シンシロ2 静雄は優しいし、まじめだ。 基本的には大人しいし、無駄に暴力を振るうタイプでもない。 「わりいな新羅、サンキュ」 礼儀も常識も持ち合わせてる。 僕や臨也なんかよりずっと真っ当だと思う。 「いいよ。こないだ置いてったシャツ出しておくから、きみは早くシャワー浴びちゃいなよ。」 血や泥で汚れた彼の制服を洗濯機に突っ込む。 ごうんごうん、と回りだした洗濯機の残り時間を確認しながら、このマンションを訪ねてきた静雄を思い浮かべる。 雨の中、一体何人を相手にしてきたのか、静雄の白いシャツは血に染まっていた。 それでも途中までは逃げていたそうだったが、相手が弟の学校の名前を出してきたので反撃に転じた。 彼はあんなにまで破壊的な暴力を持ちながら、誰にも迷惑をかけたくないと切に願っている。 血で汚れたシャツを母親に見せたくなくて、僕のマンションに来たのだ。 恐らく、今日の連中も臨也の差し金だろう。 臨也は静雄の力を手に入れたいのだ。 きっと静雄の力と臨也の能力がひとつになったら池袋はおろか東京全土が支配されかねないほどの勢力になる、と言っても過言ではない。 僕と臨也は、同じ種類の人間だと思う。 目的のための手段ならば選ばないし、自分と自分の愛する人以外が悲しもうが苦しもうがどうだっていい興味ない、と割り切れる。 だけど静雄は違う。 静雄は自分のせいで誰かが傷つくことを恐れる。それが結果として自分を傷つけることになると知っているから。 異形扱いされ続けてきた子どもは、こうして自分を守る方法を知り、孤立していった。 静雄に一度でもケンカをふっかけたことのあるものなら、彼には二度と近づかない。 それを瑞から目撃した者も同じく。そして人の口に戸は立てられず、うわさはどこまでも浸透してゆく。 コーヒーを淹れよう。とびきり濃くて目の覚めるような。 そう思ってリビングへ向かう。 手入れの行き届いたコーヒーメイカーのスイッチを居れてカップを用意する。 (静雄は牛乳の方がいいかな、) ポーと間抜けな声をコーヒーメイカーが上げたのと、ほぼ同時に、かたんと控えめな音を立てて静雄がリビングに現れる。 「シャツ、ありがとう」 「うん。あ、牛乳飲むかい?」 「ああ、」 がしがしと乱暴にタオルで濡れた金髪を拭う。 とても絵になるなあ、なんてことを考えながら冷えた牛乳をコップに注いだ。 「乾燥、まだかかるみたい。」 「ああ、悪いな」 ぐいっといっきに牛乳を飲み干してコップを置く。 意外と甘党な彼が飲むかどうかはわからなかったが、一応コーヒーをふたり分淹れる。 静雄の前にカップを差し出し、座るように促す。 程よく沈むグレイのソファは彼のお気に入りでもある。 「災難だったね。よりによって、こんな土砂降りの日に」 「まったくだ。」 「今日のも、臨也の差し金かい?」 「・・・あいつ以外にこんな手の込んだ嫌がらせをする輩がいるなら、まずそいつから殺してやりてえよ。」 「ハハハ、まったく臨也も懲りないね」 熱くなったコーヒーカップを両手で持ち、少しずつ嚥下する静雄は大型のくせに小動物みたいだ。 臨也の話をすると、だいたい吊り上がる眉毛が、やっぱり角度を上げた。 「あのヤロウは、何を考えていやがんのかサッパリわからねえ。こんなことして、何が楽しいんだ。」 ぶつぶつと、臨也への苛立ちスイッチが入った静雄は呟く。 ああ、カップが割れるから落ち着いて! それほどまでに臨也に対しては並々ならぬ思いを抱えている静雄。 だけど、そんな彼は、 「静雄は、臨也のことが嫌いかい?」 どう足掻いても、臨也を嫌いになることができないでいる。 「・・・・当たり前だ。」 「そう、だよね」 どんなに手酷い仕打ちを受けても、騙されても、静雄は臨也を心底憎むことができないでいるのだ。 臨也は静雄のことを化け物だという。 何をしても傷つかない、壊れないなんてことを本気で思ってる節がある。 そのせいで、どんな返り討ちに合っても臨也は静雄から離れることをしない。 する必要がないのだ。 静雄が自販機を投げようと標識を振り回そうと、臨也は避けられるし、反撃もできるし、そして、静雄の前から消えることがない。 静雄は真面目だ。 怒りの沸点が低く、圧倒的な力を持っているということ以外は至って大人しい名前通りの少年だ。 ローテーブルの上で振動する携帯。 ちらりと時計を見れば深夜1時。 こんな時間に電話を寄越す人間は限られる。 何人か検討をつけて携帯を覗けば、そこに表示されている名前に驚く。 「静雄?どうしたんだい、こんな時間に」 『新羅、うごかない』 「え?」 僕なんかは余裕で起きている時間帯ではあるが、静雄にとっては深夜は深夜だ。 そんな時間に彼から電話だなんて、常では有り得ない。 『うごかねえ、どう、どうしたら、』 電話の向こうの彼はどうやら外にいるらしかった。 ざわざわと風の音が聞こえる。 気が動転しているのか、内容は要領を得ない。 「静雄、落ち着いて?何がどうしたって?」 『殴った、ら、当たって』 「うん」 『う、うごかな、くなった』 「そこどこ?