*辞書と嫉妬


「辞書貸してくれ、名前」

休み時間にひょっこり現れたのは隣のクラスの新開だった。違うクラスなのにためらいもせず入ってくる。数人の女子が新開の存在に気付き、ざわめきが広がっていく。相変わらずの人気だ。

「毎回借りにくる方が面倒じゃないの?」

一応釘を刺しながら英和辞典を渡すが、建前でしかない。この曜日のこの時間、名前は辞書を準備してある。それくらいにはこのやり取りを続けている。

「どうせ苗字に会いにくる口実だろォ。んなことしなくても部活で会えんのに」

何の因果か名前の右隣の席は荒北だ。気怠そうにこちらを見もずに茶々を入れてくる。今写しているノートの持ち主が誰なのかわかっているのだろうか。

「靖友はいいな、名前と同じクラスで」
「課題出た時はな」
「それ私が得したことあったっけ?」
「辛辣だな、名前」

なぜかバキュンポーズで新開が笑う。当の荒北は舌打ちだけして鳴り出した予鈴に「マジか」と焦り始めた。早くノートを返してほしい。
新開は「辞書ありがとな」と軽く手を挙げて教室に戻ろうとしている。

「放課後は練習の前にミーティングあるからね、隼人」
「ああ、わかってる」

新開は女子たちの視線を一身に受けながら移動していった。ようやく課題を写し終えたらしい荒北はそれを無表情のまま見つめていた。

「荒北、ノート返して」
「ん。アンガトネェ」

差し出されたノートを受け取るが荒北の手は離れない。

「何」
「知ってるゥ?おまえら爽やかカップルって言われてんの」
「知らないけど。それが?」
「人の噂って適当だなって話ィ」

品が良いとは言えない笑みを向けられる。
バレている。
睨みつけてやったが元ヤンに効果があるわけもなく、授業開始のチャイムが鳴る。結局言い訳も弁明もしないままになったが、したところで鼻で笑われて一蹴されるだけだろう。


***


自分の教室に戻った新開は何気なしに辞書をパラパラめくる。
そして目当てのものを見つけると口元が弧を描いた。


***


「は…やと……ちょっと待って」
「待たない。部活始まっちまう」

放課後、部活の前のほんの少しの時間。人気の少ない資料室に2人の息遣いが響く。
新開の厚い唇が名前を塞ぐ。息継ぎもやっとのところに、胸元へ大きな掌が触れてくる。ふと目の前の顔を伺うと余裕がなさそうな熱い瞳がある。

「名前……」

辞書の中に5桁の数字を書いた紙を挟む。前の4桁は時間、あと1桁は階数。教室の名前はない。階数から暗黙の了解になっている。そのくらいにはこのやり取りを続けたのだ。
荒北は気付いている。いつも早めに部室に行ってる名前が、新開が辞書を借りに来た日はギリギリの時間で来ることを。そして新開もまたいつもより遅い時間になっていることを。

「なぁオレ限界なんだけど。…いい?」

名前も主張をする新開を感じている。返事をする代わりに端正な顔を両手で包んで自分へ引き寄せた。


***


「珍しいですね、一緒に来るの」

新開と並んで部室に入ると、目敏い黒田が突っかかってきた。

「黒田ァ、まだ苗字のこと諦めてねえのかよ」
「そんな簡単に諦められませんよ」
「おめさん人気者だな」
「隼人に言われたくない」

教室での様子を思い出しながら切り捨てる。新開と付き合い始めてそれなりの時間が経っているはずなのに、なぜ女子人気が衰えないのだろうか。
今日も本当は別々に来るつもりだったのだ。いつも通りに。しかしほんの少しだけ沸き上がった感情が名前の口を動かしていた。
『隼人…一緒に部室行こうか』
その時の新開の顔と言ったら。

「ああ…だからか」

荒北といい新開といい察しが良すぎる。
名前の嫉妬はあっさり本人に知られるところになって、気をよくした新開は屈んで耳打ちをする。

「オレが何で名前に辞書借りに行ってるかわかる?」

メモのことではないのかと問いかけるように見ると、新開が照れたような困ったような笑いをする。

「メモのこともあるけどさ、他にも理由あるんだよな」

メモ以外の理由と言われても、荒北の言っていた『名前に会う口実』しか思い浮かばない。
新開は名前の考える様子を楽しそうに眺めている。

「牽制って言葉、知ってる?」

反射的に「知ってるよ」と言い返そうとして、やめた。

「隼人ってもしかして私のこと大好きなの?」
「あれ?知らなかったか?」
「知ってた」

名前の答えに満足そう笑った新開の後頭部が叩かれる。

「おめーがちょいちょい来るから隙がねえってクラスの奴が嘆いてんだよ」
「隙って。名前はオレの彼女だぜ」
「おめーのこと見て騒いでる女子と同じだっての。だからわざわざ辞書口実に来てんだろーが」
「何だ靖友知ってたのか」
「バレバレだっつーの」

嫉妬する自分はあまり好きではない。
でも新開も同じ気持ちでいてくれるのなら、この感情もそう悪いものでもない。
新開の袖を引っ張り、今度は名前が耳打ちする。

「私も大好きだよ」

一気に新開の顔が赤くなる。
荒北は「甘ったるいニオイさせんなよ」と呆れている。

「知らなかった?」
「……知ってたぜ」




prev*next

back

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -