04.よっつ、よろしくさえ言えば良い


 次に目が覚めると正午過ぎで、なんと病院までわざわざ龍さんが様子を見に来てくれていた。
 世界中を飛び回るカリスマ霊能者の話を散々秋音ちゃんから聞かされていた私は恐縮しきりだったが、龍さんは大事な知り合いの娘である飛鳥ちゃんを預かっているんだからこれぐらい当然だよ、とにっこり微笑んだ。
 聞けば私が学校に行った後、入れ違いのようにアパートに帰って来たらしい。
 しかし、その爽やかな笑顔は長くは続かなかった。
「……学校から連絡があって驚いたよ。無謀と無茶は違うってこと、飛鳥ちゃんなら分かっているだろう?」
「うう……ごめんなさい」
 流石あのアパートの大人だ。真剣な表情と短い言葉の中に込められた心配とぐうの音も出ない指摘に、私は項垂れて心から反省した。
 それから龍さん同伴の元、私はお医者の話を聞いた。軽い脳震盪を起こしたものの、大したことはないそうだ。逆に怪我はカメラが直撃した肩や、靴箱を受け止めた背中の打撲が思っていたよりも重傷で、一週間分の湿布とそれがずれないようにするためのテーピングが一色、それから痛み止めを処方された。湿布はお風呂上がりに貼れば一日効くらしい。
 お医者さんは薬を飲んでも痛みが酷いようだったら病院に連れてきて下さい、と保護者代理の龍さんに念を押していた。
 経過観察がてら痛み止めの点滴をする為に左手の甲に針を刺された時は、目をぎゅっと瞑って耐えた。
 その間龍さんは、静かに私を見守っていた。


「この度は、調査中の事故で樋口さんに怪我を負わせてしまい誠に申し訳ありません」
 話を聞き終えてカラカラと点滴片手に病室に戻ると、リンさんの上司だと名乗る渋谷さんが私達の前に姿を現してきっちり頭を下げた。
 私と年が近そうなのに所長さんらしい。
 物凄く美しい渋谷さんの美貌にどこか既視感を覚えて、私は見とれつつも映画かなんかで見たかなあ? と一人首を傾げる。
 一時的に私を両親から任されている龍さんは、まだ十代そこらに見える渋谷さんにも丁寧に対応していた。真面目な顔で話し込んでいた二人は、私の病院代を変わりに負担してくれるというところで話がまとまったようだった。
「では、本当に見舞い金はいらないとおっしゃるんですね?」
「病院代を出してくれるだけで十分ですよ。そちらの助手さんは自分が悪いと仰いますが、飛鳥ちゃんから聞いた話を合わせると、後先考えなかったこの子にも反省すべき点がありますから」
 うう、ごもっともです。
「しかし」
 何事か言い募ろうとしたリンさんを眼で制し、龍さんは続ける。
「それだけでは気が済まないと言うのであれば、そうですね。……結果的に今日一日学校を休むことになったことへの便宜を図って頂けたら、この子も助かるでしょう」
「……分かりました」
 リンさんは渋々といった風に頷いた。
「……おや」
「?」
 徐に目を細めた龍さんはアパートに今から帰ることへの連絡を入れてくる、と私に告げると渋谷さん達に急な退席を詫びて病室から出て行った。
 誰か連絡を待っている人でもいたかな。不思議に思ったが、まあ龍さんだしと私は深く考えることなくさらりと疑問を流した。
 龍さんが出て行ってすぐに、どたたたた! っと病院の中なのに走るような騒がしい足音が聞こえてきた。
 病室を後にしようとしていた渋谷さんが眉を寄せる。私はリンさんと顔を見合わせた。
 その足音がみるみる近付いてきたかと思えば、私の病室の前でぴたりと止まる。それからバーン! と病室の扉がスライドされ、あまりの勢いに一度閉まった。でも学習したらしい誰かは今度は勢いを殺し、ドアがゆっくりと開かれる。
 勢いが良かった割に、入り口で微動だにせず立ち竦んでいる彼女の名を私はそっと呼んだ。
「麻衣ちゃん」
 ドアを開けたのは麻衣ちゃんだった。麻衣ちゃんは呪縛が溶けたように動き出して病室に入ると、ベッドに座る私を見て途端に泣き出した。一目も憚らず、大きな瞳からぼろぼろと透明な雫が止め処なく溢れている。
 手招きすると、恐る恐る近付いてきた。眼を見張っているリンさんや、驚いたように瞬いている渋谷さんの姿は視界に入っていないようで、麻衣ちゃんはひっくひっくと嗚咽をこぼした。
「……しっ、死んじゃったかと、思った」
 嗚咽の合間にぽつりぽつりと語られる言葉を聞き漏らさないように、私は耳を傾けた。
「名前呼んでもピクリともしなくて……っ! あたしが、好奇心に駆られて旧校舎に近付いたばっかりに……!」
「うん」
 私は出来るだけ優しい声で相槌を打った。麻衣ちゃんはへなへなと崩れ落ちると、ベッドに突っ伏した。
「っごめん、ごめんねぇぇ……!」
「怪我も大したことないし、大丈夫だよ。それより、あんまり泣くと目玉が溶けるぞー」
 おどけるように笑ってみせたが、麻衣ちゃんは泣き止む所かますます泣きじゃくる。
 私は困り果てて複雑そうな顔色のリンさんに視線で助けを求めるも、首をそっと横に振られた。出て行くタイミングを図っているらしい渋谷さんに視線を移すと、全力で視線を反らされた。
 ……どうやら、私が何とかするしかないみたいだ。
 ベッドの上に投げ出された片手を握ると、麻衣ちゃんは縋るように握り返してくる。私はそろそろと手を伸ばすと、リンさんがしてくれたように震える頭をそっと撫でた。


