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(新開さんが酷い男なので注意)









今日、俺は前髪を切った。
美容室に行くわけでもなく、自分で。ペン立てに入っていたハサミで、鏡だけ見つめ、酷く雑にザクザクと切った。前髪が目にかからなくなるのは何時ぶりだろうとぼんやり思いながら、目からはぼろぼろ涙が溢れる。
パラパラと落ちる、自身の真っ黒な髪。もうカチューシャをする意味もないなあ、と苦笑して涙を拭い、机に置いてある写真立てを静かに伏せた。


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『尽八くんはその前髪、いつまでそうやって伸ばしておくの。自転車に乗る時、邪魔でしょ』

「うーん。そうだな、失恋したら切るかもしれんな」

『はは、自分大好きなのに、恋なんてできるの?』

電話越しにからからと笑うお前こそ、俺の好き相手なんだが。相手がこんな調子なので、いつまでも告白するタイミングを逃している。ひた隠しているから、バレてしまう気配もない。
幼馴染という間柄、登とは随分と長い時間をこうして過ごしてきた。高校3年生になってからは尚更、同じ学校になったことで気軽に話す時間も増えた。
部活の後、夜にこうしてどうでもいい話を電話することも細やかな俺の癒やしの時間だ。
しかし、ここ最近、話をしている時の反応が少しそっけなくなった気がする。気のせいならいいんだが、電話を切るのも登からの方が多い。前は俺から切る時と彼女から切る時で半々くらいだったのだが。
壁にかかった時計を見遣るともうすぐ11時だった。1時間くらいは話していただろうか。
明日も例によって学校なのでそろそろ切ったほうがいいだろう。言い出そうとすると、登が唐突に「あ、」と声を上げたので言いかけた台詞を飲み込んだ。

「どうかしたか」

『ううん、いや……なんでもないんだけど、そろそろ切ろうかな』

「そうか、俺もそう言おうと思っていたところだ」

『じゃあ、丁度いいね。それじゃ、また明日』

登の言葉を反芻するように俺もまた明日、と告げたと同時にプツン、と会話は途切れる。
俺がなんとなく寂しく感じる原因の一つに、これもあった。
少し前までは、電話の切る切らないだけで5分は話が保ったものだった。俺から切るか、それとも登から切るか。どうする? 同時に切る? なんて至極どうでもいい会話だったが、俺はそれも楽しかった。そういうのも、ここしばらくない。そして、今日もやっぱり切ったのは登からだった。しばらく携帯の画面を眺めてから、パタンと閉じる。部屋の電気も消した。
こんな風になったのは、いつからだったろうか。1ヶ月前くらいだった気もする。
もしかして、登に何かあったのか。俺の知らない何かが。
いや、深く考えるのはやめよう。眠れなくなってしまう。
真っ暗な部屋から窓をチラリと除くと微かに雪が降っているのが見える。通りで寒いはずだ。もう一度だけ、暗闇の中で携帯を開いて画像のフォルダを弄る。登と俺と、二人で写っている写真を見てどこかほっと安心してから、携帯を枕元へ置く。
布団を深く被って、登も暖かくして寝ているといいなと考えながら、そのまま眠りについた。


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次の日、特に理由もなくその辺にいた荒北を捕まえて昼食を食べた。相変わらずこいつの食事には油分が多い。せめてサラダも一緒に頼めばいいのにとは思っても、ああだこうだと口出しすると、うるせえと一蹴されるのが常なのであえて何も言わない。気になるが、気にしたら負けだ。
二人とも食べ終わってお互いに水を飲んでいると、遠くに目線を遣っていた荒北が何かに気づくように目を丸くした。それから、迷うように視線を泳がせながらテーブルへ組んだ腕を乗せる。

「なァ、東堂。お前、知ってたァ?」

「主語もなしに知ってるも知らないもないぞ」

「いや、それはそうなんだけどさァ……」

言いにくそうに口篭らせて、水の入ったコップの隣に置いてあったベプシのボトルを撚る荒北。何のことだかさっぱり検討もつかず頬杖をついてそれを眺めていると、ボトルを置いた荒北が頬を掻きながら眉を寄せる。

「1ヶ月くらい前? だっけなァ。なんか、新開とお前の幼馴染の佳月チャン、付き合ってるらしいヨ」

手にしていたコップがかたん、と落ちる。幸い水はテーブルには溢れず、俺の手に少しだけかかったばかりだった。
急に、食堂のざわざわとした喧騒が止んだ気がした。そんなはずはなく、俺の頭の中が一気に冷たくなっただけだ。
荒北は、なんて言った? 登と、新開が、付き合っている?

