*噂


その噂が流れてきたのは街がクリスマスカラーで彩られた頃だった。
体の授業が終わってブレザーに袖を通していると背後から知っている名前が聞こえてきた。

「苗字さんが?」

反射的にドキリとする。
自分のそんな反応はきっと誰も見ていない。だが心拍数が上がっていくのを悟られまいと小さく深呼吸をする。

「マジで福富と付き合ってんの?」

頭をハンマーで殴られる以上の衝撃だった。

「確かに福富と苗字さんってよく話してるよな」

それは同じ自転車部だからだろう。そういいたくなった口を手で物理的に塞ぐ。

「同じ部活で同じクラスだったら仲良くなるし、意識してもおかしくないよな」

意識……してもおかしくないのか。
同じ部活。それだけでなく同じクラス。それまでそんな風に考えたことはなかったが確かに新開よりも福富の方が彼女に近いのではないか。

「さすがの福富も苗字さんなら好きになるかもな」
「美人でとっつきにくいかと思ったけど意外と話しやすいよな」
「優しくされたら好きになるわぁ」
「なぁ新開は何か聞いてねぇの?」

完全に思考が停止していた。
何か聞いてないのか。
聞いていない。
だがそれは自分だけ聞かされていないのではないか。
「あ?」「えーと」とよくわからない言葉を言いながら思考の糸を手繰り寄せていく。

「オレは聞いてねぇな」
「何だよ。福富と同中だろ」
「そういう話はあまりしないんだ」

そう言い残して更衣室を出る。いや、逃げ出してきた。
教室までの道のりはよく覚えていない。
気づいたら次の授業が始まっていた。教師の話は全く入ってこない。頭の中にあるのは「福富が苗字を好きかもしれない」ということだけだ。
さすがの新開も噂話を完全に鵜呑みにするほど幼くはない。2人が付き合っているということはない。それは日頃のそばにいるからこそわかる。

(でも心の中はわからねぇな)

新緑の季節に福富は言った。
好意は持てる。それはマネージャーとしてだと。

(あの時のままだと言い切れるのか?)

福富が嘘をつくとは思えない。
だがそう言ってしまった手前、抱きた始めた感情を隠していたとしたら?
新開の気持ちを知っているからこそ打ち明けないのだとしたら?


***


「寝不足か?」

何度目かの欠伸に福富が指摘をする。
昨夜は結論が出るわけではないのに頭の中が支配された状態で寝付けなかった。

「無理はするな。大会前だ」
「そうだな。ありがとよ、寿一」

福富は変わらない。自転車にも仲間にも真摯だ。そんな福富と走れることは誇りだ。なのにどうして今日は足が動かないのか。

「新開、休め。怪我をしてからでは遅い」

福富の有無を言わさぬ口調に返事もせずバイクを降りる。頭を冷やそうと思った。
大会前に集中できない自分が情けない。だが、考えを止めることができない。これまでならペダルを回せば忘れることができたはずなのに。

「新開、大丈夫?」

バイクを降りて引いているのを見つけたのだろう。苗字が駆け寄ってくる。

「怪我じゃねぇから大丈夫だよ」
「怪我じゃないけど大丈夫じゃなさそう」
「少し寝不足なだけだから」

素っ気ない態度で苗字を拒否するが、苗字は気にせず新開の手を引く。

「苗字…ちょっと放っておいてくれ」
「放っておけるわけないじゃん。ほら、こっち!」

苗字の剣幕に呆気にとられていると、手を引かれて校舎脇に連れて行かれる。
チラリと見た福富の表情は相変わらずだった。


***


「何を悩んでるか知らないけどさ、それって解決できないこと?」

いきなり核心を突いてくる。前置きすらない。
さすがの新開もここまではっきり言われては否定する気も起きない。

「どうかな。寿一次第かな」
「福富?じゃあ話し合ってきなさいよ」

そこまで言われて、新開はあることに気づいた。
話し合ったとして、新開はどうするつもりなのだろうか。福富が苗字を好きだとして、彼女のことを諦めることができるのか。
新開の内心を見透かしたように笑う苗字に「ああ、やっぱり好きだな」とどこか安心した。
たとえ福富が同じ気持ちだったとしても、この感情をないことにはできやしない。そう思ったらスルリと言葉が出てきた。

「苗字と寿一が付き合ってるって噂聞いたんだ」
「…………で、それを信じたの?新開は」

苗字が柳眉を逆立てる。

「怒るなよ。付き合ってるとは思ってないぜ」
「じゃあ悩む必要ある?」
「ねぇんだよな、うん」

これってほぼ告白じゃないのかと思いながら、まぁ今更かと苦笑する。

「福富が気になる?」
「気にならないって言ったら嘘だな」
「ふーん…?」
「おめさん楽しんでないか?」
「楽しいよ。新開が自転車以外のことで頭悩ませてるんだもん」
「おめさんことじゃなきゃこんなに悩まねぇよ」

これが告白じゃなかったらなんなのか。もういっそ言ってしまおうかと自棄になりそうだ。
だがクスクスと目を細める苗字はそんな空気ではない。

「福富は私にそんな感情ないと思うよ」

何でそんなこと言いきれるのだと視線で苗字に訴えると、

「だって福富が私に言ってきたんだよ?新開が変な誤解してるって」
「寿一、噂のこと知ってたのか」
「昨日の放課後から変だって。走りに影響が出てるからそれをフォローするのはマネージャーの仕事なんだって」

何ということだ。福富には全てお見通しということか。「情けないな」と自分を戒めるつもりで呟くと、苗字は笑って見上げた。

「嬉しかったって言ったらどうする?」

練習を再開した新開が延々とローラーを回しているのを見た福富が苗字に何があったのか尋ねたのはそれから1時間半後のことだった。




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