*仕留められた獲物


遠征の帰りのバスは男たちが十数人乗っているとは思えない静けさだ。いくつかの寝息が聞こえてくる車内で、名前は今日のレースのタイムを見直していた。
順調にタイムを更新している者、そうでない者。明日からの練習に結果を活かすべくペンを走らせる。

「苗字」

小さな声と共に大きな体が視界に入って来た。
柔らかく笑う彼が今日のレースで他を圧倒する走りを見せたことを想像することは難しい。

「新開、優勝おめでとう」

名前が微笑んで告げると垂れた目をさらに降下させる。そんなに喜ばれるとこちらが恥ずかしくなってしまう。

「飲み物あるか?持ってたのがなくなっちまってさ」

手には空のボトル。名前は即保冷ケースから真新しいスポーツドリンクを取って差し出す。
「サンキュ」と受け取った新開はなぜか後方の席には戻らず、名前の隣の席を凝視している。

「座っていいか?」

空いている席を拒否する理由も見つからず「どうぞ」と促した。これまで風通しの良かった空間から新開の体温と匂いを感じてソワソワする。

「休んでなくていいの?」
「レースの余韻かな。寝れねぇんだ。苗字は何してたんだ?」
「強化するところと克服していくところの洗い出し。見る?」
「優勝したのに手厳しいな」

冗談のつもりだったのだが、新開は名前の手からボードを取って読み始めている。真剣な横顔に見とれそうになり慌てて視線をそらす。
最近の新開は身長も伸び、男らしくガッシリとした体格になってきた。今までも人気はあったが、最近は先輩女子からの評価も高まっている。自転車以外の部分で騒がれるのはどうかとも思う。しかしマネージャーの立場を無視して考えれば共感できるのも確かで複雑な心持ちだ。

「もっと速くなりてぇな」

ぽそりと呟いた一言は静かに熱を持っていて、名前は現実に引き戻される。

「もっと速くなって2年でインハイに出てさ、リザルト取りたい」

新開なら実現してもおかしくない。事実、今回の優勝でインターハイ出場に限りなく近付いた。それだけでなくリザルトも狙う。王者箱学なら当然かもしれない。だが新開が持っているのはそういったしがらみのない、純粋な速さへの渇望だ。
あの鬼が大観衆の中リザルトラインを越えていく。
想像するだけで血が沸いて体が熱くなってくる。

「リザルト取れるようにサポートするよ」
「苗字がついてたらできそうな気がするな」
「おだてても何も出ないよ」
「じゃあリザルト取ったら?」

意味がわからず首を傾げると、新開は一瞬だけ躊躇ったように見えた。

「リザルト取ったらさ、ご褒美…もらえるのかなって」
「そりゃあリザルト取ったら考えるよ。お祝いしたいし」
「…お祝いか。おめさん普段鋭いくせにそういうところあるよな」

新開の苦い顔にさすがの名前も「そういうことか」と理解した。完全に自転車モードに入っていたので気付くのに遅れてしまった。
逆方向を向いてドリンクを飲んでいる新開はたぶん不貞腐れている。
悪いことをしたなと名前はトントンと肩を指でつついてこちらを向かせる。

「新開はご褒美欲しいんだよね?」
「そういう言い方はちょっとアレだけど……欲しいな」
「じゃあリザルト取ったらあげる」

あっさり肯定する名前に今度は新開が戸惑いを見せる。

「何が欲しいか聞かなくていいのか?」
「別にいいよ。何でもあげる」
「なぁそれってわざとなのか?その言い方すげぇクるからやめてほしいんだけど」

新開が唸りながら俯いてしまう。
自分から勝負を仕掛けておいて自滅するとは。
仕方なく新開が回復するまで再びタイムの紙に目を落とす。
数分無言の時間が流れて、ふと気付いて横を向くと青い瞳がこちらを見つめていた。

「…何でもくれるんだな?」
「何でもあげるよ」
「後悔すんなよ?」
「シツコイ。後悔なんてしないから」
「約束したぜ」

新開にねだられて断ることなんてありえない。
目の前に突きつけられた人差し指は必ず仕留めるという合図。
望むのであれば人生でも命でも。
すでに仕留められた獲物はその全てを差し出すしかないのだから。




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