 突っ伏していた彼女が、漸く顔を上げた。麻衣ちゃんはあれから暫く泣き、少しずつ落ち着いてきている。
 涙の筋が痛々しい。
 私は親指で眦に溜まった雫の残滓をそっと拭った。
 嗚咽が止まり、涙も大分落ち着いてきた頃合いを見計らったかのように、龍さんが戻ってきた。
 龍さんのことだから色々察していたんだろう。
 紳士的にハンカチを差し出すと好奇心は猫をも殺すよ、と苦笑いでさり気なく忠告していた。


 ハンカチを冷やす為麻衣ちゃんが一旦病室を出て行くと、私が一生懸命慰めている間にさり気なく暇を告げて病室を後にした二人組を思い浮かべて、ぽつりと本音を吐露した。
「私、渋谷さんの美貌になんか気圧されちゃいました」
「ははは。所長さんの纏う波動は澄み切っていて、確かに近寄りがたいね」
 龍さんが笑うと、沈んでいた室内の空気が和らいだ気がする。
「それに、あの助手さんは良い力を持っているね」
 カリスマ霊能者の意味深な呟きに、私は食いついた。
「え! リンさんって龍さんみたいな霊能者なんですか!?」
「ふふ。いや、僕とはまた違ったタイプかな」
 しつこいぐらい教えてほしいと強請ったが、龍さんは本人のいないところで勝手に教えるのはルール違反だから、と柔和な笑みでぴしゃりと撥ね除ける。
 懲りずに追い縋ったが、ヒントさえ出してくれなかった。
 戻ってきた麻衣ちゃんは唸る私と胡散臭い笑顔の龍さんを不思議そうに見比べていた。
 そうこうしている内にぽとぽと落ちていた点滴も少なくなってきた。夕焼けに染まる空を見て、気に病む麻衣ちゃんに私は大丈夫だから心配いらない、と何度も言い聞かせて日が暮れる前に帰した。
 完全に点滴が終わると看護婦さんを呼び、手の甲のテーピングと注射針を外してもらう。刺していた跡は痛痒くて、変な感覚だった。
 特に異常は見られず、私はその後無事龍さんと一緒にアパートに帰ることが出来た。

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