12 Junuary
玄関を出ると冷たい風が頬を撫でていった。身震いをしながら鍵を閉めると、名前は速足で進んで行く。
数日前から頭の中で何度もシミュレーションをしてみた。いい結果は思いつかなったが止まる気はない。
「おはよう!」
「ヨォ。今日はどこ行くゥ?」
春には見ることができなかった彼の横顔。躊躇いもせず荒北が名前の隣に座る。
毎週月曜1限。多くの学生が眠い目をこすっている空間。いつからか名前はそこへ行くことが待ち遠しくなっていた。
「今日は……考えてこなかったな」
少し影を落とした名前に荒北が眉をひそめる。
「ねえ荒北くん。今日がこの講義の最終日って知ってた?」
「知ってんヨ。早く春休みになってもっとチャリ乗りてーからな」
「あはは。私はもっとバイト入れたいな」
「んで?今日が最後だから何だってェ?」
荒北は気付いていないのだろうか。名前と荒北をつなぐものがこの講義だけだということに。この講義が終わってしまえば、荒北はもう名前と会うことも一緒にラーメンを食べに行くこともなくなるのだ。
春になったら野球を見に行こうと言ってくれた。でもそれは名前を泣き止ませるために出ただけの言葉ではないだろうか。
(それで…いいのかもしれない)
名前は荒北の過去を掘り返した。決して楽しいものではなかったはずだ。それでも荒北は向き合ってくれた。今も名前を避けずにこうして話かけてくれる。
これ以上名前のワガママに荒北を振り回すことはできない。
「私、この講義取ってよかった」
名前は真っ直ぐに荒北の目を見て微笑んだ。
荒北はそんな名前に何を思っただろう。眉間の皺がますます寄っていく。
「私、荒北くんに結構ワガママ言ってきたと思うんだけど」
「主にラーメン関係な」
「うん。でも、今日は少し違うんだ。最後にもう一つワガママ聞いてくれる?」
名前がそこまで言うと教授が教室に入ってきた。それまでそこらかしこで聞こえていた雑談が消えていく。
「聞かねーヨ」
静まった教室に荒北の声が響く。
「最後のワガママなんて聞かねーヨ」
荒北の視線は名前の方ではなく前方にあった。
険しい顔と突き放された言葉に名前の目の奥からこみあげてくるものがあった。止められなくて反射的に下を向くと、強く腕をつかまれた。
「フケんぞ」
「え!?」
「どーせ最終日だ。単位に支障もねェし、フケてもいーだろ」
いいか悪いかで言えば良くはないだろう。まして教授はもう教室に来ている上に今の会話も耳に入っている。厳しい表情でこちらを睨んでいるのに荒北は全く気にしていない。
そのまま片手で名前の腕を、もう片方の手で名前の自分と名前の荷物を持って席を立つ。引きずられるように名前も荒北の後に続く。
教室を出た後もそのまま荒北に連れられて無言で歩いていき、真冬の風の吹きつける中庭まで来てようやく腕が放された。
「どうしたの?急に…」
「急じゃなかっただろ」
「いや、急でしょ」
「チャリのスピードに慣れすぎて、こんなゆっくりなこともあるんだって思い出した」
「何のこと?」
荒北はガシガシと頭を掻いて、やっと名前の目を見た。
「ゆっくりだけど変わるんだよ。人も、人の関係も」
家を出た時は冷たかった空気が今は何も感じない。名前の周りを避けている錯覚すらある。その代わりに名前の体中の熱が恐ろしい速さで上昇している。
「変わったのはオレだけか?」
「私は………」
「オレに言いたいことがあるなら聞いてやる。ワガママでも何でも。でもそれは最後じゃねェ」
目の奥から再び熱いものが迫ってくる。しかしさきほどの教室でのそれとはまるで意味が違うものだった。
「ずっとオレの隣でワガママ言ってろよ、名前」
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