙がおりる。彼と共にする話題なんてものは持ち合わせていないし、むりやりに話をしなければならないような関係でもない。
ちらりと視線を横に向ければ、ふてくされたような表情をした金髪が校庭を睨んでいた。そのうち、はぁと息を吐く音が聞こえ、ようやく警戒が意味をなさないことに気付いたのか手をうしろについて空を見上げた。
臨也は横目でそれを窺いながら見つからないように笑った。
折り曲げた膝の上に頬杖をついて、同じように空を見上げると灰色だった空はだんだんと明るさを取り戻しているようにも見えた。

(まだ、晴れないで欲しいなあ。)

いくら化け物であろうと、心の中まで覗けるわけはないのに、この気持ちがバレてしまわないように空から目線を外した。





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止む気配が一向に見えない空にため息をついた。
雨音にかき消されることもなく大音量のラジオが時折とどろく雷と張り合っている。
びしょ濡れになったコートから携帯電話を取り出す。特に目立った情報もない。ふう、と息を吐くとまた空を見上げる。
壁に寄り掛かってから、コートに汚れが付かないかどうか気になったが、それでも体を動かす気にはなれなかった。
ラジオからは交通情報を伝えるアナウンスが流れている。どこそこの高速が渋滞で、どこそこの道路が工事のため封鎖。それも特に必要のない情報だった。
アナウンスの声が止むと、小気味のいいアコースティックギターのタッピングが聞こえてきた。
その音が少し絞られてパーソナリティが曲紹介をするが、何と言っているのかまではよく聞こえなかった。ただ発売年が6、7年前だということだけわかった。
軽快なスケールとは裏腹にメロディには哀切さが漂う。ベースラインが壁を伝って体を揺らした。
アーティスト名も曲名にも覚えはなかった。



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濡れた金髪が少し乾いたのか、ふわふわと質量を増していた。
その髪にすこし触れてみたいと思った。ほんの一瞬。すぐに夕立にかき消される。
雨脚は相変わらず強い。
ふと、小さな声が聞こえてくる。途切れ途切れに耳に届く音は、旋律をなぞっているようだった。
それが、彼の声だということに気付くまで少し時間がかかった。
はじめて聞いた彼の歌声。歌声と呼ぶにはあまりにも拙いちいさな音の羅列だ。
自分が隣にいることなど忘れてしまったのだろうか、それほどまでに警戒を解いているとでもいうのだろうか。
臨也はやっぱりその髪に触れたいと、そう思った。

(i wanna be,)

そう繰り返すその曲に聞き覚えはなかった。単調なメロディ。山もなく谷もない。ただ繰り返すアイワナビー。
臨也は膝についていた腕をコンクリートへ下ろす。
シズちゃん、と声を出そうと思ったのと同時に、その歌は雨音に染み入るように止んでしまった。
宙に浮いてしまった言葉と腕とを抱えて、臨也は小さく舌打ちをした。




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その曲は単調なものだった。とてもじゃないが爆発的大ヒットだったわけがない。
それなのに耳に残るのはなぜだろう。夕立と相まって過る既視感。
気づくと空は明るさを取り戻していた。さっきまでなりを潜めていた蝉がちらほら泣き出す。
ざあざあがぽつぽつになり、やがて止んだ。髪をさらう風はひんやりとしている。
ラジオはいつの間にかニュース番組に切り替わっていた。
ひさしから顔をだし、空を窺うと雲間からは昼の勢いを取り戻した太陽がそれでも少し傾きながら見え隠れしている。
濡れた道路とコートだけが数分前までの土砂降りを証明しているようだった。
歩き出そうと、一歩踏み出すと、100メートル先でザリッと靴底がコンクリートを擦る音がした。
それには聞き覚えがあり過ぎた。

「こんなとこで何してんだてめえはよお」

「見てわからない?雨宿りだよ。シズちゃん」

どこから引っこ抜いてきたのか、道路標識を片手に仁王立ちする静雄がいた。

「本当にどっから嗅ぎ付けてきたの?もしかして雨の中はいつもみたいに鼻が効かないのかな?犬みたいだねえシズちゃん」

「うるせえ、さっさと、消え、ろっ」

びゅんと風を切って標識が飛んでくる。がしゃーんと大きな音を立ててコンクリートを抉ったそれは今度はカランカランと乾いた音を立てて転がる。。
それを合図に走り出す。傘をたたんだ人ごみをかき分けて走る。カーブで後ろを振り返ると、間近まで迫っていた静雄にフードをつかまれた。
咄嗟にナイフを取り出して喉元に突きつける。それが静雄に効かないことなんて重々承知だった。
十分な距離をとって改めて対峙したとき、ふいにあのメロディが脳裏を掠める。
そうだ、あの曲は、あのとき。

「シズちゃんがうたってた歌だ」

「ああ?」

誰の曲で、なんという曲かも知らないし、旋律さえも曖昧で、ついさっき耳にしたって思い出せなかったというのに。
はっきりと浮かぶのは、乾き始めたふわふわの金髪と、雨と静雄の横顔だった。
触れたいとはっきり自覚していたくせに、何年経っても何も変わっていない関係に反吐が出たし安堵もした。
結局。

「結局俺たちは何もわかり合えない。」

「…わかり、合いてえのかよ」

彼が好む曲は知らないが、嫌がる行為なら何通りも把握している。
だけど彼は自分が好きな曲は知らないだろうし、知りたいだなんて天地がひっくり返っても思わないのだろう。

「さあね。」

肩を竦めてみせてから、嘲笑った。

「君はどう?」

ナイフを持った手を静雄の方へ突き出す。静雄は臨戦態勢を少しだけ解いて、

「さあな。」

と言って同じように笑った。
背筋をぞくぞくっと這い上がる何かを感じて、ナイフを振るった。




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明るくなりはじめた空からはまだ、ぱたぱたと雨粒が不規則に落ちてくる。
彼は腰を上げて、帰る、とだけ言った。
それに臨也は何も答えず、後姿を見送った。
さっきまで彼が座っていたコンクリートの階段に手をつく。まだ少し温かい。

「i wanna be,」














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