08 December


うだるような暑さの日だった。
中学生だった名前は夏休み中にもかかわらず学校に来ていた。なぜ学校に来ていたのかは覚えていない。部活だったのか、図書室に用があったのか。とにかく暑くて早く帰りたいと思っていたことは記憶にある。
足早に校庭の前を通りかかって、その日野球部が他校と練習試合をしていることを知った。暑い中よくやるなと冷めた目を向けるとちょうど試合が終わったところだったらしく、選手が整列して頭を下げていた。
得点板を見るとどうやら自分の中学は負けたらしい。しかも1点も取れていない。
自分の中学が特別に弱いという話は聞かないのでおそらく相手のピッチャーがよかったのだろう。そう思っていると、選手の話声が耳に入ってきた。

「ナイスピッチング、荒北!」
「荒北スゲーな!」

どうやら“荒北”というのが相手のピッチャーらしい。
得点板からグラウンドの中心に視線を移すと、選手の輪の中心で楽しそうに笑う姿が飛び込んできた。
自信に溢れていて、それでいて無邪気に楽しむようでもあって、全身から野球が好きだという感情が溢れていた。


***


(あれが私の初恋だったんだな)

その時は全くそんな風には思っていなかった。名前は彼のことよりも、彼を笑顔にさせる野球というスポーツに興味を持った。だからルールも覚えてプロ野球のTV中継は食い入るように見た。一度だけ野球部の男子に荒北のことを聞いたことがあるが、彼は2年の途中で野球部を辞めたということしか聞けなった。
高校に入ると名前は野球部のマネージャーになった。その頃には野球そのものの虜になっていて、きっかけを作った“荒北”がそれからどうしていたか調べることもなかったのだ。

(でもすぐ名前が出てきた)

大学で彼を見た瞬間あの“荒北”だと思った。
彼の姿を見たのはあの夏の日だけだったというのに記憶を辿ることもなく反射で口から出ていた。

(全然興味のない野球を好きになっちゃうくらい衝撃的な出会いだったってことだもんね)

そして先日のレースで見た荒北は、あの日と同じ顔で笑っていた。

(思い出した。私、たぶんあの夏に荒北くんの笑顔に恋したんだ)

それが野球という違う方向性へ行ってしまったのは名前自身が恋愛ごとに鈍感なせいだろう。
そして再び同じ笑顔を見て、当時よりも少しだけ成長した名前はようやく自覚することができた。

「同じ人を2回も好きになるなんて…」

あの日レースで見た荒北の笑顔に、揺れていた名前の心はあるべき場所へストンと落ちてしまったのだ。


***


クローゼットの中からコートを取り出した。
自転車競技というものは冬はオフシーズンらしい。野球と一緒だ。そのため荒北も遠征にいくことが減った。つまり名前と荒北がラーメンを食べることも少なくなった。

「次の遠征っていつ?」

隣の席の荒北についつい聞いてしまう。
好きだと自覚してしまったからには一緒にいたいと思うのだが、荒北は突然の問いかけに困惑している。

「何だよいきなり」
「最近ラーメン食べてないなって」
「……ああ、なるほどな」

ちょっと思わせぶりだっただろうか。しかし言葉をそのまま受け取った荒北は納得したようだった。少し考える間の後、名前の方をじっと見てきた。

「おまえラーメン食べてぇの?」
「食べたい」

正確には荒北と一緒にいられればラーメンでなくてもいいのだが、ラーメンが好きなのも嘘ではない。

「ふーん…なら今日行くか?」
「え?いいの?」
「その代わり奢らねぇからな」

荒北はそう言って講義のノートに視線を戻した。まさか今日すぐ行けると予想もしていなかったので今度は名前の方がとまどってしまう。
迷惑だとか、面倒だとか思っていないだろうか。不安になるが荒北の表情は変わらずその内心を推し量ることはできなかった。




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