*2人の未来
小さな生き物は庇護欲をそそられる。特にそのフォルムが丸ければ丸いほど増大する。
「ウサ吉ー今日もかわいいねー」
自分の手からキャベツをムシャムシャと齧るウサギ。1年前からここで飼われている元野ウサギだ。ここへ来た経緯は明るいものではないが、こうして目の前にいる存在は名前の疲れを癒してくれる。
「先を越されたな」
「隼人」
飼い主の声にウサ吉の長い耳がピクリと反応する。咀嚼を終えるとヒョコヒョコと新開の足元へ寄っていく。同じように可愛がっているつもりだが、飼い主には敵わない。
大きな新開の手がウサ吉の背を撫でる。
優しい手つきにウサギ相手にいいなと思ってしまう自分が悲しい。
「今日部屋来るか?」
「え?」
「甘えたいって顔に書いてある」
自信満々な新開に悔しくなってふいっと顔を逸らす。自分は今どんな顔をしているのだろう。
「卒業したらウサ吉はどうするの?」
唐突なのはわかっていて話題を変える。名前の不自然さを気にせず新開は笑ってウサ吉を撫で続けている。
「そうだな。オレは寮に入って飼えないだろうからここに置いていくしかねぇかな」
「私が飼っちゃだめ?」
恐る恐る聞いてみる。
名前は無事志望校に合格すれば一人暮らしだ。ウサギであれば飼えるアパートもあるだろう。
新開は名前をチラリと見て首を振る。
「それは嬉しいけど」
「一人暮らしする予定だし、ウサ吉と一緒なら寂しくないし」
「……名前」
「何?」
「明早にしてくれねぇか、志望校」
ウサ吉を撫でる新開の手が止まる。
「名前の行きたい大学に行くのが1番だってわかってんだ」
「隼人」
「やりたいこととか将来のこととかあると思う。でもオレは離れたくない。全部ひっくるめて責任取るから一緒に来てくれないか」
自転車に乗っている時と同じ瞳が名前を捕らえる。
この瞳を向けられる自転車に何度嫉妬したかわからない。彼の本気を遠慮なしでぶつけてもらえる自転車に。
「隼人」
「……無理言ってすまねぇ」
「隼人!」
新開の逞しい腕を掴む。今度は名前が逃さないというように。
「私は隼人のそばにいるよ。私の意志で」
「一緒に来てくれるのか」
「合格したらだけどね」
苦笑してごまかしはしたが、実は他の志望校も都内の明早近くの大学を選んでいる。名前は新開と離れるつもりなど全くないのだ。
新開の嬉しさがこぼれ落ちた笑顔に名前も安心する。ほんの少しだけ一緒に行っていいのかという不安は存在したのだ。だがそれは杞憂だったようだ。
「なぁ名前、一緒に住まないか?」
「嫌」
新開の発言は予想の範疇だったので名前は反射で答えていた。
「即答か」
「即答だよ」
「ちゃんと名前の両親に許可取るから」
「私の許可は!?」
新開と一緒に住んだら毎夜眠れるわけがない。それくらいに愛されている自覚はある。
それは名前にとってはもちろん、新開にとっても好ましいことではないだろう。
その他にも料理ができないという現実的な理由もあるのだが、それはこれから努力するつもりだ。
「4年なんて2人でいたらあっという間だよ」
そう言って微笑むと新開の両手が名前の頬を包んだ。ゆっくり距離が近付いてくる。
「ムグッ」
名前の手が新開の口をガードする。
「ダメ。キスしないで」
「いい雰囲気だったろ」
「だからダメ!隼人止めてくれないもん」
「今の流れだと止められなかったかもな」
「認めるのか」
「名前が一緒にいるとかカワイイこと言うからだろ」
「人のせいか。ウサ吉もいるしダメ!」
2人の横につぶらな瞳で見上げてくる小さな存在。耳を揺らして、鼻を動かして笑っているみたいだ。
「やっぱりウサ吉はここにいてもらおう」
「何で!?」
「ウサ吉が原因で名前が抱けないと困る」
呆れた。
何だその理由は。
こんな可愛くて大切な命を前にして。
「呆れてんな?」
「当たり前でしょ」
「オレにとっては重大な理由なんだぜ。それに泉田と黒田が面倒見てくれるって言ってる」
「それを先に言ってよ。じゃあ安心だね、ウサ吉」
「そうとわかれば、名前」
「ん?」
「夜、部屋来いよ」
耳に新開の息が触れた。低く甘い声に名前の体が疼く。
「お預けくらったんだ。覚悟しとけよ」
耳を甘噛みしてからポンと肩を叩くと、新開はウサギ小屋を出て行った。
「……甘やかしてくれるんじゃなかったのか」
話が違うぞ、と名前はウサギを抱き上げて笑った。
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