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『そういう話なら、わたしはもう気軽に近づくのやめとくよ』

電話口からの彼女のその一言で、俺は急に気分が落ち込んでしまった。ただ、日常のほんの1ページに少し話を盛って話してみただけだった。
俺にも、尽八に負けず劣らずファンクラブがあるんだぜ。その中のひとりの女の子がなかなか俺にご執心みたいで、告白されたけど返事はまだしてないんだ。
なんて。自慢するつもりもなくて、どちらかといえばちょっとヤキモチなんて焼いてくれたら嬉しいなという気分で。口にしたことに嘘はない、事実だ。
なのに、そんなことを言われてしまうなんて。黙る俺に反して、登は言葉を続ける。

『どうするのか、返事は早めに返してあげるものだよ。じゃあ、そろそろ切るよ』

「ちょっと、待って」

相手の姿は見えないというのに、何故か俺の手は前へ伸びて引き止めるようになにもない空を掴んだ。さらりとしていたはずの掌は少しだけ汗ばんでいて、自身に驚きつつも苦笑する。

『ん、どうしたの。明日の宿題なら数学だけだよ』

「うん、そうだよな……いや、そうじゃなくてね」

親切心からくる彼女の言葉に流されそうになりながら、伸ばしていた手を胸に当ててゆっくり深呼吸をひとつした。登はきっと、電話を耳に当てながら不思議そうな顔をしているだろう。それを想像しながら、乾き始めた唇を舐める。

「……あのさ、いいか登」

『なあに』

「俺は、おめさんが好きだ」

胸に当てていたはずの手はいつの間にか額にあった。顔がなんだか熱い気がする。指の間に挟んだ髪をぎゅっと握って、あーあ、と心のなかではため息が出てくる。
焦ってしまった。登が、明日から今日までみたいに接してくれなくなると思った途端に。
同じクラスで、尽八の幼馴染というきっかけでよく話して、毎日挨拶を交わす。宿題を忘れていたら見せてくれるし、席替えでたまたま隣の席になった時に、教科書を荒北に貸しっぱなしにしていた登に見せるために机を合わせて一緒に授業を受けたりもした。
部活中、邪魔にならないよう休憩中に、こそこそと少し遠くから俺達に手を振る彼女に声をかけて、手を振り返した数もいざ知れず。
ウサ吉の餌を買ってきてくれた登と、兎小屋の近くでのんびりと昼飯を食べるのが俺はとても好きだ。
そんな、俺にとっては幸せすぎる日常が明日から突然シャットダウンされてしまうなんて想像したくもなかった。だから、焦ってしまったんだ。
唯、近づくのをやめると言った登に対して「そんなことする必要はないよ」と、それだけ返せばよかっただけなのに。なんだか、彼女の声色がまるで別れ際のように切なく聞こえてしまって、それで急ぐ心を抑えきれなくなってしまった。間違いなく、俺の気のせいなのに。
なんで告白してしまったんだろう。それによって今日までの当たり前がぶち壊しになることだって、冷静になれば容易に想像できるのに。そう、今漸く冷静になってきた。バカなことをしてしまった。
お互いに、電話を挟んで無言の時間に包まれる。何分経ったのか定かではないが、物凄く長く感じるのは気のせいなんだろうか。この気まずい空間を作ったのは自分なのだが、すごく居たたまれない。
しかし、この苦痛な沈黙も永遠に続くことはない。そう思えば少し楽にはなるが、何故か自分から口を開くことは出来ない。なにか言葉を発すれば、終わらせることが出来るのに、それをしない。
バカだろう、俺は。心の何処かでなにか期待しているんだ。
そして、静寂は破られる。彼女の、いつも通りの明るい声で。

『……ええと、うん。ありがとう。急すぎてびっくりした』

「いや、その……」

『さっき自分で言った手前、こういうのは早めに返事すべきだよね。うん、明日するから』

「そう、か」

『だから今日はそろそろ切るよ。じゃあ、また明日学校でね』

胸が音を立てているのがはっきりわかるし、変な汗をかいているのもわかる。
登が一方的に話を終わらせてしまったので、相槌もままならないままで通話は終了してしまった。むしろ、終了させられてしまったというかんじだ。
俺の変な気分はもちろん払拭されておらず、モヤモヤした不快感で胸中が支配されている。
明日って、明日殺されるのか、俺は。それは言い過ぎにしても、口の中に苦い汁が込み上げてくる気分だ。
携帯の充電は、電話をしていたせいで大分減っていた。そんなに長く話していたっけかな、と通話時間を確認してみたら2時間20分だった。思えば、もう夜も更ける時間だ。
ため息がひっきりなしに出てくる。我ながら、ここまで取り乱すのも珍しい。
この好意の感情も、誰にも打ち明けずにここまできた。そして、うっかり本人にバラしてしまった。本末転倒なのだが、まだ一縷の望みは捨ててはいない。
とりあえず、明日だ。もしダメだったら、寿一に慰めて貰うさ。無理やり割りきって大きく伸びをする。そのまま後ろに倒れると、壁に頭を打った。マヌケな自分に苦笑しながら、天井を眺めているうちに眠ってしまった。


