*甘さと苦さが溶け合う時


その日、苗字名前はひどく疲れていた。
レポートの提出が2本あった。
部活は週末のレースに向けて追い込みに入っており、朝練から顔を出した。
講義が終わり部活に出ると、人手が足りないと連絡がありバイトへ向かった。
バイトはこういう日に限ってトラブル続きで、息つく暇もなく動いた。
もうすぐアパートに着こうとする頃には時計の短針はもう12の数字を左に置いていた。

「さすがに堪えるな…」

弱音は極力吐きたくない。気持ちを持っていかれるからだ。
だが、切実な感想として今日はひどく疲れていた。
力の入らない手を回して部屋の鍵を開ける。

(そう言えば今朝洗濯干したままだ)

バイトに行く予定ではなかったので洗濯していたのを忘れていた。

(取り込んで畳んで…)

普段ならなんてことはない一連の作業も億劫だと思いながら部屋に入る。

「………え?」

外に干してあるはずの洗濯物がベットの上に綺麗に畳まれた状態で存在していた。

「隼人?」

この部屋に入れるのは自分と合鍵を持っている新開だけだ。だが今日は会う約束をしていない。不思議に思っていると、テーブルに置かれたメモが視界に入った。


お疲れ。
帰ったら連絡くれよ。


思考力は底辺だ。
何も考えずに携帯を鳴らすと、数コールで通話に切り替わる。

『遅くまでお疲れ』

優しい声が耳に響く。

『名前?』
「何で?」

少なすぎる名前の言葉も新開はきっちり汲み取って答える。

『今日は朝からダルそうだったからな。急にバイトも呼び出されてたし、疲れてんじゃねーかなって』
「私…疲れた顔してた?」

表情には出していないはずだ。そんな内心を察して新開が電話越しにクスリと笑う声がした。

『いいや。普通だったと思うよ』
「でもダルそうだったって…」
『名前、今日あんまりオレの方見てなかったろ』

何だそれは。
自惚れか。自信過剰か。
そう言ってやろうとして、はたと気づく。

(そう言えば…隼人のこと見てないかも)

『無意識か?』
「………それがどう繋がるの」
『名前ってさ、弱ってる時にオレの方見ないんだよ。たぶん弱音吐きそうになるから自制してるんだと思うんだけど…。これって自惚れかな』

過去の自分を掘り返してみる。
体調が悪い時、精神的に辛い時、新開を見ると甘えそうになる自分が許せなくて視界から遠ざけてきたのではないか。

「自惚れじゃない」
『そっか』

自分でも知らない自分を新開は知っていた。
怖いと感じてもいいはずなのに安心しているのはなぜだろうか。

『そうだ。冷蔵庫にプリン入れて置いたから食えよ』
「あ、本当だ」

確認して冷蔵庫の扉を閉める。

『今日はそれ食べて寝るんだな。明日はバイトないだろ?オレもシフト代わってもらって休みにしたから部屋行くよ』
「それって甘えていいってこと?」
『嫌ってほど甘えさせてやるよ』

部活で疲れているのにプリンを買って部屋に来て、洗濯物を畳んで、バイト先に連絡して休みを調整してくれた。
自分でも気づかなかった癖からそこまでしてくれた。
もう十分甘えさせてもらっている。

「隼人」
『ん?』
「ありがとう」
『どういたしまして。今日はゆっくり休めよ』
「うん。おやすみなさい」
『おやすみ』

重たい体はそのままだ。
ドロドロになって溶けてしまいそうなくらい疲弊している。
まずはプリンを食べようか。
甘いカスタードとほろ苦いカラメルソースを口の中で溶かしながら、今夜はいい夢が見られる気がした。




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