10 Junuary


それを尋ねるのにはとてつもない勇気が必要だった。
名前は荒北が好きだ。
今の関係も決して悪いものではない。荒北と過ごす時間は名前にとって少しの緊張と居心地の良さが同居する特別なものだ。それを壊すことは本望ではない。
しかしこの話題を避け続けていては2人の距離がこれ以上縮まることはない。これは勘でしかないが、なぜか名前は確信していた。

「何で…」

荒北はそれ以上言葉が出ないようで名前から目をそらす。
やはりこの話題はタブーなのだと実感しつつも名前は続けた。

「中学の途中で野球をやめる理由なんて怪我くらいだよ。荒北くんはその後で自転車やってるから脚ではないだろうし、だったら肩か肘でしょ」

名前の冷静な分析は間違っていなかったらしい。荒北は否定することなく押し黙っている。そして無意識だろう、右肘に手を添えていた。

「肘……」

名前の呟きに荒北がハッとして肘から手を離した。その様子に荒北の中で人生を左右するくらいに大きな出来事で名前が簡単に触れていいことではないことは理解できた。だが、名前は踏み込むことにした。

「荒北くんはどうして自転車やろうと思ったの?」

少し考えればわかる。
荒北のいた箱根学園には野球部がない。荒北は野球から遠い場所へ行こうとした。それは気持ちの整理ができていなかったということだ。少なくても、潔く諦めたわけではなかっただろう。

「おまえは…」

ゆっくりと荒北が口を開く。

「おまえはどう思った?この前のレースを見て」

正直驚いた。「関係ない」と一蹴されることすら予想していたが名前の感想を求められるとは微塵も考えていなかった。
荒北は下を向いたままなのでその表情はわからない。

「荒北くんは何を考えて走ってるんだろうって思ってた」

ごまかしても仕方ない。自分の気持ちがばれてしまうかもしれないが、ここまで来た以上どう足掻いても良い方か悪い方、どちらかにしか転ばない。

「荒北くんが自転車を選んだ理由がわかるかもしれないって思って見に行ったよ。でもわからなかった。私にわかったのは、自転車はペダルを回すことでしか競えないってことだけ。すごくシンプルだからごまかしもきかなくて、正直怖い競技だなって思った」

わかったこともわからなかったことも、名前が抱いたそのままを伝えた。
すると荒北が再び問いかける。

「怖い、か。それはスピードとか怪我とかって意味じゃねーんだよな?」
「違うよ。自分が丸裸にされるみたいって意味。弱気も油断も全部見えちゃうでしょ」
「じゃあオレはどうだった?」

ようやく荒北が顔を上げる。

「オレの走りはどう見えた?」

名前の目を真っ直ぐ射抜く。それはあのレースの時に垣間見た獣を彷彿とさせた。
緊張で喉が渇く。しかしここで目を背けてはいけない。相手は獣だ。隙を見せたら飲み込まれてしまうのだ。

「獣みたいだった。狙った獲物は食らいついて放さない野獣」
「他は?」
「これが荒北靖友だって言ってるみたいだったよ」

隠すものなどない。必要もない。今走っているのが荒北靖友なのだと。名前はやっと荒北という人間を見た気がした。
そこまで聞くと、荒北はゆっくりと天を仰いでからもう一度名前に向き合った。

「中2の夏、肘をやった」

静かな声だった。

「で、野球から逃げた。っつーか全部から逃げた。原チャ乗り回して無茶してそれでもスッキリしなくて、そん時ある奴に出会って自転車を知った」
「そっか」
「それからは前しか見てねぇ。前見ねぇと進まねーからな、チャリは」

交差した視線の先には少しだけ揺らいだ荒北の瞳があった。
しかしそれは痛みではなく、過ぎた時に対しての寂しさと懐かしさが絡み合っているように見えて、なぜか名前は涙が止まらなくなった。




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