恋の詩ごと燃やしてくれよ





 誰に指摘されるまでもなく、うつくしいものが好きな自覚があった。美化委員会に所属しているのも、その延長のようなものだった。清掃作業などはそれほど好きではなかったが、敷地内の花壇を合法的にいじれることはわたしにはなにより魅力的だった。
 花などというのは、わたしの好きなものの中でも三本の指に入るほどで、惰性で活動をしている生徒よりはわたしはまじめな部類だと思う。
 幸村精市という男も、同じような性質をしていた。彼の場合は何事もまじめに取り組んでいたが、花壇をいじることが趣味の範囲であるという点に関して、わたしと彼は恐らく同類だった。
 きっとほかにもそういう生徒はいたのだろうが、わたしがとりわけ彼の印象を強く持っているのは彼がうつくしかったからだ。いや、彼は今もなおうつくしく、その美貌は日に日に増していると言ってもよい。「花のかんばせ」ということばがあるが、彼の顔立ちはいかにもそれだ。だからわたしは彼のことを一方的に知っていた。
 しかしクラスが同じというわけでもなく、そもそもわたしは彼に同族意識はあったが、それを理由に彼のパーソナルスペースに踏み込むような気にもならなかったので、わたしと彼の間には交流とよべるようなものは存在しないといってよかった。それが何を間違えたか、妙な繋がりが生まれたのは、入院した彼とひょんなことから文通をすることになったせいだ。
 その、妙な交流の話については割愛するが、重要なことは幸村精市という男がうつくしいということ、それから何を気に入ったのか、幸村にとって、わたしがそこそこの友達らしいということだ。



 下駄箱を開けると、上履きの上に封筒が置いてあった。レターセットに入っているような少し厚手の、白い封筒だ。右下に小ぶりな花束のイラストが印刷されている。封筒の口はぴったりと綺麗に糊付けされており、差出人の性格がうかがえるようだった。なんとなく裏返して、つい二度見してしまった。
「幸村精市様へ……?」
 わたし宛じゃないんかい。しかし綺麗な字だ。
 あの人気者の幸村精市が人目をはばからず構いに来るせいで、わたしが幸村とそれなりの仲であるということはわりに有名なことであるらしかった。この手紙はおそらくその余波だ。ちなみにこれは同じクラスの丸井くんからの情報だ。正直勘弁してほしい。幸村とつるむようになってから、テニス部のファンからの視線が痛い。しんどい。
 それでも幸村のことを拒絶しないのはひとえに幸村が「いいひと」であるからだし、それ以上に幸村の顔がうつくしいからだ。
 うつくしいものに弱い自覚があるわたしにとっては、幸村の顔を間近で眺めることができるのは、ファンからの視線に串刺しにされてもおつりが来るご褒美だ。いや、これに関しては自分でもどうかと思うけれど。何にせよ、だからこそわたしはいまだに幸村と友達を続けているが、だからこそこういったあからさまな恋愛沙汰に巻き込まれるのは面倒だ。しかしこのまま見ない振りをするのも後が怖い。
 幸村と友達を続けている理由をもう一つ思いついた。幸村を拒絶すれば、それはそれでファンからの理不尽な制裁が待ち受けているのがわかるからだ。
 わたしは憂鬱に溜息に吐き出して、幸村に渡すための手紙をそっと鞄に忍ばせた。


 わたしは先週のことを思い出して、本から顔をあげた。幸村から借りた、プレヴェールの詩集だ。
「そういえば、あの手紙、どうしたの?」
「手紙?」
 イーゼルに乗ったキャンバスの向こうから幸村が顔を覗かせる。今日も素晴らしい美貌だ。日曜日の昼下がり、わたしは何故だか幸村の絵のモデルになるために、彼のアトリエを訪れていた。彼のアトリエというのはもともとあった温室を改装したものらしいが、そもそも温室がある家という時点で幸村家の経済力は推して知るべしというやつだ。
 幸村は時々、水彩画の練習にと、わたしをこのアトリエに招くことがあった。わたしはその間、幸村に本を借りたり、座ったまま花を眺めて過ごす。そういう時間がわたしと幸村の間にはあった。ほとんどの場合、特別断る理由はないから構わないのだけれど、こういう遊びの誘いを幸村は大抵衆人環視のなかで言いだすので大変に断りづらい。幸村は言うまでもなく人気者なので断ろうものなら異常者でも見るような目で見られること請け合いだ。休日に予定があるのは普通のことだと思うのだけれど、幸村の人気の前では一般生徒の事情などゴミに等しいらしい。理不尽の極みである。
 それはともかく、手紙というのはわたしの下駄箱に入っていたあの封筒のことだ。「先週の」と言うと、幸村は「ああ、あれね」とキャンバスに視線を戻した。
「なんでもなかったよ」
「な、なかったの?」
「ああ」
「告白されたんじゃないの?」
「ええ?」幸村の声は楽しそうに弾んでいた。「本当になんでもないよ」
「へえ、変な事もあるのね」
「……それよりもプレヴェールはどうだい」
 ひと呼吸ほどの沈黙をおいて、幸村がそう尋ねた。
「ん? うん、わたしはヴェルレーヌの方がわかりやすくて好きかな。マッチを擦るような綺麗な思い出も素敵だけど」
「そうか。名前は誰かの最良の日々になりたいのかな」
「ウィ、なんてね」
 本当に思う。わたしはもっと、この奇妙な出来事を追及しておくべきだったのだ。
 プレヴェール。幸村がぽつりとこぼした。その表情は、キャンバスの向こうに隠れている。
「俺は好きだよ、名前がそうじゃなくてもね」


