*カーテン事件
「今日こそカーテンを買いに行く」
新開が低い声で宣言すると前を走る福富と石垣が何事かと振り向いた。
「まだ買ってなかったんか、隼人」
「ああ。男の一人暮らしだから焦ってなかったんだけど」
「けど?」
「名前が来てくれないんだ」
新開はこれ以上なく真剣だ。
実際切実な問題でもあった。
「苗字さん…?」
「オレが名前の部屋に行けば問題ないんだけど、来て欲しい気持ちがやっぱりあって…」
「は?」
「オレは一緒に住むものだと思っていた」
「はあぁぁぁぁ!?」
福富の発言に危うく転倒するところだった石垣をすんでのところで新開が支える。
「寿一がそんなこと思ってたなんて意外だな」
「お前たちを見ていたらそれが自然に見えただけだ」
「へぇ。まぁ確かにオレは提案したけどね」
やっぱりそうじゃないかという福富の視線が刺さる。
「名前が大反対でさ、すごい剣幕だった」
「だろうな」
理由を察した福富が溜息をついた。
一緒に住んだら自分は寝られなくなるから絶対に嫌だと断固として拒否をした名前が脳裏に蘇る。それを否定できなかった自分もあわせてだ。
「カーテンをつけないうちは絶対来ないって言われた」
「だろうな」
先程と同じ一言で流された。絶対呆れられている。
名前の部屋に行くことはいい。だが自分の部屋でという欲望が日に日に強くなってくるのだ。
新開の部屋に行って何事ないはずはない。カーテンがなければ丸見えだ。カーテンをつけなければ絶対に行かないという名前はこの上なく正しい。
「なぁ石垣クン、カーテン売ってる店教えてくれよ」
「隼人……苗字さんと付き合うてんのか?」
石垣が恐る恐るといった様子で尋ねる。
「言ってなかったっけ?」
「聞いとらん!」
そうだったかと首を傾げる。福富を窺うが同じように首を傾げていた。
「しかも一緒に住むとか…」
「いや、だから住んでないぜ。部屋見てるんだから知ってるだろ?」
「同棲…」
「してないって」
「カーテンがないとダメ…」
「寿一、これってオレ怒られるやつ?」
「だろうな」
同じ返答の3回目を聞いたところで、大学の正門に辿り着く。
石垣は心ここにあらずと言った様子だったが、無意識にペダルを踏み続けていた。
「おかえりー」
それを出迎えたのはタオルを差し出す名前だ。特に声を掛けたわけでもないのに部室から顔を出していた。戻ってくるタイミングを見計らっていたようだ。
相変わらずの仕事ぶりに新開と福富は目を見合わせて笑う。
「苗字さん…!?」
「どうかした?」
石垣の狼狽っぷりに名前が怪訝な顔をする。
何と言っていいのかわからない石垣に代わり、新開が事情を説明するとみるみるうちに柳眉を逆立てる。
「箱学の時みたいな感覚でつい…」
福富も荒北も東堂も、新開と名前の関係はよく知っていたので遠慮なく色々と相談していた。むしろ2人を焚きつけたのは彼らだ。包み隠すこともなかったのだ。
言い訳をする新開に、名前がニッコリ笑う。
「カーテン買っても当分行かない。反省して。もちろん私の部屋に来るのもナシだからね」
「勘弁しれくれよ。溜まっ…」
名前の両手が新開の口を塞ぐ。
チラリと横目をするのに倣えば、石垣が固まってこちらを見ていた。時すでに遅し。聞こえてしまっていたようだ。
ならば遠慮することもないだろう。石垣よりは目の前の意地を張る名前だ。
「まぁしばらくは我慢してもいいけどな」
そう言って名前の両手を剥がした新開はグイッと顔を近づける。もう少しで唇が触れそうな距離だが、寸前で止まって微笑む。
「次、泣いても手加減しないからな」
「〜〜〜っ!!」
視界の端に映る石垣は耳まで真っ赤になっていた。
でもきっと自分も負けずに顔を染めているに違いなかった。
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