11 Junuary


「止まったァ?」

荒北はラーメン屋の席でポロポロと涙を零す苗字を頬杖をついて待っていた。ハンカチなど気が利くものは持っていない。タオルは部室のバッグの中だ。

「ごめん」
「なんでおまえが泣くのかはこの際どーでもいいから早く泣き止めよ」
「わかってるんだけど止まんなくて」

周囲の客が荒北たちの席の異変に気付いてチラチラ視線を投げてくる。
ラーメン屋で修羅場など聞いたこともない。第一修羅場でもない。

「荒北くんが何か泣き止みそうなこと言ってくれたら止まるかも」
「ハァ!?オレかよ!?」
「自分じゃどうしようもないんだもん」

苗字が潤む目で荒北を睨んでいる。
まるで荒北が泣かせたとでも主張しているようだ。
そもそも荒北に女の子を泣き止ませるスキルがあるとでも思っているのだろうか。

(いや、こいつは普通の女じゃねぇーな)

荒北と一緒にいて笑う。一緒にラーメンを食べたいと言う。荒北が何を考えて走っているか知りたいと言う。苗字を他の女子と一括りにする理由はどこにもなかった。

「おまえ、野球好きだったよな」
「うん」
「じゃあ見に行くか、野球。シーズン始まったらだけど」

苗字が喜びそうなことと言えばこれくらしか思いつかなかったのだが、当の苗字は驚きでこれ以上ないくらいに目を丸くしている。
どうやら涙は止まったらしい。
しかし荒北の意図とは少しはずれていた。
喜んで食いついてくると予想したのだが、どうしてそんなに驚かれるのか荒北の方が困惑してしまう。

「何?行かねーの?」
「……荒北くんは野球嫌いじゃないの?」

そうか、と納得する。
苗字が野球の話をしたのは出会った時と、初めて2人でラーメンを食べに行った時、それだけだった。意図的に避けていたのだろう。だいぶ気を遣わせていたらしい。そしてそんなことに気付かなかった自分も情けない。

「あー…あのさ、確かに少し前までは嫌だったけど今はそんなじゃねーから。おまえが気にすんな」

怪我をして野球ができなくなった。
それから野球の文字を見るのすら嫌悪した。
無邪気にただ白球を追って笑っていた自分は眩しすぎる。
自分が暗いところに立っている気がして黒くて重い感情に飲み込まれてしまいそうになった。

(オレはそれを思い出したくなかったのか)

思い出したらまたあの黒い何かに飲み込まれてしまうのではないかと恐れていた。
だが時は経った。
自転車と出会って、仲間と呼ぶ人間に囲まれて、いつしかそれは過去になっていた。

『これが荒北靖友だって言ってるみたいだったよ』

今の自分があれば、昔を思い出したところでそれはただの過去の自分だ。

(こいつは昔のオレも今のオレも知ってる)

それでも今の荒北を知ろうしてくれているらしい。
こうしてラーメンを食べたり、わざわざレースを見に来たり、自転車に乗っている理由を知ろうとしたり。

(普通だと思う方が無理だな)

どう考えても荒北にとって特別な存在以外にありえない。

「おまえが野球の話をしたいんだったらすればいい。それくらいで不機嫌になったり、おまえを避けたりはしねェから」
「荒北くんが我慢しなくていいよ」
「我慢とかじゃねーヨ。もういいって思ってンだ」

諦観や逃避ではなく、荒北の中ではそれを過去として受け入れる器ができていた。今まではそれを知らなかっただけだ。目を背けなければこんなにはっきりわかることだった。

「見に行こうぜ、野球。好きなんだろ」
「…うん、好き」

一瞬、自分のことを言われているのかと思った。
しかし目の前ではにかんで微笑む苗字に、もう野球のことでも自分のことでもどちらもでもよくなってしまった。




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