「おまん、幸村のカノジョなんじゃろ」
「は?」
 前の席にどっかり座り込んだ銀髪の男に、つい間抜けな声が出た。テニス部だということはわかる。確か、仁王。下の名前は知らない。ていうかそこ佐藤さんの席だけど。いやそれよりもこの男、何かとんでもないことを言った気がする。わたしはつい男に胡乱な目つきになる。
「そう怖い顔せんで。俺は噂を伝えに来ただけよ」
 男はにたりと嫌な顔で笑うと、ずいと顔を近づけてくる。私は反射的に体を引いた。椅子がガタリと硬い音をたてる。幸村だけでもファンの視線で射殺されそうなのに、これ以上なんて冗談じゃない。話しかけられた時点で、ほとんど後の祭りではあろうけれども。
 男は構う様子もなく、あまつさえ私の机に頬杖までついている。教室中の視線を集めているが、引く様子はない。もちろん私に逃げるという選択肢もない。ここは私の席だ。仕方がなく「噂って、なに」と先を促す。男は待っていたとばかりに笑みを深めた。
「知らんの? 名字さんが幸村と付き合っとるって、学校中の噂になっとんのよ」
「また? デマに決まってるでしょう。なに、今さら」
「デマ、ねえ。ま、お前さんにとってはそうなんじゃろうな」
「……どういうこと?」
 わたしが顔をしかめると、男は馬鹿にするように鼻で笑う。「なるほど」と目を細めたあとで、あっさりと体を引く。男は終始笑っていたが、それは感心や納得というよりも、むしろ何か悪だくみをするような、いやな表情に見えた。
「な、なに」
「いんや、何も。これ以上は藪蛇らしいしな」
「だから何を、」
「まあでも、お詫びに一個アドバイスしてやる」
「お詫び? なんの」
 問いかけても男は表情を変えず、また、求めた返事もない。ただわたしの目をじっと見る。
「靴箱に入っとる手紙は、ちゃあんと中身を改めた方がええよ」
「……手紙?」
 それはあまりに具体的だった。わたしは男の言葉に、二週間ほど前に幸村に渡した手紙を思い出した。いや、わたしからでも、わたし宛でもなく、幸村宛だった、あの手紙。あれは、あれは。一体誰からの手紙だったのか。男を見ながらに思索に耽る。そこへ、ふと、影がかかる。わたしの思考はたちまち霧散し、意識がそちらに逸れた。
「幸村……」
 顔をあげると、見慣れた美貌が視界に入る。幸村は唇の端を持ち上げるように、その顔にかすかな笑みをたたえている。ただ、微笑みと呼べるほど、優しい顔には見えなかった。
「随分珍しい組み合わせじゃないか」
 幸村は、男の背後に立っている。まるで立ちふさがるようにそこにいた。
「おー、コワ。安心せえ。話はもう終わったぜよ。あとはよろしくやるんじゃな」
「そうか」
 男はそれだけ言うと、あっさり席を立った。去り際に「ご愁傷様やの」と私を一瞥したが、どういう意味かと尋ねる前に教室から出て行ってしまった。
 幸村との間に奇妙な沈黙が流れる。いや、怖い。「あいつまたテニス部と」という視線が突き刺さっている。うなじを冷や汗が伝う。幸村のファンのいいところは直接手を出してこないところだ。他の部員のファンは知らないが。逃げたい。あの男のファンがその手のタイプでないことを祈っておこう。
 幸村は男の背を見送ることすらせず、空いた椅子に腰をおろす。いやだからそこ、佐藤さんの席。もはや今さらではあるけれども。
「ええ……と、どうしたの?」
「うん? 名前が仁王にちょっかいかけられてかわいそうだったから」
「あ、そう……」
 じゃあ用事おわったんじゃないの、とは言えない。視線が怖いので。幸村はすっかり佐藤さんの席に腰を落ち着けてしまい、席を離れようとしない。幸村のことは嫌いじゃないけれども、人前で話しかけられるとあまりに視線が痛いので正直ちょっと離れてほしい。わたしは幸村のように人気者ではないし、世間体をそれなりに気にするただの一般立海生なのだ。
「ふふ、嫌そうだ」
「いや、別に……」