---


次の日、いつの間にか寝ていた俺はSHRに遅刻しそうになってしまった。急いで教室に駆け込むと、おはよう、と声が掛かる。それは、昨日俺が告白した相手だ。

「寝坊? 先生まだこないってさ」

「そうか、ならよかった。おはよう」

他のクラスメイトからも声が掛かるので適当に返して、席につく。俺の机は登の真後ろだ。
椅子の背もたれへ寄りかかるようにして、俺の方を向いてにかっと笑う姿はやはりいつもと変わらない。少しほっとする。近づかないっていうのは、なしにしてくれたらしい。
適当に話をしてしばらくすると、10分遅れて担任が入ってくる。ラッキーだったね、と言付けて前を向いた登の、朝日に光る髪をぼんやりと眺めながら今日も変わらない1日が始まった。

変わらないといっても、昨日の時点で明日、もとい今日、告白の返事をすると予告された俺はというと、やはり気が気でならなかった。運悪く生物の時間に当てられて、全く違う教科書のページを読んでしまい先生には怒られるわ、せっかくやった数学の宿題を部屋の机に置いてきてしまい、休み時間にダッシュで寮に取りにいくことになるわで散々だ。要するに、俺の心は登に持っていかれてしまった状態でお留守。
あっという間に昼休みになってしまって、午前中どうやってここまで過ごしてきたのかイマイチ記憶にない。とりあえず、今まさに登に話しかけられていることの方が重要だ。

「お昼、よかったらまたウサ吉のとこ行こうよ」

「登がいいなら、俺はいいよ」

じゃあ、と立ち上がった彼女と一緒に、購買でパンを買ってからウサ吉の元へ向かう。登はやっぱり甘いパンばかり買っていて、俺も甘いものが好きなので彼女と一緒に昼を買うとつい、つられて甘いものばかりを選んでしまう。おんなじものを選ぶと、「あら、被ったね」なんて言われるもの内心嬉しかった。
途中に学食にも寄って、兎用に野菜の切れっ端を貰っていく。こうして二人で歩いていることも多々あるはずだが、周りから恋人同士かと見間違えられたことは何故かないのはどうしてだろう。やはり手を繋いだりしないとそうは見えないんだろうか。
そんなことをうっすら考えていると、あっという間に目的地。
うさぎ小屋に着くなり、登は俺の飼っている兎の元へ駆けて行く。

「新開くん、ウサ吉抱っこしてもいい?」

振り返る登はとても柔らかな笑みで、俺へ問いかける。
頷いてゲージから出してやると、ウサ吉の方ももうすっかり登に慣れたようで目を細めて彼女の腕の中で撫でられている。なんというか、少しだけジェラシーを感じる。
別にそうされたいというわけではないが、ちやほやされているあたりに妬ける。動物相手に馬鹿みたいだが、仕方ない。

「ウサ吉可愛いなあ。わたし、ウサ吉すっごくすきだよ」

そんなことまで言いながら。さすがに恨めしくなって、じっとりした目でウサ吉を見つめていると、もひもひと動かし続けている兎の鼻元にふふんと嘲られたような気分だ。もちろんそんなはずはないんだが。
俺が隣へ行って兎の頭を撫でると、登は俺の方を向いてなんだか嬉しそうにくすっと笑う。

「兎と一緒にいる時の新開くんの優しそうな表情も、すっごくすき」

思いがけない彼女の台詞に、反応が遅れる。
はっとしてから登と目を合わせると、ほんのり色付いた頬で微笑みを俺へ向けてくれた。
俺はというと、目をぱちくりと何度かしばたかせてから、顔が一気に熱くなるのが分かる。ワンテンポ遅れて、事を理解する。これは、もしかしなくても、昨日の返事だ。

「……うん。そうか。……もっとはっきり言ってくれたりは、しないかな」

それだと兎と居る時の俺だけが好き、みたいに聞こえてしまって。欲しがりというか、無理やり言わせようとしてしまう感じにはなるのだが、俺はどうしても彼女のその言葉が欲しかった。

「新開くんのこと、わたしもすきだよ」

流石に照れくさいのか、ウサ吉の背を見つめるように目を伏せている登がなんだかいつもよりほんのちょっとだけ大人っぽく見えて、既にうるさかった俺の心臓は余計に強く脈動する。
そっと手を取って、登の綺麗な指に口付けた。
さっきはウサ吉に妬いてしまったが、とんでもない。こいつは俺のキューピッドだったってわけだ。

「これで、告白された子への返事も考えなくて済むよ」

「なんていうの?」

「彼女が居るって言えばいいのさ」

兎を抱いたままの登の腰を引き寄せて、少し迷ったが今はまだ早いな、と額にキス。
恥ずかしいこと言うなあ、と照れ笑いしているたった今から恋人になった彼女の頬にそっと触れる。一番最初に誰に自慢してやろうか、なんて考えながら。




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