湯上りに一服

俺タバコ吸ったことねえわと言われたが、戌井の年齢が成年に達しているのか確認したことがなかったので別にいいんじゃねえかとそれに応え火のついた大人の嗜好品をふかせば、にゅっと伸びてきた手が俺の口からタバコを抜き去りその代わりに戌井の舌が入ってきた。キモいわと無言で睨み付けたが目をつむった奴は言葉通りの無視なので、俺からも戌井の歯に舌を這わしてみる。驚いたようでびくっと震えた戌井の隙をついて離れ、あの無防備な虹色の頭に拳固をプレゼント。
「焦った」
頭でなく口を押さえ、珍しくも余裕なく瞠目した戌井から奪われたタバコを取り返そうとしたが奴は驚きで力が抜けたのかとっくにコンクリートの地面に落としてくれていた。舌打ちして踏みにじり、万が一の火事を防ぐ。ボロアパートの床だったら間違いなくくっきりと焦げ跡がついてくれただろうから、敷金礼金といった未来を考えるとこれが部屋の中でなくてよかったと思った。
前々から怪しいと思っていた風呂がまとシャワーがついにぶっ壊れ、明日も仕事を控えている身なので妥協案として戌井と銭湯に行った帰り。自販機で一箱購入した俺を見て、コーヒー牛乳の空き瓶を回収ケースに並べていた戌井が言ったのが冒頭の言葉。タバコ吸ったことねえわ。そう言ってタバコの味を圧し俺の口内を占領したコーヒー牛乳の味が、まだ舌の上に残っていた。
「何今の静雄サン」
「お前こそ。なんでタバコ吸ったことねえから、があんな行動になんだ」
「どんな味なのかなあと思って」
味を確認するために選んだのがお誂え向きに火が立ち上っていたタバコ本体ではなくそれを吸っていた俺だというのが悲しくも泣かせる話だ。生憎と一口吸うか吸わないかであの蛮行に及ばれたから直接口同士をくっつけたところで殆ど味などしなかっただろう。戌井がさっきまで俺の領域を侵していた舌をべろっと出す。
「嘘。ほんとは湯上がりの静雄サンに興奮しただけ」
「んなもんとっくに見慣れてるだろーが」
「やだ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも銭湯の湯上がりは格別っしょ」
衆人環視に裸体晒したアンタは俺と同じところに帰るんだ、その独占欲って半端ねえよといつもの軽い調子で意味を戌井は説明してくれたが俺は俺の家に帰るに過ぎずそこに戌井が居候として勝手についてくるだけであるのだからその説明には重大な誤りがある。呆れて吐きそうになったため息を、まあいいかと飲み込む。それより、と戌井がまた顔つきを変えて言った。
「アンタだよアンタ。なんでさっきのちゅーに応えてくれた訳さ。いつもなら殴って終わりだろ」
「あの状態でんなことしたらお前舌噛むだろ。したら俺も危険だし」
「わお。アンタも嘘つき?」
しし、と笑う戌井。確かに俺はこいつが居候することを許したがそれ以上の関係に及ぶ気は無いと普段態度で示している。もう銭湯が閉まるギリギリの時間、10時を回っている時刻とはいえ普通の銭湯が面する通り、まだ行き交う人の影も、そいつらの目もある。そんな中悪戯にしてもやり過ぎの感がある確信犯戌井のあれに、乗ってやるというのはいつもの俺ではありえない行動だ。第一俺はノン気だし。
しかし俺は戌井にこうも言っている。俺にはこの世で何よりも許せない、嫌いという言葉ですら表現しきれない、憎いの言葉でさえまだ足りないほどの憎悪を向ける相手が居ると。
人が行き交っても不思議でない時刻。正体はただのノミだが一応人間の皮を被っている野郎がいてもおかしい時刻ではなく、奴が視界に入っていた。野郎を直視するくらいなら、タバコを一歩犠牲にし、同性と舌を絡めようが他の通行人にホモカップルと誤解されようがまだマシというものだ。仮に後でノミが俺と戌井の先程の行動を理由にあることないこと知り合いに吹聴して回ることがあろうと、戌井に拳固を落とし顔を上げた時にはもうノミの気配は影も形もなく、余計な怒りを感じることもなく実に平和な気分で俺はいられた訳で。後のことより今が大事だ。今、あいつを直視せずに済んだ。その点に関しては俺は戌井に感謝しないこともない。

別にいーんだ、とそんな裏事情を知ってか知らずか戌井は言った。そんかわしと不敵に俺を見上げ。
「俺で逃げた分見返りは求めるからね。今夜覚悟しなよ静雄サン」
「さっきのでチャラでいいだろ」
「まっさかー」
風呂上がりのアンタが色っぽいのはほんとだよ、と戌井が囁いた。なんだかんだで些細な軽口ではこいつに怒りを覚えなくなってきた俺は、はいはいといなして先んじてアパートの方向へ向かった。戌井がぽてぽてとついて来る。なんとなくブリーダーの気持ちを理解しながら、ははっと笑ってしまった。

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