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(小説版の『二人の約束』の試合後捏造話なので注意)










5月最後の日曜日。広峯山の、ヒルクライムレース。
わたしの幼馴染の東堂尽八くんと、その友達の巻島裕介くん。ふたりが参加したレースだ。ついでに言うと巻島くんは恋人なんだけれども、それは周囲には秘密にしている。それこそ、知っているのは尽八くんだけだ。
彼らは14戦してお互いに7勝7敗。今日、その勝負の決着がつくはずだった。15戦目で、どちらかに勝利がひとつ加わって、天秤が傾くはずだった。のに。
雨の降りしきる中、ゴール前。東堂くんのファンクラブの女の子たちから少し離れたところで、ふたりの勝負の行方を見届けようと待っていた。
しかし、そこに現れた自転車は1台だけ。白いRIDLEYだけだった。
隣で、ぐねぐねふらふらと走行されているはずの、同じく真っ白いTIMEは見当たらない。
まさか。嫌な予感が過ぎったが、ただの予感であって欲しいと願う。
でも、それは現実だった。尽八くんの表情を見れば、わかった。なるべく彼と目を合わせないようにしようとして人混みに紛れようとしたが、そのわずか前にちらりと一瞬目が合ってしまった。悲しそうな、悔しそうな色を浮かべてからフイとすぐ逸らされる。
それからきゃあきゃあ騒いでいる女の子たちにいつものポーズをとって見せていたが、どうにも覇気がなかった。1位になったというのに。
流石に長い付き合いなので、わかりたくないことまで彼の一挙一動でわかってしまう。
もう3分は過ぎただろうか。尽八くん以外、まだ、誰もゴールラインを踏まない。
勝負の決着は、つけられなかったんだ。普通に勝負して、巻島くんが尽八くんにこんな大差をつけられることなんてない。
機材トラブルか、それとも怪我か―――できれば、前者の方がいい。巻島くんにはこれからインターハイもある。怪我だけはしてほしくなかった。
人混みから少し離れてから、ようやく次々に選手がゴールし観客が沸くのが聞こえる。わたしは箱学の生徒だが、この広峯山のレースには尽八くんの他に箱学の生徒はいないし、あの場に残っている理由もない。彼の冷えきった、悲しそうな目を見てしまったせいだろうか。レースにはまるで関係ないのに、わたしもなんだかどんよりと気持ちが重たい。まるで、足に鉛玉をつけられてしまったようだ。
はあ。と、ひとつため息を吐くと同時に、ポケットに入れていた携帯が震えた。メールかなと勝手に決めつけて取り出す気はなかったけれど、振動は止まない。どうやら電話のようだ。
画面に浮かぶ名前のせいで出るか迷った。でも、しばらく待っても着信が続くのでとうとう通話ボタンを押して、耳に当てる。
しばらく、沈黙。降っている雨の音が電話口からも聞こえて、二重になって反響する。
向こうがなにか話すまで、わたしは言葉を発するつもりはなかった。
お互い黙ったままで、何分くらい経っただろうか。漸く聞こえてきたその声はひどく暗くて、いつもの彼とは大違いだった。

『……すまんな、こんな電話をかけて』

「ううん、謝らなくていいよ」

開口一番で謝罪され、見えはしない苦笑いで答える。聞こえる雨の打ち付ける音がやけにうるさいのは、トタン屋根の下にいるかららしい。

『……登。……ダメだった』

「うん、見てた」

『アイツ……あんなに、準備しとけって言ったのに』

悔しい。どうして。信じたくない。そんな気持ちが詰まった声色が耳を穿つ。
わたしは何も言えない。選手でもなければ、チームの仲間でもない。はっきりいってしまえば部外者だから。偉そうなことも知ったかぶりな言葉も、掛けてはいけない。
出来るのは、ただ、見た事実を感情を通さずに言うことと、彼に対して素直に相槌を打つことだけだった。無力だけれど、仕方ない。スポーツ競技は、本人たちの戦いだ。他から口出しされる義理はない。
結果が全て。努力も、感情も、本番のただ1回きりの結果に伴わなければ誰も認めてくれない。そういう、厳格なものだ。
だけど、わたしはこのふたりが何度も戦っていることを知っていた。戦う度になんだかおかしな関係になって、それでも仲良くなって、親友で、ライバルで、お互いに切磋琢磨して、どんどん強くなっていた。
見ていただけだ。何もしていない。でも、知っていた。
だから、辛いだろう気持ちは本人たちには劣ってもじんわりと伝わってくる。

『……こういう時、余計なことを言わんでくれる登には助かるな』

「それしかできないから」

『いや……いいんだ。……巻ちゃんのこと、迎えてやってくれ。きっと、身体を冷やしているから』

口ぶりからして、巻島くんは怪我ではないようだった。なにか大きな怪我をしているなら、結果をそっちのけでも教えてくれるはずだ。だから、恐らく機材トラブル。
わたしは陸上競技をやっていた。基本的には身体が資本のトラック競技担当だった。だから、必要なのはユニフォームと、スパイクだけ。ロードレースのように、大きな機材が重要に関わってくる競技のことは理解に難かった。
でもつまり、自転車乗りにとってはロードレーサーがスパイクなのだ。走るために必要なもの。壊れてしまっては、前に進めない。
全てが整備されているわけではない、自然の脅威も織り交ざった長距離を走る。天気だって、悪天候だろうと実施される。だから、いくらマシンのメンテナンスを入念にしていてもフレームが壊れてしまうことも、パンクすることもあるのだ。
わたしはロードレースの選手じゃない。試合に参加したこともない。それでも、気持ちを察することくらいは出来た。
機材トラブルなら、恐らく巻島くんは回収車に乗ってくるんだろう。そうなると、到着はきっとまだ先だ。この雨の中、傘も差さずに外で待っているのは平気だろうか。風邪を引いてしまわないといいけど。

