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one time 01










確かにそれは、名前をつけるには不確か過ぎて、
首肯するには幼過ぎた。
胸の裡にすとんと躊躇いもなく咀嚼するためには、時間の流れというまるで実体のない曖昧なものに頼るほかなかった。
だけど、それが偽りだなんてこと、誰が言えるというんだろう。









桜が最後の花びらを散らす風が吹いた5月。
教室の黒板には大きく「自習」の文字が書かれている。

「静雄、どう?」

「ん、」

グループ課題と称されたそれは、4人1組になってある題材について調べレポートとして提出するというものだった。
静雄と僕は同じグループになったが他の2人が決まらない。
当然だ。誰も僕たちと課題をやろうなんて気にはならないだろう。
特例ということで召集されたのが、同じ授業をしていた隣のクラスのこの2人だった。

「シズちゃんが終わらないと、こっち進まないんだけどなあ」

素知らぬ顔で窓の外を眺めながら、折原臨也はニヤリと口角を歪めた。
隣の席で門田が盛大なため息を吐く。

「うるせえ」

静雄はそれだけ言うと、文献に目線を戻した。
それはあまりにも珍しいことだ。
臨也と静雄は目が合えば殴り合い、お互いに馬鹿馬鹿しくなるまで追いかけっこを続ける関係だった。
だいたい口火を切るのは臨也の方で、悪意のこもった嫌味を並べて静雄を激昂させるのが大の得意だ。
その誘い文句とも取れる言葉にキレない静雄を久しぶりに見たように思う。

「へえ、怒らないんだねシズちゃん」

「うるせえ黙れ」

「いつもだったら殴りかかってるとこだろう?どうしたの?クラスメイトに気でも使っているのかな?」

「黙れっつってるだろ」

氷よりも冷えた低い声で静雄は言った。
その視線は文献の文字を追っている。

「臨也、黙った方が身のためだよ。口を動かす前に手と頭、動かしなよ。」

にっこり笑いながら僕が窘めると臨也はつまらなそうに口を尖らせて、わかってますよと言って肩を竦めた。
静雄はクラスメイトの誰よりも真剣にこの課題に取り組んでいる。
それは彼が真面目だからという理由だけではなく。単純に、終わらせたいのだ。
この環境を。

結局、授業時間いっぱいを費やしても課題は終わらなかった。
臨也が何度もちゃちゃを入れたせいもあるし、僕や門田くんに静雄ほどのやる気がなかったせいもある。
提出期限は明日の朝いちだったため、その日の放課後も課題に費やすはめになった。
一番不満を口にしたのは、珍しく僕だけだった。

「早く帰ってセルティに会いたいのに。」

僕がぼそっと呟くと、静雄はもっと小さな声でわりぃな、と言った。
静雄を責める気など微塵もなかったので戸惑ったが、否定する前に静雄は行ってしまった。

図書室で30分程集中すると、ジュース買ってくると門田くんが席を立った。

「俺はミルクティーでいいよドタチン」

「おお」

当たり前のように臨也が注文する。
静雄は聞こえていないのか、顔を上げることもしなかった。
僕も集中力が切れかけていたところだったので、席を立った。

「僕も行くよ。静雄、何か飲む?」

「なんでもいい」

静雄はやっぱり顔を上げることもしないで、そう言った。
甘党の彼に、とびきり甘いものを買ってきてやろうと僕は思った。


「静雄って、勉強好きなんだな」

門田くんが、自販機がある棟へと向かう渡り廊下で言った。

「うーん、別に嫌いではないだろうけど、今日のは違う理由だと思うよ。」

「違う理由?」

「長いこと臨也と居たくないんだろう、同じ空間に」

「ああ、そういう」

びゅう、と強い風が鳴った。
花びらがひとひら舞う。
春が終わるんだなあ、とぼんやり思った。

「クラスメイトは静雄と同じグループになるを嫌がった。そのせいで臨也と一緒に課題をやらなくちゃいけなくなった。もし臨也の挑発に乗ってしまったら、クラスメイトが正しいことになるだろう?だから静雄は怒りを我慢してる。だけどそれが長続きしないことも知ってる。だから、早く終わらせたいんだろうね。」

自販機の前に立って、財布を取り出す。
先に門田くんが小銭を入れてボタンを押した。
微糖の缶コーヒーだ。

「静雄は、」

もう一度ちゃりんと小銭を入れた門田くんは、妙に神妙な顔をして呟いた。
ピッと無機質な音がした後、がこんと大げさな音を立ててホットのミルクティーが落ちてくる。

「静雄は、自分がいちばん悪いと思ってるんだな」

そのミルクティーを拾い上げて門田くんは言った。
僕は、そうだねと言ってお金を自販機に入れる。
ココアを選んでボタンを押した。

「静雄は、自分がいちばん」

次にブラックコーヒーを選んで、僕は小さな声を出した。

静雄は、自分がいちばん、嫌い、なんだ。






「つまんないなぁ。」

臨也はこれ見よがしに呟いた。
視線は目の前のレポート用紙に落としたままだったから、どんな身振り手振りをしているかはわからなかったが、何をしても腹が立つのは変わりない。

