one time 03 「シズちゃん、デートしよう。」 結局、あの日の放課後、残された僕と門田くんはつつがなく課題を終わらせた。 静雄の分も書き足して、その日のうちに提出までした。 それについて、ふたりから何らかのお礼なんてものは別に求めていたわけじゃないけれど、皮肉のひとつも言いたくなる。 それだと言うのに、臨也は朝から一度も姿が見えなかった。 門田くんに聞けば、登校はしているらしいとのことだった。 静雄は別段変わった風もなく、昨日のケンカは無事に終了したんだと思った。 4限が終わってすぐに僕たちの教室の後ろの扉から異質なほど美形な黒ずくめの男が顔を覗かせていた。 すぐにズカズカと教室に入り込み、迷惑を被った僕を素通りして、静雄の前に立つと臨也は言った。 「デートって臨也くん?君ね、」 ケンカを始める前に僕に言うことはないのかい?とメガネを押し上げながら僕はため息を吐いた。 「ああ、新羅。俺たち付き合うことになったから。君には報告しておかないとね。」 「…は?」 たっぷりと間を開けて問い返した僕は相当な間抜け面をしていたはずだ。 「というわけでシズちゃんデートしよう。どこに行きたい?」 「…別に、行きてえとこなんかねえよ」 いやいやいやいや、何ふつうに返してるんだい静雄、と突っ込みを入れたい衝動に駆られ静雄を見れば、特に怒っている様子もない。 これは一体どういうことだ。 「俺は映画なんかがいいと思うんだけど、残念ながらそっちの情報には明るくなくてね。あ、新羅なんかおすすめとかある?」 「え、いや、」 「シズちゃんはばりばりアクション系とか好きそうだよねえ。」 「そうでもねえ」 「そうなの?じゃあ恋愛系とかも見たりする?記念すべき初デートなんだし、やっぱり記憶に残るストーリーの方がいいよね。」 僕だけを置いてけぼりにしたまま、ふたりの会話は続く。 静雄は素知らぬ顔で頬杖をついている。 その正面に立って臨也は携帯で映画情報なんかを調べているのだろうか。 僕は静雄とは小学校からの付き合いだ。 臨也とは中学校の3年間を過ごした。 だから今このふたりに詳細な説明を求めたところで返ってくる返答は既に発言された「付き合っている」という言葉だけだということもわかる。 それにしたって昨日の今日だ。 事のあらましが気にならないと言えばうそになる。 「じゃあ、あとは調べておくよ。放課後ここで待っててくれる?」 「おう」 臨也はいかにも当たり前のような雰囲気で、静雄の前髪をさらりと掬った。 静雄もそれに嫌な顔もせず、されるがままだ。 その場面を目撃したクラスの一部も青ざめた顔をしていた。 それじゃ、と言って臨也は爽やかに教室をあとにした。 「し、静雄。」 「なんだよ。」 「今の、は」 「そのままの意味だ」 「そのままって、君たち」 付き合ってるんだとよ、と静雄は笑った。 それは表情のレパートリーの少ない彼の中で初めて見るような自嘲の笑みだった。 「わかってる。」 静雄は一言そう言った。 「あいつの遊びに、付き合ってやってるだけだ。別に、」 俺は傷つかねえよ、そう言って静雄は窓の外へ視線を投げた。 僕は、まだたくさん聞きたいこともあったけれど、まさに言葉を失ってしまった。 ---- (だいたい3億人が全員泣くはずがないんだ、) 全米が泣いた、お馴染みのキャッチコピーに踊らされてこの映画館に集まった馬鹿な愛すべき人間たちに笑みがこぼれる。 映画館の客の入りはまずまずだった。 飲み物だけ買って、真ん中のいちばんいい席に陣取る。 昨日まで天敵だった相手と仲良く映画鑑賞だなんてほんとうになんておもしろいんだろう。 この映画に興味なんてものは一切なかった。 ただ手頃だと思った。 恋人同士の初デート。映画館。そして泣ける恋愛映画。 定石中の定石だろう。 その証拠に館内のカップル率の高さと言ったら。 皆必要以上にひっついて、指をからませて映画を見ている。 物語も佳境というところだろうか。 正直なにひとつ感想が抱けない。 そこかしこで鼻をすする音が聞こえる。 (こんなことで涙を流せるなんて、) 本当に人間はおもしろいなあなんてことを考える。 スクリーンでは瀕死の女優が、息も絶え絶えに愛の告白をしている。 (死ぬ間際に他人のことなんて考える余裕があるわけがないのにね、) 女優は最後の力をふりしぼって指先を恋人の指に絡める。 館内では押し殺した嗚咽がひしめき合う。異様な空間だ。 ふと、となりの化け物がどうしているのか気になった。 ちらりと横目で彼をうかがう。 「…、」 照明の落とされた映画館の中、スクリーンの青白い光を浴びたシズちゃんは、静かにひとつぶ涙をこぼした。 その姿に目を奪われる。 シズちゃんはシートにだらりともたれて、首を少し横に傾げながら、長い脚を投げ出して、泣いている。 ただ、涙は最初に見たひとつぶしか流れなかった。 そのひとつぶが頬を伝って、唇を経由して顎先から落ちる前に、無意識に手を伸ばした。 「っ」 驚いたように、俺を見るシズちゃんの目はうっすらと水の膜を張っている。 俺は人差し指を自分の唇に当ててシィと息を漏らす。 そして涙を拭った手のひらで頬を覆い、体ごと近づいた。 「いざ、」 小さな抗議の声を遮るようにキスをした。 触れるだけの幼い唇をすぐに離して、スクリーンに目を向けた。 感動的な音楽が流れ、画面は暗転した。 エンドロールが始まるっても客席を立つ者はいなかった。 無性に腹が立った。 やたらに長いエンドロールにも。 席を立たずに寄り添う恋人たちにも。 隣で泣く化け物にも。操作できない自分の感情にも。 next back - - - - - - - - - - |