まどろみの目覚めをまっている

(似非方言です)

 故郷に帰ってきた勇利の日課は、朝のロードワークだ。
 一定のペースを守って走る勇利の瞳に飛び込んでくる風景は、故郷を離れる前とちっとも変わらない。
 勿論新しい店や無くなってしまった建物もあったけれど、数年振りに帰ってきた自分を、あの頃と何一つ変わらない空気で長谷津は出迎えてくれた。
 朝夕はまだ肌寒いが、季節は着実に春へと向かっている。
 その証拠に、朝靄にけぶる道を走る勇利のじっとりと汗ばんだ体に当たる風は、昨日よりも僅かにぬるくなったように感じた。
 朝のロードワークをこなし、そろそろ朝ご飯が準備されている頃合いだろうかと左手にはめていた腕時計を何気なく覗くと。
「うわっ、もうこんな時間!」
 ここから急いで帰れば朝ご飯にギリギリ間に合うかという時刻を知らせていた。
 帰ったら真っ先にシャワーを浴びたかったが、仕方がない。朝は寝ぼけ眼で無心になって走るせいか、ついつい手元の時計の確認を忘れてしまう。勇利は慌ててお気に入りのイヤホンをはめ直し、踵を返した。


 玄関の引き戸をガラガラと開けた勇利は、一旦立ち止まって息を整えた。
「おかえりー。朝ご飯出来とるよー……」
 どうやら間に合ったらしい。
「ただいまー。うん、分かったー」
 奥から聞こえてきた母の声にやや抑えた声量で答え、ランニングシューズを脱いでいく。
 従業員用の靴箱にシューズを入れると、ひとまず洗面所へ向かった。
『おはよう、勇利』
 手を洗い、食堂にやって来た勇利を、先にテーブルに着いていたヴィクトルが笑顔で迎える。
『お……おはようございます、ヴィクトル。早いですね』
 今日も今日とて輝かんばかりに眩しい銀盤の皇帝に、勇利はどもりつつも何とか挨拶を返す。そして、きょろきょろと食堂内を見渡して首を傾げた。
『あれ、ユーリは?』
『ユリオかい? まだ寝ているみたいだよ。貸してもらったゲームがいたく気に入ったみたいでね』
『あー……。夜更かししちゃったのかな』
『ふふっ。誰かさんのせいでね?』
 意味ありげにこちらを流し見たヴィクトルから、勇利は油が足りていないロボットのようにぎこちなく視線を逸らした。確実に僕のせいですね、はい。
『……でもそのお陰で、二人きりで食事ができる』
『? 何かいいました?』
『何でもないよ』
 小さな声で呟いたヴィクトルに聞き返すも、彼はやんわりと微笑むだけだった。
 勇利がテーブルを挟んでヴィクトルの向かい側に腰掛けると、タイミングを見計らっていたのか、直ぐに姉が朝ご飯を運んできた。
「二人ともおはよう。今日は卵かけご飯に大根と油揚げの味噌汁、ほうれん草と人参の白和えだよ。殻はそのまま器に戻していいから卵は自分で割ること。いい?」
 ほかほかと美味しそうな湯気をたてる朝ご飯を手早く並べながら姉は一通り説明していく。
「じゃ、聞かれたら今言ったこと翻訳してね」
 ヴィクトルに笑顔で会釈して姉はさっさと去っていった。"ゆ〜とぴあかづき"の従業員である姉と両親は、勇利達よりも先に起きてもう朝ご飯は済ませてあるのだ。
 勇利が手を合わせると、ヴィクトルも見よう見まねで一緒に手を合わせた。それにちょっとむずがゆさを感じつつも。
「いただきます」
 箸を握ると早速ご飯の真ん中に浅い窪みを作っていく。卵が入っていた器の縁にこつこつと軽くぶつけてひびを入れ、艶々の白米の上でぱかりと卵を割った。醤油をかけて卵とご飯を混ぜる。いい塩梅になったそれをかき込もうと、お茶碗を持ち上げたところですごい形相でこちらの手元を凝視するヴィクトルとばっちり目が合い、勇利はその体制のまま硬直した。