『……もうちょっと気持ちが落ち着いたら、いろいろ話させてくれ』

「うん、待ってる」

『じゃあ、そろそろ……表彰式とかの準備もあるから、切るな』

「わかった。また箱根でね」

『ああ』

どちらともなく切った電話。しばらく画面を見つめていると、自動的にライトアップが消灯した。
適当にボタンを押して画面を復帰させると、さっきから15分近く絶っていて少し驚いた。
そろそろ、さっきの場所で待っていてもいいだろう。
鞄には、タオルやら暖かい飲み物やらは入ってはいるけれど、車に乗ってくるなら必要ないかもしれない。それに、恋人だからといってこんな時にあまり出しゃばり過ぎたくない。
先ほどのまで居たゴール近くの辺りの来たが、ひとは大分まばらになってきた。きっと、表彰式を見に行くのに移動したんだろう。
適当に寄りかかれる場所を探そうとしたが、やたらと広い駐車場なので端っこの並木まで下がるしかなかった。でも、車が来るのはここでもわかるだろう。
ざあざあと、止まない雨の音をぼうっと聞いていたら車の走行音がする。ぱっと気を取り直すが、彼が車から降りてきて、どんな顔をすればいいのかわからない。駆け寄っていくことすら躊躇われる。
いっそこの場を去って、ちょっとしてからもう一度探そうとも思ったが、尽八くんの「迎えてやってくれ」という言葉を思い出して足が踏み留まる。
どうしたらいいか分からなくなって車に背を向けていると、ぽん、と背中を叩かれる。
びくびくしながら振り返ると、見慣れた黄色いジャージのひょろ長いひとがそこに居た。愛車の、いつもぴかぴかのTIMEが今日はどろどろに汚れてしまっている。

「よォ、登。悪ィな、応援しにきてくれたのに」

「ま、きしまくん」

「そんな顔すんなショ。どうせ、アイツからなんか吹きこまれたんだろ」

わたしの傘をひょいと取り上げると、自分とわたしにかかるように寄ってくる。
びっくりするほど、いつも通りの巻島くん。それが、どうしても違和感があった。
それでも、彼が割り切っているならそこには触れてはいけない。絶対にダメだ。
そう思えば思うほど気になって仕方ないし、巻島くんだって辛いはずなのにそれを見せてくれない所為で、わたしの胸が詰まってきた。よくわからないけど熱くなる目の奥を、ぐっと口を結んで耐える。
そんな様子を知ってか知らずか、今度はそっと頭に手が乗った。

「……大丈夫っショ。ちゃんと、すげえ悔しいし、情けねェけど……それを見せたら、アイツにも悪い」

こんなことを感じるのは失礼かとも思ったが、割り切って無理矢理にでも事実を自分の中に落としこむ彼はとてもかっこよかった。
堪え切れずに一粒落ちた涙を慌てて拭って、ばれないようにと鞄に入っていたタオルを引っ張りだして巻島くんの顔にぶっつけた。柔らかいから痛くはなかっただろうが、ちょっと変な声を出して驚いていた。

「っショ、……ったく、泣くなよ」

「泣いてないから!」

「ばればれっショ」

クハっと笑われて、がしがし頭を撫でられた。一瞬寂しそうな表情になったのを見逃すことができなくて、結局ちょっとだけ泣いてしまった。
ふたりの勝負なのに。わたしは関係ないのに。どう考えても迷惑だろうけど、巻島くんは黙って頭を撫で続けてくれた。
わたしがすん、と鼻を鳴らすと、巻島くんがくしゃみをした。更に鞄に入っていた派手なパーカを渡すと、いいセンスしてるショと言いながら羽織る。こういうのが好きなのかなあ、と選んたものだったけれど、お気に召したならよかった。
ちょっと離れて表彰式を見ようと彼が提案してきたので、傘をゆらゆらさせながらだらだら歩く。
チラッと巻島くんの方を見ると、こちらからの視線に気付いて小さく笑った。

「ま、今日はいろいろあったショ」

「そっか……」

「初めて、約束なんてしちまった」

「約束って、なんの?」

わたしがちょっとだけ首をかしげると、巻島くんはどこか嬉しそうに、ニヤッと微笑む。

「秘密っショ」

彼は、総北高校のジャージの、胸のあたりをぎゅっと握りしめて、空を見上げた。
わたしも倣って見上げると、雨は大分弱まっていて、どんよりと灰色の雲が重くかかっていた空にいつの間にか晴れ間が覗いていた。
表彰式の音声がここまできこえてくる。傘を閉じてくるくると適当に巻いて、わたしたちは歩みを早めた。
最後の夏はまだ、ちょっとだけ遠い。




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