鼻血が似合う似合う

「狗木い」
鼻血がとまらず着衣中のジャージの袖で塞いでいるために不明瞭なのか、戌井が本当にそう俺を呼んだのかはわからない。もしかしたら何か別のことを口走ったのかもしれないし、誰か別の名前を呼んだのかもしれない。だが近寄った俺のコートの裾を自由な手できつくにぎりしめてきたことは、確実だった。
「したい。しよーぜ」
無事な箇所から推測するに元は白かったのだろうジャージは、すわリストカットかと勘繰れるほどに手首から右腕の辺りだけがまだらな赤褐色に変色している。傍らに捨てられたような様で横たわる携帯電話にも、手形が血ではっきりとプリントされていた。
自分の身体の状態なんて結局は自分にしかわからないというのに放胆なことを口にする虹色の馬鹿。聞き取れた内容に放談もほどほどにすべきだと、今年いくつになったのかなどは聞いたことはないが、しかしそろそろ知るべきであると忠告してやりたくなる。年下として。
「鼻血出してか」
「舐めとれよ」
「吸血鬼じゃないんだ。そういう趣味はない。血液ほど汚いものはない鼻血なんて特にな」
「・・・お前とは一度スカトロプレイすべきだな。血なんて綺麗な方だってことわからせてやる」
「お前のなんて他人のもの以上に汚い」
「決めたー。決めたぞ俺ー狗木絶対いつか顔射してやるべっとんべっとんにしてやる」
軽口とは裏腹にきつくコートを引っ張られ、その力に導かれるままされるがままに座り込む。やるせなく投げ出されたその足を跨ぐように。比喩にもならないほど目と鼻の先に戌井の顔がある。俺とも誰とも全然違う、戌井の顔が。
俺は何をやっているんだ、西区画の仇敵を殺すのにこんな絶好の機会はない――だが俺の右腕も左手も、コートの内ポケットや袖やに仕込んだ銃を取り出す気はないらしい。何も握っていない腕は、何も握る気はないとばかりに、だらりと肩から垂れ下がっている。だから仕方なく、だ。
俺はどちらの手にも相手の命を奪い、自分の命を助ける武器を持たないまま、左右で違う色をした戌井の両目を見るしかない。仕方なく。二つの目には俺だけが映っていた。
俺の目は戌井の舌が動くところを映した。口に血が伝うだろうに、まだしゃべる気らしい。この馬鹿。左手はまだ俺の服を掴んでいる。
「しようよ、セックス。めちゃくちゃにさせて」
「・・・電話一本で呼び出して、人をデリヘル扱いか?」
なら本職を呼べ、愉快ではない感情につき動かされそのままの表情をつくる俺を下卑に笑い、突然明瞭になる声。

そうだこいつは、こんな声をしていた。

「お前なら来てくれると、思ってた」
右腕を鼻から離した戌井の顔面は、完爾でありながら真っ赤に塗れてひどい有様になっていた。二つしかない小さな穴からはとめどなく鮮血が流れ顎まで奔流している。
殴られたのか。見慣れた傷痕を見出だす。患部が腫れ上がっている。
この戌井を殴りとばせるような人間がまだいたのかと、感心と同時に薄ら寒くなる。
「痛そうだな」
「痛いな。かなり。心も」
冗談めかした脈絡。
――『外』で一体誰と会い、何があり、どうしたのか。
聞いたところで、少なくとも今は教える気はないのだろうし、進んで聞いてやる気もない。外を捨てたった一人の女の影に生きると決めた身にとっては、そこで何があったのかなど至極どうでもいい。知る気も理解する気もない。戌井と共有なんて、笑えない冗談にしてもほどがある。

だから言葉は捨てる。

自由な両腕で、戌井の色鮮やかな頭を包む。
俺が、じゃない。狗木誠一が戌井隼人のためにしてやろうと目論むリストの中には、セックスも抱擁も一文字たりとも記載されてはいない。
「狗木ちゃ」
「俺は今狗木誠一じゃない」
戌井がそうされたいと望む、顔も名前も知らない誰かだ。殴り付けて拒絶しておきながら、それでも泣きそうな戌井を見捨てられず、しぶしぶにも抱きしめてしまう、乱暴に鼻血を自分の袖で拭ってやる、そんなどこかの誰かだ。
狗木誠一なら絶対にやらないし、やれないことだ。

「ごめんな」
謝罪が二人の口から同時に出た。

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