*それはあなたの前だから


明早大学自転車競技部。
苗字名前がその部室を訪れたのは、入学から1週間が経ってからだった。
入学式、ガイダンス、ゼミ、そしてバイト。決めることばかりの1週間をこなし、ようやく辿り着いた。

「箱根学園のマネージャーをしてたのか?」
「はい」

入部届けを記入しながら4年の主将からの質問に答える。

「じゃあ心強いな。これから宜しく頼む」
「色々と教えていただくことが多いかと思いますが、宜しくお願いします」

箱根学園のマネージャーというのは相当なインパクトがあるようで、先輩マネージャーは興味津々といった様子で話しかけてくる。

「箱学ってことは新開くんや福富くんと同じだったんだよね?」
「そうですね」
「カッコいいよね、モテたでしょ?あの2人。特に新開くん!」

自転車推薦で入学した福富と新開はひと足早く春休みから部活に出ていた。先輩たちともある程度顔見知りになっている。
それが早速これか。

「そうですね、モテてましたね」

モテていたことは事実なので隠すことはない。問題は次なのだ。

「新開くんって彼女いるの?」
「え?私、彼女いるって聞いたけど」
「マジで?」

当人である名前を置いてけぼりにして目の前で盛り上がる。だがそのうち「どんな子か知ってる?」と答えにくい質問が飛んでくるに違いない。嘘をつくつもりはないが、なるべく刺激しない穏便な返しは何かを考えていると部室のドアが開いた。

「あ、名前がいる」

福富と新開が揃って入ってくる。すでに2人ともジャージを着ており、汗が滲んでいるところを見るとひとっ走りしてきたのだろう。
先輩マネージャーは噂の当人が来たことで後ろへ下がってしまった。噂をする人とはこういうものだと名前も経験で知っている。

「苗字。遅かったな」
「ごめんね。遅くなって」
「問題ない。また宜しく頼む」
「オーケー寿一!」

新開の真似をして答えると、少しだけ福富の表情が緩んだ。
そしてやり取りをしている名前の隣にいつの間にか並んだ新開が小声で呟く。

「男たちの目の色が変わってんなぁ…」

新開が周りの先輩や同級生を見渡してため息をつく。

「それ、そっくりそのままお返しするわ。さっきそれで絡まれたんだから」
「はは。彼女いるって言ったんだけどな」
「わかってる」
「彼女いるか聞かれても『誰か』なんて聞かれないからなぁ」

まさかその彼女が数日後マネージャーとして入部してくるはずなのでよろしく、とも言えまい。名前としても言ってほしくはない。かと言ってこのまま周囲に黙っているのは不自然な気もする。

「新開、次行くぞ」
「サンキュー。寿一」

福富が渡してきた新しいボトルを受け取るのを見て、名前はふと思い出した。

「そう言えば隼人。パワーバーのストックある?」

すでに部室の入り口まで移動していた新開も特に驚くこともせず自然に答えていた。

「実はあまりないんだ」

やはりそうだと頷いて、名前は口を開いた。

「じゃあ今日取りに来て。用意しておいたから」

その時、部室中の音が止んだ。
どう考えても自分の今の言葉に反応したとしか思えないタイミングだ。
視線の先にいる新開を見れば、困ったように眉を下げて肩をすくめる。

「名前ってさ、しっかりしてるようで実はうっかりだよな」

先程の自分の発言を思い返してみること数秒。

「…………あ」

理解した名前に苦笑してから新開は手を振って部室を出ていく。

「まぁそこもカワイイけどな。パワーバー、取りに行くから一緒に帰ろうぜ」

もうごまかしはきかないだろう。
その後名前は部室に残った部員やマネージャーに取り囲まれて全てを洗いざらい話をすることで明早大学自転車部の初日を費やしたのだった。




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