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マイハートハードピンチ3









なんでこんなことになった?
答えは簡単だった。

(新羅のやつ…)

静雄は慣れない道のりを歩きながら舌打ちをした。
道のりもそうだったが、うしろから従順についてくる黒ずくめの男がいちばんの違和感だった。

「臨也は自分の家もわからないんだ。もしかしたら住み慣れた部屋へ戻れば何か思い出すかもしれない。ね、静雄」

にっこりとほほ笑んだ新羅の顔が浮かんで、静雄のこめかみに青筋を立てさせた。

「いちばんの仲良しだった君が臨也を家に送っていくのがいいと思うよ。僕はこれから仕事が入ってるし、道すがら積もる話もあるだろう?」

背中をぐいぐい押されて新羅の家を追い出され、何もわからないという臨也を放り出せるほど静雄は冷徹にはなれなかった。
電車に乗り、新宿駅に着いたはいいが、臨也のマンションなど数回しか訪れたことがないせいで、何度か道に迷う。
もちろん会話などはほとんどない。
何せまともな会話を交わした覚えがほぼないに等しい関係だ。
静雄は頭を抱えたくなった。

「さっきから、同じところを回ってる気がするんだけど、」

臨也が後ろから控えめに言った。

「もしかして、えっと」

いつもの臨也からは考えられない物言いに、静雄はまだ慣れない。

(もしかして道に迷っちゃったのかなあ?シズちゃん。このままぐるぐる回りに回って溶けてバターにでもなってくれたら世界は平和なのにねえ。)

ふと臨也が言いそうなセリフが脳内に掠めて、静雄はイラつくのと同時に少しの居心地の良さを感じた頭をぶんぶんと振った。
それでも歩みは止めずに、ずんずんと大股で道を進む。臨也はそれに早歩きでついてくる。
ついにまったく見覚えのない道にたどり着き、途方に暮れた。
ぴたりと立ち止まった静雄を、おそるおそる臨也が覗き込む。

「ま、迷った?」

「迷った」

「そ、か。…どうしよっか」

「おう」

「あ、あそこで、ちょっと休憩しようか?」

臨也は通り向かいにある喫茶店を指さす。
小一時間歩き続けて確かに疲れた。
静雄はそう思って、こくりと頷いた。


店内はがらんとしていたのに、よりによってガラス張りの外からいちばん目立つ席を陣取ってしまった。
それでも殺風景な店内の内装や、臨也(仮)の顔だけを見ているより外の景色を眺めた方が落ち着くだろうと静雄は判断したのだった。
アイスコーヒーをふたつ注文してから、静雄は新羅の携帯にコールする。
何コール鳴っても相手は電話に出なかった。
苛立ちで携帯を粉々にする寸前でコーヒーが運ばれてきたおかげで事なきを得る。

「あの、さ。静雄くんは、俺の家に来たことは、あるんだよね?」

静雄は口に含んだコーヒーを思わず吹き出しそうになるのをおさえた。

「だ、だいじょうぶ?」

ナプキンを差し出す臨也をまじまじと見つめてしまう。
こいつは本当に臨也じゃないんだ、と実感した。
静雄くん。
ぞわっと鳥肌が尋常じゃないくらいに立った。
静雄は自分の両腕をさすりながら応える。

「行ったことは、何度かある」

「そう、どうしようか。わからないんじゃ仕方ないよね。」

しょんぼり、という効果音が聞こえてきそうなほどにわかりやすく項垂れた臨也に、素直にわりぃと謝罪する。

「あ、いや、いいんだよ。」

「新羅に繋がれば、わかると思う」

「そうだね」

ちらりとテーブルに置いた携帯をふたりで見る。
着信を知らせるランプは点灯しない。
静雄はため息を吐いた。
どうしてこんな状況になったんだ。
新羅への電波は永久に届かない気さえした。
このままワケのわからない臨也(仮)といっしょに永遠に苦いコーヒーを飲み続ける図を思い浮かべて、静雄の体はさらに粟立った。
ふと、臨也(仮)を見ると、彼もこの世の終わりのような顔をしていた。

