いくのです

臨也がチョコレートパフェのフロスティを先割れスプーンでくずしながら、聞いたこともないような名前の国に行く、と言う。声がいいことが数少ない長所の癖に何度聞いても砂嵐がかかったような、よく聞き取りにくい国名は三度目聞き返しても納得できなかった結果ついに俺に「ああ。そう」以外の反応をさせなくなったのだが、とにかく高校時代の悪縁がひとつ、近々消えることは確からしい。永住するつもりだと言うのだ、あんなにも日本の大トロを愛しているくせにケッタイな男である。知り合いや信者や憎まれている相手は数え切れないほど多いくせに友人の少ない臨也は、岸谷医師と俺と、二人に直接伝えただけでもう十分なんだよねと笑った。胡散臭さをどこまでも極めたような奴だったが、笑顔は相変わらず美しい男だ。
臨也にいつ出立するのかとたずねると驚くことに、今日これからか明日か明後日だと、微妙にアバウトなことをあっさりと吐露した。いかにも急な話だが、お互いもう大人なのだし、止めるのも野暮と言うものである。一抹の寂しさは同窓生として感じるものの臨也が新宿、池袋から消えても俺の生活には特に支障はないし、むしろ少なからず穏やかなものになるかもしれない。そう考えるとますます引き止めるという手段はありえないものになって俺は大人しく、どこに行くのかはよくわからんが、まあ達者でな、と、ポケットにねじ込んでいた文庫本を餞別代わりにぽんと渡すのみに留める。臨也はありがとうドタチンもね、と受け取った。種田山頭火の詩集など臨也なら既読かもしれないが、まあそこを追求するのもまた野暮と言うものだろう。未練もなさそうで、俺としてははああ、と意味もなく感心した息を吐きたくなるというものである。
おそらく岸谷医師には自ら出向きインターホンを鳴らしたのだろうが同じ奴の友人でも俺のほうは臨也に一人、ちょっと上質めのファミリーレストランへ呼び出されたのであって、まさかこんな話を切り出されるなんて思っていなかったのでちょっと用心してきたのだが、臨也はチョコレートパフェをさっさと注文して前述のとおり別の意味で俺の度肝を抜いた。俺はウィンナーコーヒーをすすりながら、来神時代の知り合いで今も細々とした関係の続く金髪の男の名をふと思い出した。

「そういえば、お前静雄には何も言わなくていいのか?」
「ドタチンってば頭いいくせに突拍子もないこと言うその癖、まだ治ってなかったの」
「これでもう最後なんだろ。帰ってくる気もないのに禍根を残したままで、いいのか?」
「なあにそれ。恋人の家再訪するための口実にわざと忘れ物するような女々しい奴みたいに俺を見てるわけドタチン? いらないよあんな奴への挨拶なんか。この間駅の近くで会っちゃったんだけどね、あいつ言ったんだ、『お前と会わないで済む国に行きたい』って。新聞専用ゴミ箱ぶん投げながらね」
「……」

お前、それでか?なんて馬鹿なことを聞くつもりはなかった。たとえば、静雄にどこかに行かれる前に黙って自分が消えようなんてことを実行しようとするだとか、静雄の拙い言葉一つに心を支配されるなんて生物は、折原臨也ではない。
俺の知る限りそんな生命体は折原臨也ではない、けれど、人間の心と言うものは30年も生きてない俺にどうこう語らせてもらえるほど一本気じゃないだろうし俺は友人のことを理解していないと思う。意味もないため息をつきながら意味もなく、底の見えるコーヒーに備えつきの砂糖をさらさらと流し入れるが、あまい粉はほろほろと茶色く染まっただけで何の影響もなくカップの中で溶けていく。はああ。うしろすがたのしぐれてゆくか――か。
俺は幸せに暮らすんだよ、あの国で。と臨也がもう一度口にした例の聞き取りにくい国の名前は、俺の覚え違いでなければベストセラー作家が血迷って書いた三文小説の架空の島の名前に似ている気がするのだが、やはり俺は止める言葉を持たずに、くれぐれも体に気をつけろよ、友よ。と言うのが精一杯だった。チョコレートパフェもウィンナーコーヒーも、そろそろ消える。

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