06 September


荒北靖友という人間について知っていることは多くない。
中学時代に野球をやっていたこと。
高校から自転車を始めたこと。
努力を苦に思わないこと。
ラーメンが好きでたくさん食べること。
口が悪いこと。
なのに意外に人の気持ちを察することができること。


***


自転車レースというものはこんなに人が集まるものなのか。
同じスポーツとはいえ畑違いの名前には驚きばかりだ。
まずスタート地点にあの大勢の選手が集まっていることから圧巻だ。レースが始まってからは想像以上のスピードに言葉も出なかった。細かいルールは知らないが、名前にとっての移動ツールである自転車は彼らにとって戦う武器なのだろう。

(見てみないとわからないことってあるよね)

数日前、金城に自レースを見に来ないかと言われた。1年生ながら金城も荒北も出場するらしい。名前は「ちょうどバイトないし行ってみようかな」と答えた。しかしその後にバイトのシフトを変わってもらうために四苦八苦したのは誰にも言えない。
なぜこのレースを見に来る気になったのか。誘われたから、だけではないことはもう名前自身も気付いていた。
知っているようで知らない荒北靖友という人間。
彼を構成するものの中心にある自転車を見なければおそらく彼のことを理解できない。そして彼を理解できなければ、名前のこの心に燻っている何かも言葉にできない。
来れば何かわかる保証もないが、じっとしていることはできなかった。

(野球より怪我が多そう)

実際落車している選手もいた。裂傷だけで済めば御の字だ。それくらい危険なスポーツであることはわかった。
そこに身を投じている選手は何を考えて走っているのだろうと純粋な興味が沸く。
1位になることは目標だろう。しかしそれだけではない何かが彼らを突き動かしているはずなのだ。それは個人で違うのかもしれない。
荒北は何を考えてペダルを回しているのだろう。

(来る……!)

ゴールゲート前、先頭の数人が近づいてきて、その中にしっかりと荒北の姿を見つけた。
瞬間、名前の背筋がゾワリとする。

(これが荒北くん)

荒北の姿はまさに飢えた野獣だった。目の前のゴールという獲物しか見えてはいないだろう。
荒北が少し前に出た金城の背を押した。同時に他校の選手も金髪の選手の背中を押す。
名前は息をするのも忘れていた。全身がレースの空気に侵食されて駆けていった選手たちの背を見つめる。
一瞬の静寂。そしてひと際大きな歓声があたりを埋め尽くしたことで決着がついたことがわかった。
ゴールラインを駆け抜けていったのは誰だったのだろう。気になってゲートに近づいてみる。その途中、スピーカーから『優勝・明早大学』というアナウンスが聞こえた。続いての2位が名前たちの洋南大学だった。

「苗字」

結果をしてゴールゲート近くで立ち止まっている名前を低い声が呼ぶ。

「金城、お疲れ」
「ああ。せっかく来てくれたのに優勝できなかったのは申し訳ないな」

金城は本当に申し訳なさそうな表情をしている。

「私はレースのこと全然わかんないから結果については何も言えないんだけどさ。とにかくすごかったよ」

名前がそう告げると、金城がおかしそうに肩を揺らした。

「苗字のそういうところはとてもいいな」
「そういうところ?」
「無意味に『2位でもすごい』とか『頑張ってた』とか言わないところだな」

金城に言われても名前にはピンとこない。
頑張っていない選手などいないし、2位ですごいかどうかは選手たちが決めればいいだろう。部外者の名前がどうこう言えることではない。
首を傾げる名前に金城は「わからないならいい」と微笑んだ。

「そういう苗字だから荒北はそばにいるんだろうな」
「…そういえば荒北くんは?」

金城の隣に荒北はいない。

「荒北は明早大の奴と話していると思うぞ」
「1位だった明早?」
「ああ。明早には荒北の高校時代のチームメイトがいるからな」

金城の指差した先には明早大のテントがあった。
そこに明早のジャージを着た選手と、緑のジャージを着た荒北が並んで話していた。

「……!」

相手の肩を叩いている荒北は笑っていた。
その笑顔を名前は知っていた。
ずっとずっと前に見たことがあった。
どうして名前が隣の中学だった『荒北靖友』を知っていたのか。
どうして大学生になった今でも覚えていたのか。
名前の心に燻っていた感情。
それを表す言葉を名前はようやく見つけた。




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