待ってて、すぐ行くから」 要するにケンカをして、殴ったら気絶してしまったということらしい。 なんだそんなこと、と言い捨てることができないのは、相手が受けたパンチを繰り出したのが静雄だからだ。 応急セットを抱えて、靴をつっかけると、ドアを飛び出す。 『がっこ、・・・校庭』 「わかった。いい?胸に耳を宛ててごらん?上下してたり心臓の音が聞こえればセーフだ。でも頭だけは動かさないで、くれぐれも」 『・・・』 静雄が電話越しに頷く気配がした。 全速力で走るが、数秒で体力がきれる。 学校までは徒歩で10分程度だ。 それまでに頭の中を整理する。 相手が死んでいた場合。 静雄は嫌がるだろうけど、臨也にでも頼んでうまいこと隠蔽できるかもしれない。 若しくは父親の権限をうまく利用することも考える。 ハァハァと息が切れ、膝に両手をついたところで校門に辿りついた。 「静雄!」 校庭の入り口の階段に静雄は座っていた。 その二段程したは砂地で、静雄の体にかぶって顔は見えないが、確かに横たわる男の足が見えた。 「しんら、」 静雄は顔だけで振り返ると、安堵の表情を浮かべる。 「新羅、生きてた。」 「え?」 「心臓、うごいてた。」 「・・・・・っ、良かったぁ〜」 良かったね、と静雄に笑いかける。 ようやく息も整って、静雄の横に腰掛けようと階段を下る。 「そっかそっか。でも、静雄の殴打を受けて生き延びたなんて運がいい。」 「いつもどおり避けると思ったのに、今日は、なんか、おかしかった、」 「いつもどおり?」 ふう、と息をついて静雄の横に座る。 さっきまで静雄の背中で隠れていた男の全貌が明らかになる。 まず目に入ったのは真っ赤なティーシャツ。 目が闇に慣れると、羽織っている学ランが見えた。 「いざ、や・・・・臨也!」 そこには頭から血を流して倒れる臨也の姿があった。 急いで脈をとり、傷の具合を見る。 素手で殴ったからか、傷口自体は大したことはなく、いつも通り消毒とガーゼで済んだ。 恐らくは軽い脳震盪で気を失ってるだけだろう。 静雄にそう告げる。 静雄はゆっくりと、息をついてから、綻びるように笑った。 「良かった、」 低い声でひとことそう言うと、立てた膝に顔を埋めてしまった。 泣いているのだろう、それは確信に近かった。 静雄の話によると、深夜、寝首をかこうと臨也が静雄宅に不法侵入したのが切欠だという。 そしていつもの追いかけっこが始まり、ここに辿りつき、今に至る。 臨也はまだ目を覚ましそうにない。 だというのに、臨也から2段階段を上がったところにふたりで腰掛け、どうでもいいことを話した。 セルティとの惚気話に、嫌な顔もせずに、かといって相槌を打つわけでもなく、静雄は静かに聴いていた。 時折、笑い声も漏れ、僕は静雄を慰めているんだなあ、とそのとき気づいた。 「ん・・・」 セルティの可憐さについての考察も佳境といったところで、臨也が身じろぐ。 そろそろ気づくかもしれない。 そう言うと静雄はそっと立ち上がった。 「起きたらまたうるせえから、先、帰るな」 静雄はポケットに手を突っ込んで、踵をかえした。 「夜中に悪かったな、新羅」 「静雄」 その後姿が、まだ悲しそうだったせいか、小さな声で呼びかける。 「この治療費は高くつくよ」 冗談交じりでそう言うと静雄は、 「おう、払ってやるよ、出世払いでな」 と振り向かずに手をひらひらと振った。 絵になるなあ、なんて場違いなことをまた思っていると、臨也が声を漏らす。 「しん、ら?」 「やぁ、臨也。おはよう。どうだい?静雄に殴られた気分は」 臨也は割れた額を押さえながら起き上がると、最悪だね、と鼻で笑った。 パンパンと砂を払うと、緩い動作で僕の隣に座った。 「いった、・・・ったく、手加減ってのを知らない・・・これだから化け物だっていうんだよ」 「そんな化け物に助けられたのはどこの誰だい?」 「ふん、新羅が居る時点で、呼んだのはシズちゃんだろうと察しはついたよ」 「まったく。いつかは死ぬよ?」 「どっちがだい?」 臨也は笑った。 片方だけ口角を吊り上げて、綺麗な顔をゆがめた。 僕もならって笑う。 「静雄は人間だよ。」 臨也は、はぁ?と心底不思議そうな顔をする。 「少なくとも、僕や、君よりは、れっきとした、真っ当な」 空には月が浮かんでいた。 満月より少し欠ける。 「人間だよ。」 僕はもう一度言った。 臨也にというよりは、独り言に近い。 臨也は、ふと一息ついてから腰を上げた。 「夜中に悪かったね、新羅」 「静雄とおんなじことを言うね」 僕も立ち上がって、臨也の横に並んで歩く。 臨也は罰の悪そうな顔した。それが少し可笑しい。 校門まで歩いて、分かれ道になる。 「それじゃあ、おやすみ。」 「ああ、おやすみ。また明日、ガーゼ交換するからね」 臨也は笑って、月を背に手を振った。 「治療費は弾むよ。出世払いだけどね」 そう言って、走り出す。 見えなくなった背中に僕はつぶやいた。 結局、どんなにいがみ合ったって、底の方ではつながっているんだ。 「静雄とおんなじことを言う。」 back - - - - - - - - - - |