「付き合ってるって、なんだ、それ」

「えー、だから恋人同士とかいうやつなんでしょ……俺も昨日知ったんだけど」

理解が追いつかない。というより、脳が分かることを拒否している。
そんなバカな、なんて在り来りな言葉が思わず口をついて出てしまうと、荒北は申し訳無さそうに目を伏せる。悪いのはこいつじゃないのはよくわかっているが、胸ぐらを掴んで怒鳴ってしまいそうだった。テーブルを挟んで対面に座っていたのが幸いだ。
俺の睨むような、戸惑ったような視線を受け止めて、荒北は更に眉間に皺を寄せる。

「昨日の夜、新開が俺の部屋にきてて。まァ、すんげーどうでもいい話とかしてたんだけど。何時だっけ、11時前とかかなァ……トランプしてて、すっごい中途半端だったのに、アイツ急にそろそろ行くって言い始めて。どこにだよって訊いたら、彼女のとこって」

聴きながら深く呼吸をしている俺を見受けて、言葉を切る荒北。
大丈夫か? と柄にもなく心配なんてしてくるから、無理やり笑って大丈夫だと答える。
続きが聞きたい気持ちは半分。お願いだからこれ以上事実をつきつけないで欲しいという気持ちが半分で、まざってドロドロになっていた。
食べていたものを戻してしまいそうなくらいに心臓が激しく脈打つのも、耐える。

「……で、新開に彼女が居るとか知らなかったし、相手訊いてみたら……アイツ、尽八の幼馴染って言いやがったから」

手の甲で、口を押さえる。どうしようもなく、悔しかった。
昨日のことを思い出す。そうだ、登は何か思い出したように11時前に電話を切った。新開に、会うんだったのか。
荒北は、1ヶ月前くらいと言っていた。俺が違和感を感じるようになったのもそれくらいの時期だ。
ああ、やっぱり。そうだったんじゃないか。俺は、登の些細な変化だって分かるくらいに、こんなに好きだ。好きだ。でも、もう遅いんだ。
いい、いいさ。登が新開と付き合って、それで幸せになってくれるんだったら、俺は応援するしかねーよ。
なんで荒北がこんな話をし始めたのかも想像はついた。おそらく、さっき登と新開が一緒にいるところ見たんだろう。俺には見えない位置に居たんだろうが、きっとそうだ。
少しふらつきながら、食べ終えた昼ごはんの器が乗ったトレーを手にして返却口へ向かうことにする。

「荒北、すまんが午後の授業は……先生には保健室に行ったとか、適当に言っておいてくれ」

「……わかった。いいから、それも置いてけ。やっといてやるから。あと、なんか……悪かったな」

言葉に甘えて手にしたものをテーブルへと戻す。俯く荒北の肩に手を乗せて、俺は精一杯微笑んだ。
それは、さぞかし痛々しかったんだろうな、と自分でも思う。荒北は目をこちらに向けるだけで、呟くようにもう一度謝った。



行く宛も特にないし、さすがにこの時間に制服で学校の外に出るわけにもいかなかったので結局部室に来てしまった。この時間なら人も居ない。
大きくため息を付きながら、自分のロッカーの一番近くにある椅子にどっかり腰を据える。身体が重くて、このままここに根を張ってしまいそうだ。
それでもいい。なんだか、情けないほどに落ち込んでいた。
応援するって、さっき自分で決めたじゃねーか。東堂尽八、俺はそんなに小さい男だったっていうのかよ。
たかが失恋で―――そう自覚した瞬間、ぱたぱたと音を立てて床に雫が落ちる。
止められない。誰もいないだろうし、いいだろうなんて考えも頭の片隅にあった。
堪えられない嗚咽が、格好悪すぎる声が漏れるが気にしてられない。
止めようとしても、息が詰まって苦しい。それ以上に苦しいのは胸の内だった。
ぐっと握りしめた拳の内側がひりつく。爪が食い込んで血が出たのかもしれない。そんなのなりふり構っていられないくらいに、一言で表すなら辛かった。
無造作にカチューシャを外すと、ぱらりと長い髪が掛かる。そういや、失恋したら切るなんて、勢いで言ってしまったな。切ってもいいけど、登に知られないところで切りたい。卒業してしまってからでも遅くはないだろう。
頬を伝う涙を拭いもせずに、髪を根本から摘んでつうっと指を滑らせる。それを何度か繰り返す内に、意識が遠のいていく。果てもない夜に放り込まれたように、瞼が下がって視界は暗くなる。はずだった。

「尽八、おめさん、こんなところで寝ると風邪引くぞ」

不意に自分を呼ぶ声が降ってきたので慌てて顔を上げると、一番会いたくない顔がそこにはあった。
赤茶けた癖毛に蕩けたような甘い目元、厚い唇。俺を見下ろす姿に苛立ちが込み上げてくる。
どうしてお前がここに居るんだとか、なんでお前が登と付き合ってるんだとか、いろいろ言ってやりたい言葉はあったはずなのに出てこない。

