過記憶




まだ裏の仕事に慣れていない時だった

依頼は果たしたが、ひどい怪我を負って歩く

それでも流れる血は、容赦なくその幼い身体から体力を奪う




雨の日だった

血の跡は洗い流され好都合だが、意識が朦朧としてくる




頬に固い感触

そこでようやく倒れたのだと分かった

寒い

眠い




このまま意識を手放しては駄目だと分かっていた

早く止血しなければ死に至る

冷静に判断している自分がいた

それに反して身体はぴくりとも動こうとしない




閉じていく瞼

遠くで誰かが呼んでる気がした



◆◆◆◆◆◆◆◆




「…っ」



がばっと体を起こす

その瞬間身体中が悲鳴を上げた

それを無視して辺りを見回す




どこにでもありそうなアパートの一室

少し散らかったその部屋の壁際のベッドに結はいた

人の気配は奥に一つ




辺りに注意を払いながら、自分の身体を見下ろす

怪我は手当てされていて、お世辞にも上手いとは言えない包帯の巻き方から見て、素人の手によるものだ




暫くは依頼を受けられそうにない

怪我の具合を確かめながら、そんなことを思った



『あっ、起きた?』



奥にいた気配が近付いてきた

現れたのは男

整った顔で笑う



『君ね、道で倒れてたんだよ?覚えてる?』



明るく笑う青年からは敵意や殺気は感じられない

(敵と…ちゃうか)

それでも警戒は怠らない



『えっと、言ってること分かる?あー、イタリア語、話せるかな?』



反応を示さない結に、青年は困ったように笑った




それからも青年は甲斐甲斐しく世話をした

結は一言も話さなかったが、青年は嫌な顔一つせずに話しかけた




結は人を信用しない

それが幼い頃からの経験で培われた、自己防衛手段だった



『ほらこれ、オレが淹れたコーヒー。…ってちょっと早いか』



苦笑する彼の手からカップを取る

毒への耐性はついているから、飲食物にはさほど警戒はしない




香りからは変な匂いはしないし、色も正常

一口だけ口に含み、味にも怪しいところはなかった

ようやくゆっくりと飲む

それを見て青年はへらっと笑った




ある日には機嫌よく結に近寄った

比較的怪我の少ない右の手首に、皮のブレスレットをつける



『はやく怪我が治りますように。願掛け』


結を見上げ、無邪気に笑った




別の日にはひどく疲れたような顔をしていた

じっと見つめていると、彼は苦笑する



『ちょっとね、ドジやって怒られちゃった。オレも好きでドジに生まれついたんじゃ、ないんだけどなあ』



肩を落として笑う青年

確かにドジはこの青年の特徴だ

別にどうでもいいが、コーヒーを頭からかけられそうになったときは流石に焦った



『君、言葉分かんないみたいだからさ、話しやすいよ。だけど、いつまでもここに住まわせる訳にもいかないよなあ』



結を見る青年の瞳は、いつからか辛そうになっていた




怪我が完治した日

青年は心から喜んでくれた

同時に、何かを決意したような顔をしていた

ベッドに座る結の前にしゃがみ、いつもと違って少し怖い顔をする



『出ていけ』



ぶつけられた冷たい言葉



『分かるか?ゴーアウト』



それに初めて微笑みを見せる

そんな事いってるけど

せっかく怖い顔作ってたけど

情けない顔じゃ台無しだ




青年は結の微笑に詰まるが、ぐっと耐えて扉を指した

例え言葉が分からなかったとしても、そこまでされれば分かる

結は扉に向かって歩き出した




扉を出る直前

くるっと振り返る



『手当て、ありがとう。仕事頑張って』



突然紡がれたイタリア語に、青年は瞠目する



『それから…コーヒーおいしかった。さようなら』



何か言いかける青年との間を無理やり遮るように、扉を閉めた

自宅に向かって歩く




あんな人もいるのだと知った

見返りを求めることなく、与えるだけの人もいるのだと




右手首をこするブレスレット

それを一度撫でると、依頼を受けるために携帯を取り出した



◆◆◆◆◆◆◆◆




彼が経営する店を見つけたのは数ヶ月前

彼は結が手当てした少女だと気付いていないようだった

それでも良かった




怪我を負ったあたしを助けてくれた命の恩人に

疑うことしか知らなかったあたしに、損得抜きに動く人もいることを教えてくれたあなたに

ただ恩を返したい




そして結はその店の店員になった



『ああっ、また食器割っちゃった…』



『ほんと店長はドジなんですから…。まあ、それも店長の良い所ですよ』



日常を得た気がした







20100307

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