02


「苗字さん、相談なんですけど」

最近、苗字と話すことが増えた。
黒田がそのことに気付いたのは新開の事件から半月が経った頃だった。
正確には話を中断されなくなった。そしてその原因に思い至る。苗字と黒田が話している時に、苗字を呼び寄せていたのはいつも新開だったことに。

(それってもしかしなくてもアレだよな)

苗字と新開が付き合っていたとは聞いていない。

(でもあの時、ああそうだあの時も、そういえば…)

挙げればキリがないほど、新開は黒田が一歩踏み込もうとした瞬間を狙ったかのように声をかけてきた。
牽制だったのだろう。
黒田自身も気づかないくらいに行われていたそれを、苗字は気付いていたのだろうか。

(気付かない人じゃない)

そしてそれを許していた。
付き合ってはいなかったはずだ。だが新開は苗字を、苗字は新開を想っていた。理由はわからないが、お互い知っていて関係を維持してきたのだろう。

(だからか)

新開がインターハイを辞退したあの日。福富は新開を追っていった。そしてなぜか東堂は苗字のところへ向かった。なぜ苗字のところなのかと引っ掛かっていたのだが、事態が事態なだけに些末なことに思えてそれきり考えもしなかった。

(だから東堂さんは聞いたんだ)

「行かなくていいのか」

(あの人はなんて答えたっけ)

「行かないよ。私はマネージャーだから」

何てことだろう。
問いただせばいいのに。
責めればいいのに。
泣けばいいのに。
だがそんなこと彼女はしない。
自分と新開の関係は選手とマネージャーでしかない。
心の底からそれだけだと思っているはずはない。
しかし自分たちが選んだその道を貫き通すつもりなのだ。

「馬鹿みたいに真っ直ぐだな」

そして、そんな彼女が好きだ。
どれだけ傷ついても信じる強さを持った彼女が愛しい。

「自覚した瞬間に失恋かよ」

自嘲せずにはいられない。
恋敵は戦場を去ったはずだ。
なのに絶対に苗字は自分の方に振り向かないだろう確信があった。


***


こんなにも自分は彼女を探していたのかと呆れる。
黒田が恋心を自覚してから数週間すると、校内で苗字と新開が話しているところを見かけるようになった。それまでは校内で苗字を見かけることはあっても彼女のクラスメイトや同じクラスの東堂と一緒であることが多かった。
2人にどんな変化があったのかはわからない。けれどある日を境に2人は一緒にいることが多くなった。

(無意識に探してるからそんなことに気付くんだ)

知りたくなかった。
新開が眩しそうに彼女を見ている。
彼女は安心した表情で隣に並んでいる。
知りたくなかったのに追ってしまう。
そして1番知りたくなかったのは、新開の隣で笑う彼女を見てほっとしている自分だ。

「黒田またタイム伸びてるね」

部活での苗字は何も変わりがないように見える。
今日も黒田のタイムを見て笑いかけてくる。
でも違うのだ。この顔ではない。
自分がどれだけ求めてもあの微笑みは新開だけのものなのだ。
反応がない黒田に苗字が首を傾げる。

「どうしたの?」
「人生うまくいかないなって思ってました」

適当にごまかそうとしてなかなかの本音が漏れた。
高校生風情が大げさに何を言っているのかと笑い飛ばしてもよかったが、苗字はスッと目を細めて部室の入り口を見つめた。

「…そうだね。でもうまくいってもいかなくても、自分にできることをするしかないんだよ」

黒田ではなく別の誰かに言っているようだった。
もしかするとずっと自分に言い聞かせてきたのかもしれない。
背筋を伸ばして決して俯かない。遠くを真っ直ぐ見据える苗字は、あの夏の日と同じだった。

「オレにしとけばいいのに」

困らせてやろうとした。
苗字の視線が黒田と交差することはきっとない。だから少しだけ卑怯になった。
それなのに苗字は優しく微笑んだ。

「黒田は嘘が下手だね」

(ああ本当に……)

この人が好きだ。
好きで、好きで、とても好きで泣きそうになった。


***


木の葉が色づく頃、新開は再び自転車競技部でペダルを回し始めた。ブランクはあるのだろうが、その走りは他の者の追随を許さない。
新開と苗字は変わらず一定の距離を保っているようだった。一見何もかも元通りだ。

「オレがやるしかないか」

2人が話す姿を見てひとりごちる。
馬鹿だと思う。でもこれしか方法がない。
自分にできることをするしかない。
彼女が言ったことだ。

「苗字さん、ちょっといいですか」

朝練の後に苗字が教室へ入っていくところを捕まえる。
黒田が声をかけると苗字の瞳が揺れた。瞬間に全てを察したのだろう。
彼女が黒田の言葉に動揺したのは初めてだったかもしれない。

「今日の昼休み時間をください」

約束を取り付けるとちょうどチャイムが鳴った。
黒田は自分のクラスへ足を進めるが、午前の授業など頭に入ってこないに違いない。どうせならサボってしまおうか。
窓から見える空はとても澄んでいて黒田の足取りは軽くなっていった。




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