「ッ、新、開」

「具合でも悪いのか、どっか痛いのか……」

新開は言い掛けてフッと笑むと、しゃがんで俺の顔を覗きこんで来た。
お得意の拳銃を打つようなジェスチャーを、俺の胸へトン、と突き立てる。

「失恋でもしたか」

「お、前……」

悲しみと怒りが、同時に押し寄せて俺を飲み込む。今度こそ、行動しても違わない。伸ばした腕は、胸ぐらをしっかり掴んで布がぎりぎりと音を立てるが、新開は余裕そうに微笑んでいる。

「登ちゃんのこと、よく相談に乗ってたもんな。俺に裏切られた気分って感じかな」

「全部わかってて、それでお前は」

「よくあるだろ、恋愛相談に乗ってる内に興味が出てくるって話」

しれっと言い放つ唇からがら殴ってやりたかったが、そうもいかない。落ち着け、尽八。
登が望んでこいつと付き合ってるんだ。俺が口出しする余儀なんてないんだ。
荒くなった呼吸を整えながら掴んでいた手をゆっくり離す。ぶるぶる震える手同士を押さえつけて、俺は俯く。

「……いや、悪かったな。いいんだ、お前が本気で登のことを好きだっていうなら。俺は身を引く。ちゃんと幸せにしてやってくれよ」

呟くも、答えは返ってこない。小さな声で言ったため、聞こえなかったのかとも思って顔を上げると、可笑しくてたまらないように口元が緩んだ男がいやらしく微笑む。
俺の頭の中で警鐘が鳴り響くも、止めることはできない。身体の震えだけが増していく。

「本気? ははっ、おめさんは真面目だな。とんでもない、遊びだよ」

驚いて、声も出ない。口がぽかんと開いてしまう。目がまんまるに見開かれる。
ただ震えだけは収まらなくて、自身の身体を抱くように腕を掴むと、新開は言葉を失った俺の顎を掴んでやけに近い距離で独白を続ける。

「かわいいよ、登ちゃん。尽八が好きになるのも納得だね。というか、おめさんが熱心なもんだからどんな子かなって気になって、付き合ってみたんだけど。俺のこと好きだって言ってくれるけど、気を遣ってくれてるのかもな」

耳元に、甘ったるい息がかかる。温かさがさっと引いた身体の奥から、同時に別の熱がわっと上がってくるのが分かる。それが、怒りなのかなんなのか、もう自分ではよくわからない。

「この間セックスしてる時に本当は誰が好きかって訊いたよ。泣きながらおめさんの名前、言ってたぜ」

新開が言い終わるのとほぼ同時に、拳が勝手に振るわれていた。重い感覚が肌を通じて伝わってきて、同時にじわじわと痛みが広がり始める。赤くなった自分の指を握りしめて、俺は振り返らずに走り始めた。もう止まってしまったとばかり思っていた涙はあとからあとから溢れだして、頬と制服を濡らした。
噎せこんで喉が切れたのか、口の中で鉄分の味が広がる。昨日の雪の溶け残りが足に引っかかって転びそうになる。それでも俺は足を止めない。
漸く、切れ切れに息をしながら寮の自分の部屋のドアを乱暴に閉じて鍵をした。誰が入ってくるわけでもなかったろうが、手が勝手に動いていた。それだけ一人になりたかった。
全速力で走ってきた反動で呼吸が整わない。ぜえぜえと気管が音を立てる。無理やり酸素を取り込もうとして、何度も咳き込む。涙も、相変わらず止まらない。このまま体中の水分が、全て涙になって流れていってしまうんじゃないだろうか。
覚束ない足取りで机の前の椅子へ腰掛けると、写真立てがすぐに目に入る。
ここに入れている写真は、毎年変えていた。高校に入る前から、ずっと。登と、毎年写真を撮っていたから。
一番最近のこれは、インターハイが終わって、少し経ってから撮った写真だ。この頃はまだ、登の一番近くに居たのは俺だったはずなのに。
毎朝髪型を整える時に使う鏡が、チラと視界に入る。
ペン立てに入っていたハサミで、切れるだろう。手にとって、鏡を目の前にして、長く目にかかる前髪を見つめる。
切ろう。切って、俺は変わる。失恋したから? 違う。
取り戻す。俺は、登を取り戻すために変わるんだ。そのために、髪を切るんだ。ザクッと音を立てて、迷いも一緒に払い落とされた。
切り終えたら、写真は伏せておこう。
登が、もう一度俺の一番近くで笑うその時まで。




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