*変わらないもの


「何かあったのか?」

空になった夕飯のトレイを返却する。
いつの間にか隣に立っていたのは金髪の親友だ。放課後練も夕飯も普段と変わりなく振舞っていたはずなのに、気付いたのは一緒に過ごした年月が長いせいか。

「オレ何か変か?」
「おまえたちが変だ。一度も一緒にいるところを見ていない」
「いつも一緒にいるわけじゃないぜ」

福富が新開と複数形で括る対象はいつも1人だ。
確かに一昨日から意図的に避けていた。だが、いつも一緒にいるわけじゃないのは本当だ。自分たちは恋人同士というわけではないのだから。

「失礼しまーす」

2人の脇からスッと手が伸びてトレイが置かれる。
今一番会いたくない人間がそこにいた。

「黒田…」
「何ですか?新開さん」
「いや、何でもない」
「ですよね」

先に目をそらしたのは新開だ。ニヤリと笑って黒田は去って行く。

「そういうことか」

福富は表情の変化が乏しいせいで鈍感だと思われがちだが、そんなことはない。人を冷静に見ている。だから今の会話で新開と黒田の間に何があったか察するのも簡単だっただろう。

「なぜ避ける。苗字が告白されることなんてこれまでもあっただろう」

前から黒田の気持ちは知っていた。むしろ自転車競技部にいて知らない人間の方が少ないだろう。
その黒田が彼女に想いを告げた。一昨日のことだ。
福富の質い掛けに返答はせず新開は自室に向かう。しかし福富が逃げることを見逃すはずもない。横にぴたりと並んで着いてくる。

「オレさ、黒田を選んでも仕方ないって思ったんだ」
「新開……」

黒田は迷わない。欲しいもののために色々なものを捨てて真っ直ぐ進んでいる。
自転車も、彼女も、何一つ諦められず遠回りばかりの自分とは正反対だ。
彼女が黒田を選ぶことは何も不自然ではない。

「でも、今まで一度もそんな風に考えたことなかったんだ」
「それは、苗字がおまえ以外の奴と付き合うことを考えたことがなかったということか?」
「笑っちまうだろ」

彼女が告白されることなど何度もあった。その場を目撃してしまったことすらあった。
しかし確信があった。彼女は断るだろうと。
そんなことどうして思えたのか。
自嘲する新開に福富が眉を寄せる。

「あんなことがあって勝手にインハイも辞退して。なのにあいつは黙ってオレの話を聞いてただ静かに泣いてた。責めて罵ってくれてもよかったのに」

子ウサギを腕に抱きながら俯いている彼女の姿は、暗く濁った新開の心を揺らした。
残された子ウサギへの同情でもインターハイを辞退したことへの悔しさでもなく、ただ新開の痛みに触れて零れた涙。指に感じたそのぬくもりは新開の想いを呼び起こしてしまった。
距離を置こうとしたのに、気付けばまた彼女のそばにいる自分に辟易する。

「部活に戻った時も、マネージャーだから前と同じように接してくれてるんだって自分に言い聞かせた。心の中ではオレのことをとっくに見限ってるはずだって」

だから黒田を止めなかった。
本当は誰の手も触れさせたくはない。
この腕の中に閉じ込めてしまいたいという衝動を何度も押さえ込んだ。

「オレから手を離したのに勝手すぎるだろ。そばにいたいなんて」

想うことをやめられないなんて。
こんなにも好きで、大切で、欲しいと思うなんて。

「確かに勝手だな」
「寿一…」
「少し考えればわかることだ。新開、苗字は変わったか?」

福富の視線が新開を射抜く。体が硬直して、口だけが動かされるように開く。

「変わってないんだ、寿一。変わってないから錯覚しそうになるんだ。今でもオレの隣にいてくれる。笑ってくれるんだ」
「苗字は強い。揺るがない。靡かない」

黒田を選んでも仕方ないと、そう覚悟を決めようとしたはずなのに。
なのに何度考えても彼女は断るだろうとしか思えないのはなぜなのか。

「もう一度手を伸ばしてもいいのかな」
「苗字は手を伸ばせば届くところにいるだろう」

彼女はいつだって隣にいてくれた。
福富が『おまえら』と括るほどに。
告白を全て断ると新開が確信するくらいに。
ずっと新開を見ていてくれた。

「オレ、まだ間に合うかな」
「最速を目指す人間が何を言う」

目を閉じれば浮かぶのは彼女の笑顔で、その笑顔を疑いもせず自分だけのものだと思っていたのはいつからだろう。

「ありがとよ、寿一」
「礼を言う相手が間違っているぞ」

福富が肩を叩く。心なしか口元が弧を描いているように見える。
本当に福富には敵わない。


***


翌朝、目が覚めたのはまだ日が昇る前だった。
天気予報を確認しようと携帯を開きかけて、手を止める。
晴れでも雨でも関係ない。
彼女と約束する時はいつでもそうだった。

「会いたいな」

その気持ちだけ抱えて新開は歩き出した。




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