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(アニペダ22話Cパートのあとの話)
いいか、甘やかすなよ。
十数分前に電話で注がれた言葉が、わたしの部屋のドアの前に立つ彼を見ると思い出される。
「なァ、写させてくれよ」
それは、餌を与えないでくださいみたいなものなのだろうか。
だとしたら先程の忠告は無駄足だろう。自分でいうのもなんだけれど、わたしは恋人に甘い。
「あーその数学のね」
「なんかよォ、東堂がうっせーの。結局半分もできてねえ。新開はアテになんねえし、福ちゃんは宿題違うし」
「尽八くんは自分にも他人にも厳しいからねーそこがいいとこだけど」
母親みたいにああしろこうしろと甲斐甲斐しく世話を焼いてくるあたり、わたしよりよっぽどデキる女レベルが高い。わたしたちは性別が逆だった方がよかったんじゃないかと思うことがしばしばある。
今回のことも、見てなくてもまあ想像できた。大方いつものファミレスで騒いでいたんだろう。友達があそこでバイトをしているから、明日話を聞いてみるか……なんて思っていたら、家着ジャージの裾を掴まれた。因みに今日のジャージは黒に水色の線入り。
「ん、どした」
「……褒めんなよ。アイツを」
斜め下のどこともない場所へ視線を落としながら、ぎゅうっと服を握ってくる様子はまるで拗ねた子供。わたしが後ろ向きに歩いて行くと、そのままズルズルついてくる。プリントを持った方を後ろ手にドアを閉めていたので器用だなと感心しつつ、なんでついでに鍵まで掛けたんだろうと苦笑した。
「わかったよ、もう褒めないから」
「本当だろォな」
「信用されてないなー全く」
「だっ!! て、よォ!!」
思いっきり飛びかかられて、プリントが宙を舞う。あーあー、テーブルに食べかけのポテチとかあるんだから、そこに落ちたら油まみれになるじゃないか……。
そんなことはおかまいなしに、馬乗り状態で見下ろされている。あんまり機嫌が良くなさそうだ。この原因を作ったのは奴らだから、文句は後で伝えよう。
「女子の上にそんな風に乗るのはどうなの」
「あァ? いっつも俺が上なのに何言ってんの」
「発情期かよ、落ち着いてよ」
さも当然同然に口を尖らせているものだからほとほと呆れる。このひとは数学をしにわたしの部屋に来たんじゃなかったっけ。保健体育をしてどうする。
せっかく答えを教えてあげようと思っていた問題が印刷されている紙切れはゴミ箱付近に落っこちていて、あれじゃあ捨て損ねたゴミに見える。雑とも綺麗とも言い難い字が端っこの方で踊っている。
「登が悪い」
「理不尽すぎるでしょそれは」
「わかってっけどイライラすんだよ! 仕方ないんだよ!」
「それが理不尽だってのに」
避けてくれそうもない靖友くんの方は見ず、天井のシミを数えていたはずなのに視界は暗くなった。
そして、何故か身体を起こされる。カラン、と音を立てたのは彼の口の中の飴玉。定期的に食べたくなる、梅の味の甘酸っぱいやつ。小袋の裏にかわいらしいポエムが書いてあるアレ。
わたしの飴を奪っていった彼は相変わらず不機嫌そうにむっつりと唇をひんまげていたが、舌で押しやった糖分の塊は多少お気に召してくれたようだ。靖友くんにしっぽがついていたら結構振ってると思う。
「落ち着いた」
「そりゃあよかった。じゃあ勉強しようか」
「その前にもっとすることあンだろ」
そんなことドヤ顔で言われも困る。しかし彼は既にわたしのジャージの前のチャックを下ろしていて、中に着ている前の高校のTシャツが顔を出していた。床でする気かこいつ。というか、そんなにがっつかれると微妙な気分になってくる。わたしの存在はなんだ。宿題を写させてくれる兼性処理の相手なんていう都合のいい女は嫌だよ。
どうせ下に手がかかるんだろうなあと思っていたら、何もしてこない。おかしいなと視線を少し上げると靖友くんの切れ長な目がじいっと睨むようにわたしを捉えていた。
「お前さあ」
「な、なに」
「風呂あがりなのかもしんねーけど下着つけろヨ!」
ふいっと、赤くなっていた顔を逸らした方を追って覗きこもうと首を傾げていると、グーの拳がおでこにこつん、と当てられた。
なんだ、なんだ。もしかして本気でわたしのノーブラが気になって仕方なかったのか。先ほどの「登が悪い」という責任転嫁なセリフも、下着もつけてないで部屋に入れやがって誘ってんのか、という意味だったらしい。
そして勉強をする前にすることというのは、どうやらわたしが下着をつける作業のようだ。
おかしくなってぷはっと吹き出すと、笑ってんじゃねー!と怒られた。いや、笑うでしょ。
靖友くんが面白いので、素直に引き出しからブラジャーを引っ張りだして着ける。その間チラチラこっちを気にしているのは丸わかりなのに、バレていないとでも思っているんだろうか。
「でけーんだからちゃんとつけとけ!」
「いーじゃん開放させてよ自分の部屋でくらい」
「他の男が来たらどうすんだよ! 無防備すぎるじゃナァイ!!」
「わかったわかった」
愛情がひしひしと、痛いくらいに伝わってくるのがようやくわかる。このひと、わかりやすいようでわかりにくいからなあ。勘違いされやすいタイプというか。
立ったついでに落ちていたプリントを回収して、ペンケースを鞄から出してテーブルに置いた。彼の横に座ろうとすると、しっしっと手を払われる。よくわからないが、とりあえず隣に来てほしくないらしいので向かい側に座った。
「なに、隣に来られると都合悪いの」
「悪ィよ」
「なんで」
「登が隣に居たら集中できねえだろ!」
何故かぷーすか怒って乱暴に言い放ちながらわたしの一番のお気に入りのシャープペンを手にとる靖友くん。案の定また笑ってしまった。しばらくあーうー唸っていたが、少しすると真面目に質問を寄越してくる。
顔が赤い恋人の宿題を逆さから教えて、その後に何かご褒美がないかとわくわくしているわたしの期待は、彼に伝わっているだろうか。