09.









「突然ですまないが、君と私は以前どこかで会ったことがないか?」




朝の挨拶を交わしさて業務に差し掛かろうかと考えていると、そんなクラサメの唐突な一言で思考回路が一気にショートする。



「え…?」


「いや、すまない忘れてくれ」



そのまま机に目を向け書類に手をつけるクラサメに驚きを隠せずにいた。

まだ出逢って間もない関係だが、そんなことを思いつきで口にするような人物には思えないというのが率直な感想だった。



「多分、という絶対に会ったことはないと思います」



そうはっきりと告げると彼はゆっくりとこちらを向いた。
きっと私の発言の理由を聞きたいということなのだろう。

嘘で固められた私の存在。

少しでもボロが出ないようにしないといけないため、慎重に言葉を選びながら口を開ける。




「私が居た街というのは、白虎との境界の街です。私はそこから今まで出たことがあろません。そこの街は魔導院から人がやってくるといこともほとんどない街でしたから」


「……そうか」

「はい」



なんとなく、知りたくなった。

わざわざ会ったことがあるか、なんて聞くということはそれなりに理由があるはずなのだ。
それにクラサメ士官の雰囲気からして理由もなくそのようなことを聞くなんて想像がつかなかった。


心なしか重くなった空気を変えようと考えると、少し喉が渇いた。





「クラサメ士官、珈琲でも飲みませんか?」


「あぁ、頼む」



少し考えたあとにそう頷くのを見て、私は執務室に隣接してある給湯室に向かう。

お湯を沸かしインスタントの珈琲に手をかけ、マグカップを二つ並べる。珈琲の粉をマグカップに入れお湯を注ぎ始めたところでふと手が止まる。



「(クラサメ士官ってブラックで良いのかしら…)」



そう思案したところで懐かしい声が響いた。
懐かしいと言っても、数日前までは毎日聞いていた声。


<アリス、我はいつも通りブラックで良い>


数日声を聞いていないだけで懐かしい気持ちになるなんて、と自嘲しながらもクラサメ士官に珈琲はブラックで良いのか尋ねた。
返って来た答えは予想外なものでミルクを入れて欲しいとのことだった。

珈琲にミルクを入れた二つのカップを手に持ち執務室に戻ったのだった。























――――――――――――






「すまないが、この資料を軍令部に持って行って欲しい」



陽が少し傾き始め、机の上に出来上がった書類が溜まってきた頃、クラサメ士官が声をあげた。

書類に向き合っている時は本当に会話がなかった。
それはもうとある彼とは大違いなほどに。



「軍令部、ですか?」


「あぁ、場所はわかるか?」

「大丈夫です、わかりました」



想像していたより少ない書類を持って、執務室を後にする。

久しぶりにずっと座りっぱなしで書類と向き合っていたため腰が悲鳴をあげる。
ぐーっと身体を伸ばし、魔方陣に足を踏み入れた瞬間ふわっと浮遊感が身体を包む。その感覚はなんだか久しぶりの感覚のように感じられた。

しかし久しぶりなわけがない。
この魔導院に来たのは数日前のことであるし、この魔方陣はその時に初めて踏んだはずなのだ。

言葉に出来ない感覚に襲われていれば、身体は魔導院のエントランスに着いていた。


エントランスにはたくさんの候補生たちが行きかっていた。

ぼーっとしていると後ろから「こんにちは、お疲れ様です」なんて候補生に挨拶され、自分が朱雀の武官であるということを思い出させられた。



「こんにちは、」



戸惑いながらも笑みを浮かべ候補生に挨拶を返せば、軽く頭を下げ、右にある扉の方へ歩いていった。



「(…こんな時間からクリスタリウムに行くなんて勉強熱心な子なのね)」



そんなことをふと頭の中で言葉にした時、背筋が凍る思いをした。

何故なら私はまだクリスタリウムに行ったことはなければ、場所を聞いたこともなかった。


たしかに魔導院に来た初日に魔導院内にある施設について軍令部で説明は受けた。が、所在地についてはこのマニュアルを読めと分厚い本を貰っただけで聞いてはいないし、自分はそのマニュアルを読んでもいない。

だから私は偶然そう思っただけだと、自分に言い聞かせた。



クリスタリウムの扉が開き、中が少し見えた時、逃げるようにして軍令部に向かったのだった。






「失礼致します、アリス・フィルナーであります。クラサメ士官より預かった書類を届けに参りました」



軍令部に入ると、そこは初日に来た時には気がつかなかったが、たくさんの今後の朱雀の作戦について書かれたパソコンの画面があった。

軍令部は作戦がない時には人気が少ないというのも今日の収穫である。





「クラサメ士官からね、ちょうど良かった!ここにクラサメ士官に届けなければならないものがあってね、量が多いんだが君が運んでくれるかい?」


書類を預けた文官から渡されようとした書類は想像以上に多く、重かった。



「君、大丈夫?」


「大丈夫です…!」



心配そうにかけられた言葉に大丈夫と返事をしたが、とても大丈夫ではなかった。

重いというのも問題であったのだが、なによりも問題だったのは足元が見えないということだった。
足元を見ようと書類を身体からずらせば、書類のバランスが崩れ落としてしまいそうになるのだ。

