試験

まさか男相手にムスコが役に立つ日がくるとは思わなかった。しかも何回も。若いっていいね。ほんと人生何があるかわからねえと自嘲しながら袖に腕を通し、緩めていたベルトを締める。最後に帽子をかぶって、微動だにせず俯せでただ規則正しい寝息を立てる布団に寝入った相手を残し、バイバイと一言起こさないように呟き千景は靴を履いた。
勝手知ったる玄関のドアを開けると、そこに立つたった今来たばかりといった風情の一人の青年と鉢合わせした。あ、とその無表情の青年に千景の目が開かれる。
「アンタ」
「どうも」
感情の波の起伏に乏しいようで、顔色一つ変えないまま目礼した青年は、千景がついさっきまでこの部屋で抱いていた男の弟だった。平和島幽は、千景の気まずさを隠しきれない苦い顔を見ても気にした様子もなく、兄貴中に居ますかと淡々と尋ねる。居るも何もここは本来平和島静雄名義のアパートの一室であり、千景がそこに通っているにすぎないのである。
「ああ・・・いるけど」
今は入らないほうが、と曖昧にぼやかす千景にそうですか、と千景より年上である幽は敬語のまま頷く。ならちょっと付き合いませんか、とアパートの階段の下を指され、元々帰る気でいた千景に不満はなくそれに従った。無言のままカンカンと靴音を鳴らし階段を降りてゆく幽。テレビ越しでなければほとんど会ったこともないような全国区のアイドルの予期せぬ登場。生で会っても相変わらず整った素顔を隠さないまま、堂々と公道を歩く幽は度胸があるのか何も考えて居ないのか。千景にはその区別がつかなかった。
女は大好きだが女のような顔をしていても男には別段関心はない。暴走族の頭領という地位に就き、男の美も醜もそれなりの人数を見てきたがそれこそ静雄でもない限り、性的に組み伏せてやろうと思った相手など皆無だった。その端正な顔は女と言っても通じるだろうが従って、千景は幽に対して情人の肉親でアイドルという感覚以外を持ちはしなかった。それは相手にも通じることだろう。兄にちょっかいを出す奇特な男という意識。千景から静雄との公言したことも、向こうから聞かれたこともなかったが、きっと幽には静雄の部屋で二人が何をしているのか察しくらいはついているだろう。情事後の人間が纏う空気など、とっくに幽とて承知しているはずだ。
幽が入ったのはアパートから歩いて数分の喫茶店だった。通い慣れているのか何でもよかったのか幽は何も見ずにアメリカン、と店員に伝えた。歳を召した店員は平和島幽が目の前で座っているというにもかかわらず一向に気づいた様子もなくオーダーを無愛想に繰り返した。千景は軽食を頼んだ。
「で、用件は」
水の入ったコップのふちを口にあて、千景は挑むように幽を睨んだ。兄の静雄は日本人にしては相当の長身だが、幽の方はほどほどの高さしかなかった。目線の高さはほぼ一緒。喧嘩慣れもしてなさそうだし、歳の差はあれど恐れは全く感じなかった。
幽の前にコーヒーが運ばれてきた。千景は水で喉を湿らせる。
幽はブラックのまま飲んだ。一口飲んで、ソーサーに戻す。千景を見た。
「ろち男さん」
「・・・・・・・・・・・・え俺?」
「ろち男さんは、兄をお好きなんですか」
ろちおって・・・と絶句していた千景は、続く幽の静かに投げかけた質問の形をとった確認に、呆けてだらし無く開らかれていた口を引き締めた。薄い唇が一文字に細面を両断している。
そんな表情は女好きの伊達男たるに相応しいものであり、ああこの人であれば確かに女性は放っておかないのだろうな、と天下の平和島幽にさえ思わせるものであった。千景の顔を単に美形と、そう評すのは簡単だが、それだけでは足りない何かがあった。
千景は幽の言葉を反駁する。
「『好き』」
「私は兄が好きです。尊敬もしてますし、この業界に入れてもらったきっかけという恩もあります。彼を幸せにしたいと思ってます」
照れを浮かべることもせずに幽は言い切った。だからと、凪いだ瞳のままで千景を見ている。

「お前みたいなガキ、絶対に認めたくねえんだよ」

凪いだ。
凪いだ瞳のまま、千景の目をみたままで幽は言った。冷たい美貌の幽に千景は背筋に薄ら寒いものを感じたがそれでも視線を逸らさず、片頬で不敵に笑った。こちらも修羅場くらい、いくらでもくぐっている。
「そっちが素のキャラ? それともそれもなんかの役?」
「さあ。けれど、兄には誠実でいたいので」
先程までの口調に戻り、幽はしれっと再びコーヒーに口をつけた。千景の前にもサンドイッチが運ばれてきたが、それには手をつけずじっと幽を睨み据える。
「六条千景だ」
幽も目を向ける。
「俺の名前はそんな珍妙じゃねえ、確かにアンタに名乗ったこたねえし前にアンタに会った時にはハニー達がいたがな。ろっちーって、そんなあだ名で呼ばれてもいたがアンタにはそんな風には呼ばれたくねえし」
「六条さん」
「あいつには千景って呼んでもらってまぁす」
嫌らしく笑って千景はサンドイッチにかぶりついた。鋭い犬歯に挟んであったスクランブルエッグが千切れ、それにかかっていたケチャップが、ぼとりと皿に落ちる。口にもついたその調味料を親指の腹で拭う。幽は表情筋を一筋も動かすことなく千景を見ている。
「・・・俺は女が好きだ。ハニー達残らず皆愛してる。全世界の女性が幸せであってほしい」
アンタがあいつに想うように、と幽に言うと幽はわずかに目を細めた。笑って、ではない。構わず千景は幽の顔の中に静雄を思い出しながら、それに向かって微笑んだ。

「あいつは、男で唯一ハニー達と同じくらい幸せになってもらいたいと思った奴だ」

そもそも男の骨張った体などに、それも尻などに、普段であれば興味はない。暴走族の仲間が下半身を露出させ近づいてきたらまず間違いなく千景はその顔面にドロップキックの制裁で目を覚まさせようとするだろうし、見知らぬ他人ならば兜割を奮う気すらなく直ちに警察へ連絡することも厭わないだろう。
加えて千景は男に走る必要に駆られるほど女性に相手にされないわけでなかったのだが。
それでも静雄を抱こうと思うのは。
自分から静雄のそこを暴いてやろうとする感情は紛れもない汚い肉欲だが、遺伝子の情報に逆らってまでその行為をしたい衝動におそわれる理由は。
確かにあるのだ。
はあ、と幽はため息をついた。「そうですか」の一言に、千景は口を尖らせる。
「足りないか。俺の最上級の褒め言葉なんだが」
「兄は、あの通り人を愛することに怯えがありますから」
「あの暴力のことか? 5発までなら耐えれるぞ」
「4発ですよね。見栄は張らなくて構いません」
「・・・なんで知ってる」
「兄から聞きました」
涼しい顔で言う幽。ぼとりとケチャップではなくサンドイッチ本体を落とす千景。

「それを言っていた兄は、どこと無く幸せそうでしたから」

ま、一応仮免許ということでと幽は当初から一貫してテンションを上下させないままコーヒーを飲み干し、千景はアイドルの恐ろしさを少しだけ理解した。静雄のことをブラコンと思っていた千景だったが、どうやら弟のほうもかなりのものであるらしかった。

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