「こんな課題、ひとりでやった方が早いと思わない?わざわざ分担してまで調べることじゃない。そうだろシズちゃん。」

「そうかよ」

一言ぶっきらぼうに答えた。
早く新羅と門田が帰ってくればいいと思った。
こいつを黙らせて欲しい。

「ねえシズちゃん、どうしてそんなに真剣にやってるの?早く終わらせたい理由でもあるのかなあ?」

「当たり前だろ、明日提出なんだから。」

「ほんとうにそれだけ?そんなに根詰めなくても、あと1時間もあれば終わる課題じゃない。」

「うるせえな、てめえが喋らなかったらもっと早く終わる」

「俺は終わらせたくないなあ。シズちゃんとこうして机を挟んで向かい合うシチュエーションなんてなかなかないし」

「じゃあてめえはずっとそうしてろよ」

臨也はふん、と鼻をならして、つまんないなあと言った。
そしてカタンと立ち上がる音がしたかと思ったら、ふわりと甘い香りがすぐ近くで香った。

「つれないなあ、シズちゃん」

声に顔を上げれば、机に頬杖をついた臨也で視界が埋まるほど近づいていた。
さぁっと開けたままにしてあった窓から春風が舞って、カーテンを揺らした。
さらりと臨也の漆黒の前髪が波打つ。

「シズちゃん、まつ毛、長いんだねえ」

臨也がそう言って左手の人差し指で頬に触れた。
その指はするりと頬を撫で上げ瞼に触れる。
まつ毛を押し上げられて、なぜこんなことを許しているのかわからなくなった。
それでも怒り出せないのは、変なプライドのせいだと思い込んだ。
力なく臨也の左手を振り払って、レポートに目を落とした。
うまく字が追えない。あと少しだというのに。

「シズちゃん、」

必要以上に優しい声音で臨也は囁く。

「シズちゃん」

その声は驚くほどの速さで全身を駆け回った。
心臓が自分のものではないかのように激しく脈打つ。

「ねえ、シズちゃん、なんとか言ってよ」

いつもみたいにさあ、と臨也が俯いた顔を覗き込んだ。
バチンと目が合う。
その瞬間、臨也の顔が今まで見たこともないような顔に変化した。
普段の人を馬鹿にしたような嫌味な笑いが、心底わけがわからない、というような驚き、動揺とも取れれる表情に変わる。

「・・・っ」

その臨也の表情によって、今自分の顔がどんなに酷いものなのかを痛感させられる。
居ても立ってもいられなくなり、勢いよく立ち上がった。
そのせいで、ばたんと大げさな音を立てて座っていた椅子が倒れた。
腕で顔を隠すのを忘れずに、そのままそこから走った。
図書室の扉を蹴り壊すことをなんとか抑えて、手で引き戸を開けたが力の加減ができずに物凄い音がした。
そんなことを気に掛ける余裕もなかった。
あと数行で終わるレポートのことも思い出せなかった。



僕たちが図書室に戻ると、その扉はほぼ崩壊していた。
門田くんが無理やり引いて一応閉まるくらいに、扉は変形してひしゃげていた。
席には、臨也が立ったまま居た。
それだけなら、何が起きたのかは一目瞭然だった。
恐らく臨也が静雄をついに怒らせて、乱闘になる前に静雄が退出したのだろうと察しがついた。
しかし臨也は呆然というような表情で立ち尽くしていた。
そんな臨也は稀だった。

「臨也?どうしたの?」

「おい、静雄は?」

僕と門田くんに質問されても、臨也は表情を変えなかった。
そのまま顎に手をあてて何かを考えているようだ。
静雄の座っていた椅子は倒れていた。
レポート用紙を覗くと、それはほとんど完成と言ってもいいほどだった。

「ねえ新羅」

不意に臨也が言った。

「シズちゃんってさあ、もしかして」

臨也は窓の方を見ている。
カーテンが乱れている。さっきの春風が図書室にも吹いたんだろう。

「俺のこと、嫌いでは、ないんだねえ」

門田くんが何言ってんだ?と首を傾げた。
僕には心当たりがありすぎた。
だけどそれを顔に出すほど臨也には優しくできなかった。

「知らないよ。」

僕はそう言うと、静雄が倒したであろう椅子を起こす。

「そう、」

臨也は口角を上げて笑った。

「君はほんとうに性格が悪い。」

僕は臨也の既に終わっているレポート用紙に目をやりながら言った。







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