『……勇利、それは……なんだい?』
 永遠にも感じられた沈黙の後、重い口を開いたヴィクトルによって勇利の硬直は解かれた。
『っへ? それって……これのこと?』
 勇利は答えながら手元の茶碗を指差す。
『ああ。それは……生のままの卵なのかい?』
『? はい。そうですよ?』
『っ!! やはり。見間違いなどではなかったか……!』
 心底驚いている様子のヴィクトルに首を傾げかけるも、あ! と勇利には閃めくものがあった。
『もしかして、そちらでは生卵を食べる習慣がないんですか?』
 アメリカではなかったけど、とつい最近まで暮らしていた留学先を思い出しながら勇利が聞くと、ヴィクトルは大きく頷く。
『新年、ウォトカを飲む前に食べる人もいるにはいるけど……大多数のロシア人は食べないな』
 戸惑った様子のヴィクトルに、勇利は一人納得した。なるほど、だからあんなに驚いていたのか。
『そうなんですか……。じゃあヴィクトルの分の生卵、ふりかけに交換してきますね。あ、ユーリのもそうしてもらなきゃな……』
『いいのかい?』
『うん。食文化の違いですもん』
 勇利はすくっと立ち上がり、ヴィクトルの分の器を持って厨房に駆け寄った。
「父さん! ふりかけば取って」
 働く父の邪魔にならないようにと、厨房の外から声をかける。
「どがんしたと? よそったご飯多かった?」
「ううん、そうじゃなくて……。ロシアじゃ生卵ば食べる習慣はなからしかっさ」
「あら、それはびっくりさせたやろうねえ。……玉子味で良かかな?」
「うん、ありがと。確かに驚いとったねえ。……あ、ユーリの分もふりかけに変えてやってね」
「分かっとるけん、それよかはよ届けてやんなさい。せっかく炊き立てなんやから」
「うん」
 卵の入った器を差し出し、小袋に入ったふりかけを受け取ると、勇利はヴィクトルの元へと急いで戻った。
『戻りました〜。ってユーリ起きたんだ? おはよう』
 ぼさぼさの寝癖をつけたロシアの妖精が、いつの間にか席に座っていた。たった今目覚めたばかりなのか、眠そうに目を擦っている。
 勇利はひとまずヴィクトルにふりかけを渡し、隣の席に腰掛けた。
『、はよう。お前に借りたゲーム、思ってたより面白かったぞ』
『あれ僕の一押しなんだー。気に入ってくれて良かったよ』
 にっこり笑いかけると、ユーリは照れたのか顔を背けてしまった。
 いつもは懐かない猫みたいにツンツンした態度のユーリも、朝には弱いらしく、徐々に覚醒してくる一時の間だけ、平常時よりも素直な反応を返してくれる。
「おはようユリオ! 今日もかっこいいね〜。はい、これ朝ご飯。たんと食べなさい」
 朝っぱらから二割増しの良い笑顔を浮かべた姉が、ユーリの分のトレイを持ってきてテーブルに置いた。すっかり年下の少年のファンと化した姉は、傍目にも分かるほど丁寧に接していた。ちなみに弟である勇利への態度とは、天と地ほどの差がある。
 他と比べて比較的良好な姉弟関係を築いている勇利は、そんな姉の様子を生暖かい眼差しで見守るばかりだ。
 徐にちらりとこちらを見てきたユーリにああ、と勇利は頷いて一旦箸を置くと、先程したばかりの挨拶を繰り返す。
「いただきます」
「……イタ、ダキ…マス」
 手を合わせた勇利に続くように辿々しい食前の挨拶を披露したユーリは、箸を握りしめると猛烈な勢いで目の前のご飯を食べ始めた。
 勇利は少しだけ冷めてしまった味噌汁をずずっと飲むと、お茶碗を持って今度こそ卵かけご飯をかき込んだ。

title by シュロ
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