お掃除します

「きったねえ・・・」
その部屋の惨状を一見しただけで浮かんできた素直な感想が戌井のぎこちなく弧を描く口をついて出た。
部屋の主である静雄は借家とはいえ己の城だからとタバコの灰が落ちるのも気にせずぷかぷかふかし、戌井の低い位置にある顔にふーっと煙を吹き掛けた。大口を開け、甘んじてそれを吸い込む戌井に辟易した顔をむける。
「言っただろ。居候すんなら食費、光熱費と家賃3分の2負担、それに掃除込みだって」
「まー掃除くらいであんたん家住めるってんなら」
しかしこれはねえわ、戌井はふと自分の足元を見下ろし、この部屋に足を踏み入れるのに靴を脱ぐべきか一考したが、静雄が安っぽい革靴で玄関を越えてすぐのところに無造作に置かれた青いラジカセを踏み付けているのを見て、無言で脱ぎかけたスニーカーに踵を通す。
年季の入った丸いラジカセをよけたいたところで、この嵐が過ぎ去ったばかりのような物品の乱れようは損なわれなかった。部屋の面積よりも物の堆積の方が多いのでは、恐ろしい想像に戌井は肩を震わせた。静雄は平然と己の進路を足で広げる。
「イメージ違うなあー。あんた、さっきの話にも出てきたけど、弟さんに貰ったつーその服以外物に執着ないタチだって睨んでたからさー。てっきりテレビとかそーゆー必需品すらもないのかと」
「掃除も簡単だって踏んでたんだろ」
「わかるー?」
馴れ馴れしく肩に伸ばされた手を、蚊を払うような仕種で叩く静雄。「俺が散らかしたんじゃねえ」と意外なことをいう。
「じゃあ誰?」
「今の職業つく前」前の仕事辞めさせられたすぐの頃だ、薄い色の入ったサングラス越しに戌井を睨みつけるが、うっふんと鳥肌が立つようなウインクをばちり、音が立ちそうなほど大きくされて即座に逸らす。「金なかったから定期的にカツアゲしてたら、」「わあわっるー」「クズみてえな奴にしかしてねー」「え、葛?」「なんで繰り返す」「そしたら?」「何人目か、そいつらの中の一人が金じゃなく物を差し出してきて。ライターを」
語る静雄の話は聞いていたいがこの散らかりようは今すぐ掃除しはじめないと日付が変わる、と判断し戌井は予め買ってきておいたゴミ袋をパックから一枚抜いた。目についたものから片っ端、透明のそれにいれていく。
ライターを見つけた。ジッポ。静雄が言ったのはこれのことだろうか。
迷わず袋に捨てた。
「実用品だし、要らなきゃ質屋にでも売りとばしゃあいいかと」
「で、ここまで溜まったと。なるほど、散らかしたわけじゃなく適当に積み上げてたっていいたいわけね。世間ではそういうのを散らかすというんだけど気づかないふりしてあげる。てか今更の確認なんだけど、マジ捨てていいの?」
「ちゃんと分別しろよ。前収集車に持っていってもらえなかった」
結局、誰かの実用品は静雄にもそうだとはいえなかった。貰ったというか奪ったはいいものの、想像以上に使わない。ライターは油が切れかけていた。わざわざ油を買い足すより100均に行った方が早いし安い。ラジカセは聞きたいカセットを付属してはくれてなかった。他にもパソコンだ小型テレビだ、それに壊れたり欠けたりしていないものも色々積み上げた中にはあるのだろうが、いずれも不要だった。
ちなみに質屋にいったところで、重たかっただけで二束三文にもならなかった。
というかもしかすると自分は、カツアゲにかこつけて不要品を押し付けられた。とか。
いやまさか。
「物持たねえから持った時の対処がわからなかった。そんだけだ」
「あ、ほーら。俺の睨みどおりだ、あんた」
「こうなった原因の10分の9.8はてめえのせいだ。無駄口たたくなキリキリ働け」
やたらと人懐こく振り向いた戌井の顔に手近にあった招き猫をぶつける。確かこの猫は質屋で50円の値がついた。
「ひでえの」
赤くなった鼻を押さえて笑う疫病神。


