*晴れの日の約束
雨の音が遠くで響く。見慣れた教室も薄暗くてどこか心がザワザワしている。
この雨では屋内練習のみだろう。荒北と東堂は喧嘩をしながらローラーを回しているかもしれない。
「あれ?苗字だ」
教室の入り口からひょっこり顔を出したのは新開だった。
名前以外誰もいないのを確認して中へ入ってくる。
「日直?」
「うん。委員会もあってね。だいぶ遅くなっちゃった。部活遅れることは先輩に言ってあるから。新開も遅いね?」
「オレは宿題忘れて先生の手伝いしてた」
ちゃんとやりなよ、と言いかけてやめた。昨日はレースだったのだ。マネージャーとして同行した名前は新開がどれたけ力を尽くしたか知っている。
名前の表情からそれを読み取った新開はニッコリ笑う。
「苗字って本当によく気づくな」
「マネージャーだからね」
「誰かが見ててくれるっていいもんだな」
名前も未熟だ。マネージャーを初めて半年と少し。部員全員を満遍なく見られるわけじゃない。福富や東堂、今がむしゃらにやっている荒北たちが特別なのだ。そして新開はその中でも惹かれてやまない。
雨は一向に止みそうにない。ガタンという音とともに新開が名前の前の席に腰掛ける。部活行かないのかと声をかけようとして、やめた。行ってしまったら寂しいと思ってしまったから。
新開は黙って名前の手元を見ていた。
「最近、一緒に昼飯食べてないな」
秋の入り口までは新開とお昼を一緒に食べることがよくあった。新開とは最初のきっかけからそうだったのでお昼を一緒に食べることに深い意味はないのだろう。同じ部活の同級生。チームメイトだと思ってくれるのなら嬉しい。だから新開との時間を特別だと感じてしまうのは名前の勘違いなのだ。
「新開は福富とか東堂と食べてるでしよ。最近は荒北も一緒なんだって?」
「彼かなり食うよ」
「細いのにねぇ」
クスクスとお互いの笑い声の後に、新開がふと真面目な顔になる。
「……明日、晴れたら外で食べないか?」
名前が日誌から顔を上げた。
大きな目が真っ直ぐ名前を捉えて逃すまいとしている。
雨の音の混じって自分の心臓の音が徐々に大きくなっていく。
新開は答えを待っている。
「2人で?」
自分は何を言っているのだろう。これじゃあ期待しているみたいだ。
訂正しなければ。でも何を訂正するのだろう。
表情を変えずに耳を傾けていた新開が確かめるようにゆっくり口を動かした。
「2人だけで」
ほんの少しだけ変えられた言葉。
名前の心臓がさきほどと比較にならないくらいに跳ね上がる。
新開はわかっているのだろうか。そうやってさりげなく名前を喜ばせていることに。
新開の手が書き終えた日誌をパタンと閉じた。
「これ先生に渡したら部活だろ?」
「うん。新開は先に…」
「一緒に行こう」
雨で薄暗いはずの教室が明るく輝いて見える。
誰にでも優しい新開のことだ。マネージャーを気遣ってのことかもしれない。でも、この瞬間向けられる優しさに少しくらい甘えてもいいはずだと自分に言い訳をする。
「明日、晴れるといいね」
「だな」
並んで廊下を歩く。時折触れる袖が熱い。しかし袖に温度などあるはずもない。
雨音と足音と衣擦れが入り混じるのが心地いい。嬉しさと恥ずかしさと自分を戒めようとする自分の気持ちに似ている。
「苗字」
もうすぐ教員室というところでなぜか新開が足を止めた。
口を開きかけては閉じるを2、3度繰り返す。珍しく何か言いにくそうにしている。
「その……雨でも一緒に食べたいんだけど」
照れくさそうに、だがまっすぐこちらを見つめる新開に名前は破顔した。
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