しかもなにが一番の問題かと言えば、魔方陣に行くには長い階段を降りなくてはいけないということだ。


どのように階段を降りようかと考え、一時停止。
しかし良い案はなに一つとして思い浮かばず、恐る恐る階段に足を踏み入れたのだった。




「(意外と大丈夫かもしれないわ)」



五段目の階段を降り切った時、そう思った。
この油断が良くなかったのだろう。


六段目の階段に足を踏み入れた時、足が段からずり落ちる感覚がした。

まずいと思い崩れかけた体勢を直そうとしたが、手に抱えていた書類のバランスが崩れた。そのおかげで崩れた体勢を持ち直すことが出来ずに身体が倒れていくのを感じた。


あぁ、落ちるなんて暢気なことを考えながら、やってくる衝撃を待った。





しかし衝撃は訪れなかった。

衝撃の代わりにやってきた感触は腰の辺りに腕が周わされ硬くて温かい胸板に引き寄せられる感触だった。
しかもその主は書類も上手く抑えたようで、書類が舞うことも逃れた。





「……大丈夫か」



聞き覚えのある声が頭上から響き、恐る恐る顔を上にあげるとそこにはクラサメ士官の顔が間近にあった。



「クラサメ士官?!」



息もかかりそうなほどの距離で名前を呼べば、そっと彼は支えるために密着していた身体を離した。



「怪我はないか?」


「だ、大丈夫です。クラサメ士官のおかげで」



恥ずかしさ半分、何故ここにクラサメ士官が居るのか疑問が半分。
私の頭の中はそれで占めていた。

するとクラサメ士官は私の持っていた書類のほとんどを奪い取った。




「私も半分持とう」



それは半分、なんてものじゃない。ほとんどだ。と思い、もうすでに階段を降り始めているクラサメ士官の背中に慌てて声をかける。



「それじゃ、私が持っている分が少なすぎますよ」


「大丈夫だ、早く執務室に戻るぞ」




短くそう言うと彼は足早に私に背を向けて魔方陣の方へと歩んで魔方陣の中へと消えて行く。
慌てて彼を追いかけ、魔方陣を踏み士官の執務室が並ぶ廊下に行くと、魔方陣の近くで彼が立ち止まっている。

そして私の姿を見るとまた歩みを進める。





「(…もしかして、待っててくれた?)」




私よりも多い書類を持ち、執務室へ向かう彼を私は追いかけ彼の名を呼んだ。





「どうして、」



彼は歩みを止めてゆっくりと振り返る。




「どうして軍令部まで来てくれたんですか?」


「……特に理由はない。たまたまだ」

「でも、クラサメさんが軍令部に来る用事はなかったのではないですか?」



「たまたまだ、と言っている」




彼はそれ以上何も言わなかった。
また私に背を向けすぐに歩き始め、先に執務室に入っていく。


私も彼に続き執務室に入る。



彼の机の上に書類を乗せると、その机の上には中途半端に書きかけの書類がある。
何か用事があるにしても、本当に緊急な連絡がない限り書類を書きかけでやめる人ではないだろうということはわかる。


では、何故?

考えた時に少し自意識過剰な一つの答えが浮かんだ。




「(……まさか、帰ってくるのが遅かった私を心配してきてくれた…?)」




そんな私をよそに、彼は何事もなかったかのようにまた椅子に座り机に向かい書きかけの書類を書き始める。


まだ少ししか彼と接していないが、彼についてはなんとなく解かったつもりでいた。

彼は人と距離を作っていて、素っ気ない。
慣れ合いは嫌いで必要以上のことは話さない。
そして他人のためには動かない人間だと思っていた。





「(どうやら私の考察は少し外れていたみたいね)…クラサメ士官、」



「なんだ?」

「ありがとうございます」



「君に礼を言われるようなことはしていない」




冷たくそう言いすぐに目を逸し書類を進めるクラサメ。

だが、私には冷たい一言には聞こえなかった。
これは不器用な彼の優しさだということが私には伝わった。


何故だか、胸のあたりがポカポカした。





朱雀にもこんな軍人が居るのか、そう思いながら自分の机に向かい新しく増えた書類に手をつけるのだった。















.....to be continued