(いちばん困ってんのは、こいつだよな)

静雄は少し同情してしまう。
自分が誰なのかもわからない。家もわからない。頼った人間は役立たず。
そりゃ悲壮感も漂うだろう。
なにひとつわからず、何も信用できない不安とはいったいどれほどのものだろう。

「悪かったな、」

「え?」

「なんか、役に、立てなくて」

「そんなことないよ。少しでも俺を知ってる人がそばにいてくれて、心強いよ。」

臨也(仮)は力なくほほ笑んだ。
その整った表情には魔力がある。
(仮)のために、どうにか部屋くらいには連れて行ってやりたいと静雄は思う。
とにかく道順を思い出そう、そう思って窓の外へ目をやると、これでもかというくらいに目を見開いて口をあんぐり開けている、波江と目が合った。
擬音をつけるとしたら、ギョ、だ。

「あ、」

静雄は席を立ち、身振りで隣に座る(仮)を指す。
波江は表情はそのまま、静雄から臨也へ目線を移すと、ぺこりと会釈した臨也にさらに瞠目した。
ことの重大さに気付いたのか波江は、ぎょの顔のまま店内に勢いよく入ってくる。

「なんの冗談?」

「いや」

「池袋でやった方が話題になるわよ。」

「違うんだ、その」

波江はふたりの前で仁王立ちで言い放つ。

「なんでそいつは黙ってるのよ。気味が悪い。」

「し、静雄くん、彼女は…?」

臨也が助けを求めるように静雄を見ると、波江はこれ以上開かないというくらいに口と目を開けた。
美人が台無しだな、と静雄は見当違いなことを思う。

「エイプリルフールなら、とっくに終わったわよ」

波江は動揺している様子もなく、空いている席に腰を下ろした。

「いや、今、こいつのマンションへ向かってる途中で、」

「逆方向よ」

波江はばっさりと言い捨てる。
静雄はそれに少し落胆しながらも、状況をたどたどしく語る。

「あ、あの、昨日こいつが熱出したらしくて、新羅のとこに来て」

「闇医者ね」

「それで、朝起きたら、こうなってたらしくて」

「こうって?」

「こうって、その、記憶が」

「記憶が?」

「記憶がないらしくて」

「…はぁ?」

少しの間をおいて波江が間の抜けた声を上げた。

「それで家に帰れば何か思い出すかもしんねえって、向かってた途中だったんすけど、」

「道に迷ったのね。だってありえないもの。あのマンションに向かっててここに居るなんて地理的にありえないものね。」

「はあ」

静雄にとっては致命的な言葉を遠慮なく吐いて波江は、臨也をまじまじと見る。
上から下まで観察して、はぁとため息を吐いた。

「そのおどおどとした目線、丸まった背中、平和島静雄に対する態度等を総合的に見ても、演技しているようには見えないわね。これで嘘だったら、ハリウッドにでも行けるわ。」

そして波江はバッグから手帳を出すと、後ろのページを一枚破いて、そこに地図を描き始めた。

「良かったじゃない。このまま記憶が戻らなければ、日本は平和だわ。あなたにとってもそうじゃないの?」

ぴら、とメモを静雄に向かって差し出す。
静雄はそれを受け取るが、一緒に投げられた言葉を理解するのに時間がかかった。
このまま臨也の記憶が戻らない。
そうするとどうなるのだろうか。

「マンションまでの道順よ。わかるわね?」

「…じー、えす」

「ガソリンスタンドよ。」

健闘を祈るわ、と言って波江は店を出て行ってしまった。

「し、静雄くん、誰だったの?あのひと…」

臨也は、窓の外を肩で風を切って通り過ぎていく波江を目で追いながら問う。

「あ、ああ、よく知らねえけど、おまえが雇ってるひとだ」

「俺が雇ってるの?あのひとを?」

臨也は信じられないという顔をして、小さくなった波江の後姿を見ていた。
静雄は地図に目を落としながら、まだ波江に言われた言葉を考えていた。









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