降ってきた

雪が降った。大雪だった。上司が電車動いてねーって、と携帯を見ながら青い顔で呟いたのは宴もたけなわの居酒屋のことだ。
数時間前、お前明日誕生日らしいじゃん奢ってやるよと機嫌よく連れられたそこは、池袋から山手線でお隣さんのお隣さん、高田馬場にあった。上司行きつけだけあって活気よりも落ち着いて酒を飲む、一見の静雄でも気後れしない店だったのだが、ここから間借りしている池袋のアパートまで歩いて帰るにはちょっと遠い。店に入るまでにも降り始めていたが、ここは東京だすぐに止むだろうとたかをくくり、構わず飲み食いしていたのがいけなかったようで、空いた皿を下げに来た店主がお客さん、雪すごいけど大丈夫?ときいてきたときには遅かった。あわてて外を見ると数センチも白いのが降り積もっているわ路面は凍結するわで、傘を差しながら滑って転んでいるものが何人もいた。自慢ではないがただでさえ姿勢の悪い静雄がこけない自信は無い。電話帳を開き数社問い合わせてみたが、タクシー会社も色よい返事を寄越さなかった。時刻は11時半を回っている。金曜日の夜だ、そりゃ忙しいだろうなとあきらめざるを得なかった。

「悪かったなあ、日が変わる前には帰してやろうと思ってたのに」

酒で赤くなった顔をゆがめ、上司はドレッドヘアに手をやり、気まずそうに言った。女子でもあるまいし何故そんなことをと不思議に思っていたら、明日は土曜だし誕生日に過ごしたい相手くらい居るだろうとの返答。
誕生日に過ごしたい人間か、と今までの人間関係を振り返ってみる。高校卒業後家を出て2年、実家に帰るのは正月くらいで、芸能人をしている弟とは会おうと思っても会えない。律儀な男なのでメールくらいは寄越してくるかもしれないが。友人と呼べる相手も少なく、かろうじて一人そのような人間が思い当たるものの、奴は同棲している女に夢中で静雄の誕生日など覚えているはずも無い。し、別に祝ってほしいとも思わない。想像したら普通に気持ち悪かった。
他には特に思い当たる人間も居なかったので、あいまいに首を傾げてみる。上司に悪気が無いことを静雄が理解しているのと同じように、毎週5日も仕事を共にしているのだ、自分に恋人が居ないことなど相手にもとっくにばれているだろう。上司はこちらに住んでいて、それこそ10分も歩けば無事帰れるのだという。よかった。静雄は今夜の宿をネットカフェとカラオケと簡易ホテルのどれにしようか考えながら、ばつが悪そうな上司へ言う。それらも帰宅困難者でごったがえしているようなら最悪野宿すればいいだけだ。規格外の己の体のこと、豪雪の夜だろうと新聞紙でも買えれば風邪くらいですむだろう。

「いや、誰にっつーかもう、トムさんが仕事終わっても飲みに誘ってくれただけで十分す」
「な、え、う。お前、……泣かせるじゃねえか」
「まじで、あざっした。社長以外じゃトムさんくらいっすよ、俺と飲んでくれるの。俺酒弱いからオレンジジュースくらいしか飲まねえのに、呆れないし」
「体質にやいのやいの言ったってしょーがねえべ、いや、つうか、今日お前宿あんの」
「新聞紙なんかコンビニで売ってるじゃないっすか」
「なんのはなし」

もしよかったら、と前置きして、顔が赤い上司は俺んち来るか、と言った。思っても見ない言葉に思わず口をあんぐりとあける。

「明日、ってもうあと何分かだけどよ、どうせ休みだし。女っ気ないし汚ねえけど、寝るところくらいあるぜ。……誕生日の日に過ごすのが俺で悪いが、もしよかっ、」
「え! まじすか。超助かります。うわ、なんてか、駄目だ言葉が出てこねえ、えっとあの、トムさんって、ほんとカッコイイっすね!」

上司の心意気に勢い込み、新聞紙のお世話にならずにすんで助かります、と深々とお辞儀すれば、無言で伝票を持って席を立つ上司。心なしか動作が粗暴だ。図々しすぎただろうか、と急いで身支度し追ったら耳まで真っ赤だった。珍しい。飲みすぎたんじゃないだろうか、トムさん。


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