静雄をバーテンダーという、普段着と化した制服を着るに相応しい職業からクビにした原因をつくっておきながら、どこでどう静雄の新しい職場を突き止めたのか、のうのうと自分の前に姿をあらわし、「アパート追い出されちった。泊めてくんない?」ときた。
一発腹を殴りアスファルトに沈ませ、「いいのかあれ」と心なしか青ざめたドレッドヘアーの上司に問われたが「問題ないです」。一度50メートルほどはなれた電柱まで殴り飛ばしてやったのに、見たところぴんぴんしているような奴に心配は不要だろう。いくら人の顔と名前に疎い静雄とはいえ、サイケデリックなあの風貌は忘れられなかった。静雄は振り返りもせず、上司と連れだってその場を後にした。
男は次の日、つまり今日ももまたきた。
「昨日は病院泊まれたからよかったんだけどさあ」「一生入院させてやろうか」「俺保険証ないから高ッェんだよ、入院費。この国おかしいって。保険証も取れない生活してる奴にこそ病院が必要なんだって」「一生入院させてやろうか」「・・・・・・話聞いてた?」
平和島よお、と不毛な諍いに終止符をうったのは最近なったばかりの上司だった。「泊めてやりゃあいいじゃねえか」
「うほっマジ!?」
「・・・でも田中さん」
歓喜を表す戌井に対し、不服な様を隠す気もない静雄に冷や汗をかきながらも、上司は更に言い募る。「ぶっちゃけ、俺はお前が人殺しそうでこえーよ」「あ、それシャレなんねー」「・・・・・・」
お前だって人殺したくはねえだろ、との上司の言葉にならお前が泊めてやれよ、ぐつぐつ内心煮立ってきて、それを握った右拳に込めた。その拳が暴走する前、そんな絶妙のタイミングで上司は再び平和島、と呼んだ。
「俺、まだお前とコンビ組んで間もねえのによお。お前がもしム所ぶちこまれたりしたら、淋しいじゃねえか」

「・・・・・・」
静雄は右手に込めた力を抜いた。
うっきゃー男前!わざとらしく両手で頬を挟んだ戌井と名乗る不審者の言葉に同調したわけではないが、けれどもその一言で、静雄は気は進まないながらも戌井を家に迎え入れることになった。
条件つきで。


「トムさんの顔潰すわけにゃいかねーから、金さえいれんなら2、3日なら我慢してやる」
「トム? 誰それ。外国人なんていた?」
「あ?今日会っただろ。ドレッドの」
「あの男前は田中だろ?」そう呼んでたよな?無邪気な確認をしてくる戌井の屈み丸まった背中に蹴りを一つ。「手ー動かせって」と。
「うへへ」
蹴られて笑うストーカーと呼称しても遜色ない青年に眉間に力が入る。
「なんだよ」
「テレビとビデオデッキ発掘した。ツタヤ行ってバッドマンシリーズ最初から見ようぜ」
さっさとやれ、掃除を。タバコのフィルターに歯を食い込ませ、「第一てめえ、保険証ないんだろーが。会員カードもねえんだろ」「免許証が」「あるのか?」「えへ。ない」「俺もねえし観る気もねえ。あと、このままだと今日寝るとこねーぞ、お前だけ」「あんたどこで寝てんの」「・・・トイレだけど」
はからずもその一言で静雄は戌井に俄然片付けなくてはという意識を向上させることになった。
「一人分くらいの寝るスペースはつくったる」
「一人だあ?」
「くっついて寝ましょ、ダーリン」
投げキッスを避けた静雄は、その反動を利用してのちの六条千景もかくやというそれは美しいドロップキックを放った。

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