ライン 1 ---- 朝起きてから朝食代わりに食べようと思って冷蔵庫に入れておいたはずのコンビニプリン128円の空容器が転がっていた。 状況がさっぱりわからなかったが、とにかくその朝のひとくちを昨日の夜からずっと楽しみにしていたことは確かだった静雄は、まだ覚めきらない頭で、ふつふつと怒りを感じていた。 コロンと転がった空容器、その側にはぺろんとビニールの蓋が落ちている。 「名前書いとかねえほうが、わりいだろ」 聞こえてきた声は、自分の声とまったく耳ざわりが同じだった。 「一人暮らしで名前書いてる方がおかしいじゃねえか」 あまりにも自然にフェードインしてきた声に、静雄は答えた。 「あー、それもそうか。」 その声の主はそう言って空の容器と蓋を拾い上げる。 腰を折って拾い上げたその手を追って、静雄の視線も上がった。 そこには、 「それなら悪かった。謝るわ」 そう言いながらも特に悪びれた風もない、静雄と寸分違わず同じ顔をした男が立っていた。 ---- 「だから謝ってんだろ?プリン食って悪かったよ。」 「・・・・」 「仕方ねえだろ?冷蔵庫開けたら牛乳とプリンと水しか入ってねえんだから。少しでも固形物食いてえなって思うだろ?」 「・・・・」 瓜二つなんて言葉では足りないほどに静雄に似ているその男は、真っ白なスーツと、目にも鮮やかなショッキングピンクのシャツを着て、静雄の前に座った。 静雄の部屋は一般的なワンルームだ。 フローリングに安物のラグを敷いて、その上に小ぶりなローテーブルが配置されている。 いつも静雄が座る位置の後ろはすぐパイプベッドが置かれ、真正面にはテレビがある。左手には窓、右手には簡易キッチンやユニットバス。 控えめに声を出すテレビを遮るように男は座っている。 「なあ、まだ怒ってんのか?」 ショッキングピンクの男は、うかがうように首を傾げた。 幼稚なしぐさを、自分と同じ顔でするのに静雄はだいぶ居た堪れない。 朝、それと対面してから静雄はこれが夢なのか現なのかわからないでいた。 まるっきり同じ顔の人間が部屋にいる。 悪い夢だ夢なら覚めろと何度も念じたが、未だにその男は静雄の目の前に存在している。 そのショッキングピンクの男は、デリックと名乗った。 「あんた、誰なんだ」 「だからデリックだって」 名前を聞いているわけではなかったが静雄はそれ以上言葉が出なかった。 その代わり何度か目を瞬かせる。 眉間をつまんでみる。思い切って一度目を閉じてみたりもした。 「んなことしたって消えねえよ。」 からからと笑ってデリックは言った。 「オレはあなたなんだぜ?マスター」 ---- 『目が、チカチカする』 セルティは静雄に会うなりそう言った。 「見えるのか」 静雄が問うと、漆黒のライダーはヘルメットを上下に動かす。 いったいどういう存在で何が目的なのか、デリックに聞きたいことは山のようにあったが静雄はひとまず仕事へ出かけた。 その先々にデリックはついて回ったが、上司も客も道行く人々も特に何も言わないし、奇異な目で見ることもなかった。 つまり見えていないのだ、と静雄が気づいたのは仕事が終わったついさっきのことだ。 夕暮れの公園で偶然会ったセルティに声をかけると早々にチカチカすると言われた。 『静雄がコスプレでもしているのかと思った』 「似てるよな」 『似てるなんていうレベルじゃない。双子というか、同一人物というか、ド、ドッペル』 セルティはそこまでPDAを打つと身震いをして、文字を消去した。 『な、なんでもない。とにかく、そいつは一体誰なんだ。』 「俺にもわかんねえ。朝起きたら居たんだ。ほかの奴には見えねえみてえだし、悪さするわけでもねえし、」 チラリとデリックを見ると、にかっと爽やかにほほ笑まれる。 よく笑うやつだ、と思う。 自分と同じ顔の笑顔を客観的に見るという体験は写真以外でははじめてだなあと静雄はぼんやりと思った。 写真でさえもほとんど笑ってる顔など残っていないに近い。 見惚れるというわけではないが、不思議な気持ちになってつい眺めてしまう。 何かあったら相談に乗るぞ、と言うセルティと別れた後、静雄は池袋の街をぶらぶらと歩いた。 宛はとくにないが、真っ直ぐ家に帰る気もなかった。 交差点、赤信号。 通行人は静雄には気づいて道をあけるが、そのうしろに連れ立つ同じ顔の派手な男には一切目線をくれない。 「やっぱ、見えねえんだな」 車両用の信号が明滅を始めるのをぼんやりと眺めながら、静雄は言った。 「おまえ、なんなんだ。何しにきた。」 周りにしてみれば独り言を言っているようにしか見えないのだろうが、遠巻きにされることには慣れきっている。 「オレは、オレはさ、マスター」 デリックは少し俯いた。鼻の頭を掻いて言った。 「願いごとを、叶えに来たんだ。」 ---- デリックには静雄の願いごとを三つだけ叶える力があるという。 それが果たされれば他の人間と同じように、静雄にもデリックが見えなくなる。つまり、消える、ということなんだろうと静雄は理解した。 シャワーを浴びて部屋着に着替えた静雄は、ベッドに寄り掛かってテレビを見るデリックに視線を送る。 (願いごと、か) とくに疑うことはしなかった。 デリックが悪人には見えなかったからだ。 自分と同じ顔の人間をないがしろにはできなかっただけかもしれない。 聞けばデリックには自分のような馬鹿みたいな力はないらしい。 うらやましいと静雄は心底思った。 そして、自分の願いごとなんて昔からひとつしかないと嘲笑を浮かべた。 「静雄」 気づけば牛乳を取り出そうと冷蔵庫を開け放していた。 「そんなに、プリン食いたかったのか」 デリックは何を勘違いしたのか、静雄が今朝のプリンに胸を痛めていると思ったらしい。 えらく神妙な面持ちでデリックは静雄の肩に手を置く。 「わかった。出してやるよ、プリン」 「え」 「あ、毎朝プリン1個っていう願いごとはどうだ?」 オレが消えるまで、だけど、とデリックは笑った。 その願いごとは静雄にとってとても魅力的だったので、たった一日程度の付き合いでもこいつが消えるのは少しさみしい気もするなんてことを思いながら、小さくうなずいた。 「よし!」 デリックは指をぱちんと鳴らした。 一瞬、小さなワンルームが白一色の線画のような世界に変貌してしまう。 デリックのショッキングピンクだけが鮮やかだった。 鳴らした指先からきらきらと星が飛び散って床に跳ねた。 耳を覆いっぱなしのヘッドフォンが重低音を響かせてうねる。 と思った次の瞬間には、なんの変哲もない静雄の部屋に戻っていた。 静雄は見開いた目を閉じられずにデリックを見つめた。 デリックは不敵な笑みを作ると、 「明日、楽しみにしとけよ」 と言った。 静雄は、どうせなら俺とおまえのぶん、毎朝ふたつ出してもらえるようにすれば良かったと少し後悔した。 next back - - - - - - - - - - |