 嫌そうだという割には手を握ってくるし耳に髪をかけてくる。幸村は聡いのに、こういうところはいやに鈍い。触れてくる手をやんわりと退けると、逆らわずに離れる。聞き分けはいい。視線には鈍感だけれど。
「あのね、こういうことをするから誤解されるの」
「誤解?」
「さっきのひとから聞いたよ。また噂が出てるんでしょう」
「仁王が? あいつ、なんだって?」
「わたしと幸村が付き合ってるって噂が出回ってるって」
「へえ、そう」幸村はわたしのことばになぜか美しく微笑む。「その噂、詳しく知ってるかい」
「……いや、知らないけど」
「じゃあ、教えてあげる」
 幸村は制服の内ポケットから白い封筒を取り出した。封筒の隅には花束のイラストが印刷してある。幸村は便せんを抜き取ると、わたしの前に広げた。便せんの頭には封筒と同じ、綺麗な字で、「幸村精市様へ」と書かれている。けれどそれよりもわたしの目を引いたのは、一番下。差出人の名前だ。
「名字、名前……?」
 名字名前。それは間違いなく、わたしの名前だ。しかし、同じくらい間違いなく、これは私の筆跡ではない。どうして忘れていたのだろうか。あれほど手紙を交わしたのに。
 この字は間違いなく、幸村の字だ。
「幸村、これ」
「うん。名前からもらったラブレター」
「は……?」
「ふふ。どうしてそんなに驚くんだい。名前がくれたのに」
「ちょ、ちょっと待ってよ。これは、だって」
 わたしが書いたんじゃ、ない。言おうとして手紙ごと幸村に手を握られる。そっと、手を包み込むようでいて、しっかりと手首まで握られている。それとなく手を引こうとしてもびくともしない。彼の手は大きく、手のひらには肉刺がある。指はわたしの手首を一回りしてもまだ随分余裕がある。そういえば、幸村は男だった。そんな当たり前のことをいまさら思い知る。顔をあげれば、気持ち悪いほどにいつも通り、いつも通りに美しい彼の微笑みがある。
「名前がね、俺にラブレターをくれたから、それで付き合ってるって言われているんだ」
 知らなかっただろう。穏やかな声だった。
 わたしはその微笑みですべて、いや、すべて理解したというには、足りないかもしれない。けれども確信していることがある。幸村に嵌められたのだ、わたしは。もはや裏切りと言ってもいい。だって、わたしたちは、友達のはずだったのに。
「……なんで?」
 唇から零れ落ちた言葉は、かすれていた。けれども幸村はそれを丁寧に掬い上げた。
「あのね、名前」
 幸村は乙女もはだしで逃げ出すような美しい微笑みを浮かべながら、わたしの手を、輪郭までうつくしい頬に引き寄せる。柔らかい曲線を描く幸村の瞳の奥で、煮詰められた感情が揺れていた。
「俺は好きでもない女の子をわざわざ家に連れて行ったりはしないし、噂を放置したりもしないよ。そんなに迂闊じゃないんだ」
 わたしにとって幸村精市は、本当に綺麗な、とびぬけて綺麗なだけの普通の友達だった。それなのに、こんなのは。こんなのは、裏切りだ。今までの思い出が歪んで、壊れていくようだった。罪悪。嫌悪。悲哀。友愛。憤怒。憎悪。親愛。あらゆる感情がひとつの器にぶち込まれてすべての境界があいまいになっていく。
「……冗談でしょ?」
 絞り出せたのはそれだけだ。どんな顔をしていただろう。
「冗談にしてほしいかい」
 幸村が、ふいになんだか泣きそうな顔をする。馬鹿野郎、泣きたいのはこっちだよ。そう言えたらどれだけいいか。わたしは幸村のこういう顔に弱い。それを知っていて、この男はこの顔をするのだ。これだから幸村精市ってやつは性質が悪い。
 引き寄せたわたしの手に、手の甲に、幸村は唇をくっつけた。まるで世界一大切な、宝石を触るみたいな仕草だった。
「だって俺だけが、名前の最良の日々になりたいんだ」
 ああ、ちくしょう最悪だ! わたしもこいつも、なにもかも!

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