*チョコレートをください


夏休み前。文化祭前。クリスマス前。告白のタイミングは度々ある。

「名前はチョコどうするの?」

バレンタインも当然だが恋人同士になるためのイベントだ。
当日まであと1週間。女子はチョコを買ったり手作りのための材料を揃えたりと余念がない。その中何一つ手をつけていない名前ははっきり言って異端だった。

「自分チョコ買って終わりかなー」
「は!?」

お昼を囲んでいたクラスメイトの女子たちが殺気立つ。人のチョコでそこまでムキになるとは。名前は自分の性別を棚に上げて女子とは不思議な生き物だと思う。

「名前のチョコもらいたい男子がどれだけいると思ってんの?」
「そんなこと言われても」
「名前は渡したい人いないの?」
「渡したい人ねぇ…」

好きな人はいる。
しかし告白したいかと言われれば答えはNOだ。だからチョコも用意する気はないのだが、そんな名前の胸の内をクラスメイト達が知るはずもない。

「東堂くんとか新開くんとかいるでしょ!」
「私はマネージャーでファンクラブの人じゃないから…」
「福富くんは!?」
「チョコよりアップルパイの方が喜びそうだよね」

一斉にあり得ないものを見る目が向けられる。
渡す予定はないのだ。本当に。


***


「苗字のチョコが話題になっているぞ」

放課後の練習時に福富が真面目な顔で伝えてきた。
福富が自ら雑談をしてくることも珍しいのに、こんな下世話とも言える話題に乗ってくるとは露ほども思わず名前は固まってしまった。
いや、福富にこんなことを言わせるほど噂になっているのかもしれない。

「話題と言われても困るんだけどね」
「新開に渡さないのか?」
「渡さないよ。…………って、ええぇ!??」
「間違いだったらすまない」
「間違い…じゃないけど」

福富に嘘はつけずあっさり認めてしまう。
そして我に返り慌てて周囲を見回した。
福富が気を遣ってくれたのだろう。周りには誰もいないタイミングだったようで胸をなでおろす。

「私そんなにわかりやすい?」
「そんなことはない。だが毎日近くにいるからな」

福富と恋バナ。荒北が聞いたら卒倒してしまいそうだ。

「で、なぜ渡さないんだ?」
「えーと…別に私は新開と付き合いたいとか思ってなくて」
「好きなのにか?」

こくりと頷く。
福富は珍しく不思議だというように表情を浮かべて名前を眺めている。

「今1番大事なのは自転車でしょう。自転車のことを考えるなら、私と付き合わない方がいい」
「アイツが速いのは誰の目にも明らかなのだがな」
「だからだよ。私は新開の弱点だから」

1年で上級生をしのぐ新開の実力をよく思わない者は少なからずいる。
その新開が名前を独占する事態になれば、その嫉妬心を必ず煽る。
名前が裏から手を回したと根も葉もない噂すら立ちかねない。
それだけは避けなければならない。
新開は文句なしに箱根学園のエーススプリンターにならなくてはいけないのだから。

「苗字が新開のことを大事に考えていることは知っている」
「改めて言葉にされると恥ずかしいんだけど」
「しかし付き合わなくてもチョコは渡せるだろう。アイツは欲しがっているはずだ」


***


バレンタイン当日は男子も女子もどこか緊張していて居心地が悪い。
それに加えて、あれだけ誰にも渡さないと明言したのに名前が誰にチョコをあげるのか注目されているのだから迷惑極まりない。
教室にいるのが嫌になり昼ごはんは別の場所で食べようと逃げ出した。
中庭も屋上も見つかりそうで、果てには普通に部室にいても見つかりそうなので、誰もいないのをいいことにロッカールームに入り込んだ。
朝練があったので若干汗の匂いがするがこの際文句を言っている場合ではない。購買で調達したパンを食べ切って、喉を潤しているとガチャリとドアが開く。

「え?苗字?何してるんだ?」

男子のロッカーで紙パックのジュースを飲んでいれば誰でもそう聞くだろう。だが、名前が返答できなかったのは入ってきたのが他でもない新開だったからだ。手にした紙袋にはたぶんたくさんのチョコがあるはずだ。

「お邪魔してます」
「昼飯か?こんなところで?」
「こんなところだからだよ」

名前の言い回しに思い出すことがあったらしい新開は「あー」と納得したようだ。

「隣いいか?オレもここで食べる」

答えを待たずに腰を下ろす。チラリと見えたが、紙袋にはやはり大量のチョコが入っていた。1年生でこの状態では3年になったらどうなるのだろうか。
名前の視線に気付いて新開が決まり悪そうに頬をかく。

「断る理由がなくてさ…」
「新開、チョコ好きだしもらっておけばいいじゃん」
「そういうことじゃないだろ」
「断らないなら、そういうことでしょ」

人の好意を受け取るのだ。仕方なくなんて言ってはいけない。
名前の言葉はしっかり新開に受け止められたらしい。

「やっぱり断ればよかったな」
「何て言って断るの?」
「好きな子からしか受け取らない、とか」

多分に含むところがある言い方だ。
これ以上掘り下げたくなくて名前は沈黙を選ぶ。

「苗字は本当にチョコ用意してないのか?」

ギクリとする質問に思わず新開を振り返る。
新開に真摯な瞳で名前を見つめている。からかいや挑発するつもりの発言ではないのは明らかだった。
だから名前も軽く躱す言葉を見つけられなくて、見つめあったまま時間が過ぎた。

「欲しいな」

均衡を破ったのは新開で、さきほどまでの緊張感が嘘のように柔らかく微笑んだ。

「苗字のチョコが欲しい」

新開があまりに優しく笑うものだから虚勢を張る気も削がれてしまった。
教室に置いておけずに持ってきた鞄を開け、ラッピングされた箱を取り出して差し出す。

「どうぞ」
「やった!ありがとな!」

頬を赤らめた新開が宝物のように丁寧に受け取るのでくすぐったい気持ちになる。

「義理!義理チョコだからね」
「義理チョコね。オーケー、そういうことにしておくよ。でも何で用意する気になったんだ?誰にも渡さないって聞いたけど」
「やっぱり知ってたんだ」
「あれだけ噂になればな」

隣のクラスにも噂は伝播していたらしい。本当に迷惑な話だ。

「教えない」

福富に言い負かされて納得してしまったなんて言うものか。恥ずかしいし、悔しい。
新開が今渡したチョコを掲げながら笑う。

「苗字からもらえるなら、他のチョコ断ればよかった」
「…何て言って断わるつもり?」
「知りたい?」

今度こそ挑発する口ぶりだが、そんな気持ちが駄々漏れた顔では効果は限りなく薄い。

「知りたくない」
「はは。手強いなぁ苗字は」

素っ気なく言ったはずなのに新開の表情は曇るどころか崩れていくばかりで。
チョコ1つでこんな風になるなら、来年は少しひねりを加えてみたくなる。
白葉が来年も新開へチョコをあげることを疑いもしない自分に気付くまであと数分―…。




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