[終]03
卒業式の前日にした。
当日は時間がないだろうという配慮もあったが、すっきりした気持ちで送り出したいという我がままなのが本音だ。
空はあの日と同じように雲ひとつない青色だった。
「すみません。忙しいのに呼び出して」
「いいよ。退寮準備もほとんど終わってるんだ」
退寮。当たり前のようにいたのに、もうすぐいなくなってしまうのか。同じ部活、同じ高校。考えてみれば、自分と彼女を繋ぐものはそれしかなく、来月にはその全てが白紙となるのだ。
「改めて、合格おめでとうございます」
「ありがとう」
遠くを望む眼差しに憧れた。
笑ってくれた。
怒られたこともあった。
「ねぇ、ちょっと座って話さない?」
彼女が指差したのは中庭の方向だ。
黒田は頷き、彼女の横を歩いた。
頭一つ小さな背、細い腰、すらっと伸びた手足。全て自分が触れることは許されない。触れてもいいのはあの人だけなのだ。
「黒田って自分の感情を隠さないじゃん?荒北の挑発にもまんまと引っ掛かってさ。最初は単純な子だなぁと思ってたんだけど」
「さすがに言っていいこととそうじゃないことくらい選べよ…」
「あはは。ごめん。でもさ、そのくらい全力で来られると本気で返したくなっちゃうんだよね。荒北もそうだったと思う」
「あの人は負けず嫌いなだけでしょ」
「本気で返したいけどさ、黒田と私の本気って根本的なところでは重ならないんだよ」
「そうでしょうね。アンタはオレのこと好きってわけじゃないんだし」
自分の本気は空回りなのだ。そんなこと知っていた。彼女が見ていたのはいつでも彼一人だった。たぶん、彼女自身よりも黒田の方がよく知っている。
「ごめん。ありがとう。嬉しかったよ」
同じ部活でも同じ高校でもなくなって、全て白紙に戻って、それでも彼女の中に自分は何か残すことができただろうか。心の片隅にどうしても落ちないシミのような存在でいいから、彼女の中から自分が消えなければいい。
「苗字名前さん」
告白というのはもっと心臓が破裂するくらいドキドキするものではないのか。1年と少し前も同じことを思った。苗字へ想いを告げる時なぜか心は穏やかに凪いでいく。
「オレはあなたが好きでした。とても、好きでした」
本当は今でも好きで、できることなら泣かれてもいいから抱き締めたい。それができないのは苗字に嫌われたくないからだ。それくらい彼女が好きなのだ。
「私は真っ直ぐ追いかけてくれた黒田を忘れないよ」
こんな時でさえ1番ほしい言葉をくれる。
ああ、本当に大好きだった。
「あの…一つお願いがあるんですけど」
「何?」
「結婚式呼んでください」
全く予想もしていなかっただろうお願いごとに、苗字はポカンとしている。
「気が早くない?」
「別に新開さんに限ったことじゃなくて、アンタの結婚式に出たいんだよ」
「ああ、なるほど…?」
おい、そこはせめて相手は新開だよと言ってやれ。
やっぱりどこか抜けている人だ。新開もよく捕まえていられるものだ。
「で、呼んでくれんの?」
「それはいいけど…」
ずっと考えていた。
この人の未来にどうしたら自分が存在できるのか。
頻繁に会う仲でもなく、遠い未来に再会を約束する関係でもない自分たちがどこですれ違うことができるのか。
(やっぱり笑っている姿がいい)
好きな…好きだった人の1番幸せな瞬間を見られたらいい。
「黒田にブーケあげようかな」
「何でオレより早く結婚できるって確信してんの?」
「それなら第2ボタンにする?」
少しだけ心が揺らいだのは否定しない。
「女からもらうとかねーし。っつーかそんなのもらったら新開さんが怖ぇよ」
「じゃあ黒田の第2ボタンちょうだい?」
何を言っているのだろうこの人は。
第2ボタンの意味をわかって言ってるのか。そもそも黒田は卒業生ではない。
「貰ってどうすんだよ」
「お守り?」
「それオレが死んだみたいだからやめて」
「冗談だよ。約束忘れたくないから、ちょうだい?」
「……本気で呼んでくれんの?」
「うん。そのつもりだけど」
この話を新開が聞いたら倒れるんじゃないだろうか。
なぜ苗字の手に渡るのが新開ではなくて黒田の第2ボタンなのだ。
「約束だと思ってくれるんだな」
もしかすると、新開とすら約束していない未来に黒田はいられるのかもしれない。ほんの少しの優越感に頬が緩む。
ブチッと乱暴にボタンを引きちぎる。
明日の卒業式で担任に怒られるかもしれない。
「ホラ」
「ありがとう」
受け取った苗字は柔らかく微笑んだ。
自分が隣にいる必要はない。
だけど、どうかこの笑顔がずっと未来まで続きますように。
「明日ちゃんと言えるかわかんねーから言っとく」
黒田が言わんとすることは、苗字にはわかっているようだった。背筋を伸ばしてその言葉を待っている。
「ご卒業おめでとうございます」
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