遅刻!

起きたらすぐ目の前に馬鹿犬の顔があって、反射的にグーで殴ってた。

「・・・ってぇッ!?」
「あ、わり」
これまた反射的に謝って、しかし掛け布団ごと俺の布団の上からのしかかるような形でいた戌井になんの気遣いが必要かと思い直し、気を取り直す為にもう一発くらいやったほうがいいのかな、と再び右手を握る。戌井がそれを見て俺の頭をぽこりと叩く。俺の拳が届く前だ。――やっぱこいつ、実は相当。呆然としながら涙目になってる戌井を見ていると「アホか!」と胸倉を掴まれた。
「遅刻すんぞって起こしてやった人間になんちゅー仕打ち! いくら俺が微マゾでもひでえ!」
「え?」
慌ててケータイの待受画面を見ると十数通の未開封メールがあるよという表示、バイトというか仕事の時間を30分も過ぎてますよという証拠があり、「――やべえ」と血相かえ、とりあえずアドレス帳の一番上に登録しているトムさんにメール、いやここは電話か、社会人として。対応したトムさんはいつもながら的確かつ簡潔に俺に指示を出した。「さっさと来い」。はい、その通りです。携帯を肩に挟み通話する傍ら寝巻きという名のバーテン服(弟からの恩恵には一週間ごとのローテーションなど、一着一着に用途として明確な区切りをつけさせてもらっている)のシャツのボタンを外したりズボンを脱いだりするのに悪戦苦闘して、俺がてんてこ舞いしている姿を少し離れた所からニコニコ笑って眺めていた戌井に「脱がせろ!」とヘルプを求める。意外そうに笑う戌井。「へえ、いいの?」叫ぶ。「時間がねえ!」「・・・誰かいるのか?」といぶかしむトムさんに説明するのも面倒で、「あと15分で出ます!」と宣言、悪いと知りつつも通話を切った。
戌井がズボンをずらしてくる間に早いとは言えないだろう頭を精一杯回転させてこれから何をすべきか考える。顔洗うのと歯みがくのはパスと決め、戌井が放ってきた水曜日用のバーテン服に袖を通す。ボタンをつけるのも戌井がやった。
「お前ヒゲも生えねえのな」「幽もあんま。そういう家系なだけだ」あーそういやあいつも生えねえなと脳裏に浮かんだノミを殴り倒す。このクソ忙しいときにあんな害虫を思い出してしまうとは相当俺も混乱している。あんな野郎のヒゲ事情なんざどうでもいい。
「メシ食う?」
「いい。時間ねえ!」
といいつつ身の回りのこと全部戌井が先んじてやってくれているものだからこんな状況にも拘わらず実は手持ち無沙汰だ。だってこいつ俺がパスしようとしてた洗顔のために洗面所行く暇ねえだろって濡れタオルまで用意してくれてんだもん。どこの妻だよ。娶りてえよ。女なら。
「静雄ちゃん身体ほそっけー」
「黙れ。筋肉はあるわ駄犬」
「いーい身体・・・」
うっとりと呟く戌井に身の危険を感じて蹴りをいれる。靴を履く前なのが俺の感謝からくる優しさだが、こんな俺と一緒に生活してくれる女が現れるのはいつの日か。・・・いや俺女は蹴ったり殴ったりはしねえけど。できねえけど。
「お前の暴力って澄み切ってるからイカスわー」
「あと5分しかなくて気が立ってんだ。悪い」
このアパートから職場までは走っておよそ20分。もらった猶予である15分をそれを見越してのことだったが、その時間も残りわずかで気ばかりが逸り、玄関で靴を履くのにも悪戦苦闘。結局これにも戌井の助けを借りる。一本一本にかいがいしく靴を通してくれる戌井。・・・なんだか俺、こいつが来てからどんどん駄目人間になってないか。このままじゃ戌井無しじゃ生活できねえようになるんじゃ。
ぞっとしない考えが浮かんだ直後、片膝を立てて立ちっぱなしの俺に靴をはかしていた戌井が俺をちらりと見上げた。「焦ってんなあ」「当たり前だろ」
戌井は笑顔でとんでもないことを言う。
「いや、ほんとは30分前には起こそうとしてたんだけど」
それでもおせえけどな大人社会では。戌井と時間に正確なんて言葉が中々結び付かないことに俺は言われる前から気づいていたがそれでも呆れた。そもそもだったんだけどな、なんて普通社会では仮定は通用しないのだ。戌井は俺ん家に押しかける前、どんな仕事をしていたのやら。橋がどうとか言ってたが、清掃員とか何かだろうか。
戌井は鼻の下をかくという時代がかった仕種で「いやー」だとか、照れ臭そうに言う。
「あんたの寝顔見てたら、盛っちゃって。まあ今日はゆっくり寝かしとけばいいやどうせ職場で怒られてキレてクビになるのはあんただって遠慮なく食い入るように見てたらつい身体の上に乗っちゃってて、キミ起きちゃった」

――次からの俺の行動は言わずともわかるだろう。わからない人には、ヒント。一、殴る。二、蹴る。三、踏み潰す。四、恍惚の表情の戌井を踏みつけ部屋を出、放置プレイ。

正解は、実は一から四は選択肢ではなく、実行した順番でした。

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