34.返すがえす君は不器用だから


 かつての湯浅は堅固な否定派ではなかった。ぼーさんの言う通り歴史のある女子高というのもあって怪談はよく保存されていたし、あまつさえ怪談もひっくるめて自分達の学校の歴史の一部だと強い自負があり、教師も生徒もそんな気風に対して肯定的だった。
 むしろ伝説の一種である怪談を、生徒も教師も一緒になって語り伝えていこうとする傾向が強かったのだ。
 演劇部の部長さんも言っていた。怪談をネタに教師が冗談を言うこともあったらしいと。
 ――ところが、とある怪談を聞いて肝試しをしようと夜の学校に忍び込んだ生徒たちがいた。肝試しの舞台は元ボイラー室である地下倉庫。子供と女性の悲鳴が聞こえると真砂子ちゃんが霊視して回った際に訴えていた場所だ。
 子供の泣き声が聞こえるという噂を聞いて、学園祭の準備期間中、学校の警備が緩んでいたのを幸い、校舎内に潜んで深夜まで居残った。満を持して地下倉庫に忍び込んだ生徒たちは、本当に子供の泣き声を聞いてしまう。
 彼女たちは悲鳴を上げて逃げ出した。そのとき、とっさに誰かがドアを閉めてしまった。
 ……仲間の一人を倉庫の中に取り残したまま。
 パニックを起こした彼女たちは、我先にと地下倉庫を飛び出した。ドアを叩きつけて閉め、そのまま三々五々学校自体から逃げ出した。誰もメンバーが一人欠けていることに気が付かなかった。ドアは叩きつけられた弾みで掛け金が降り、取り残されてしまった生徒はさらにパニックを起こす。閉じ込められたと信じ込んで闇雲にドアを叩き、そこで倒れた。
 逃げ出した生徒たちは翌日になって、友人が一人家に帰っていないことを知った。友人の家族から学校へ連絡が入ったのだ。
 彼女たちは慌てて昨夜の顛末を教師に告白する。話を聞いた教師は急いで地下倉庫に駆けつけるが――その時既に女子生徒は死亡していた。パニックから嘔吐し、吐物を気管に吸い込んで窒息死していたのだ。
 もちろんこれは大問題になり、学校側は責任を問われた。
 閉じ込めてしまった生徒が誰だったのかは本人たちにも分からなかったが、分からないことが必要以上に肝試しに参加した生徒たちを苦しめた。
『ひょっとしたら、自分が死なせてしまったのかもしれない』
 そんな思いから、生徒の一人は自殺未遂を繰り返し、別の一人はひどい鬱状態に陥って家から出ることができなくなった。
 あまりにも惨憺たる成り行きに、学校側は無責任に怪談を肯定し流布させてきた自分達を強烈に責めることになる。
 そして学校は百八十度、態度を変えた。
 多分この事件が、当時を知る教師たちに強い罪悪感と共に刷り込まれてしまったのだろう。
 怪談やそれに類することを生徒が喜んでいるのを見ると、反射的に当時の罪悪感が湧き上がる。これを放置すると重大な悲劇が起こるという危機感や、恐怖感を無条件に抱く。
 その結果、吊し上げめいたことまでやってしまう。
 教師たちの無意識からすれば生徒の人権を踏みにじるような振る舞いも、生徒を死なせ、生徒の人生を破壊してしまうような悲劇に比べれば問題ではない、ということなのだろう。
「だから、笠井さんのせいではないんだ。明らかに教師は過剰な反応をした。これは過去の事件に由来する罪悪感と恐怖心に基づく反射だ。当時を知らない教師も理由を知らないまま、他の教師のあまりにも強い否定的な態度に感化されて同様に振る舞った。マスヒステリーを起こしていたのは教師の方で、事件を知らない教師や生徒はそれに巻き込まれたんだ。君はそのスケープゴートになったにすぎない」
 所長はそう締めくくると、極めて冷静な表情で続ける。
「ただ、教師たちの危機感の根底にあるのは、二度と生徒にあんな悲劇を経験させてはならないという強い使命感だ。笠井さんや沢口さんを含む自分達の教え子を何としても守らねばという意識が、結果として逆に君に辛い経験を強いたのだということは理解してあげてほしい」
 千秋先輩は戸惑った様子だったけれど、気丈に頷いた。
「……うん。分かった」
「校長は笠井さんや沢口さんに対し、非常にすまないことをしたと今になって思い至ったようだ。近々、正式に謝罪があると思う」
「……ありがとう」
 それまで至極冷静に語っていた渋谷さんは、万感の思いが込められた言葉に何故か眉を潜める。
「僕が感謝される謂われはない。……この場合は、麻衣へ言うのがある意味適切だろうな」
 この考えなしの馬鹿はあろうことか依頼人である校長に真っ向から食ってかかったんだ。子どもを守るべき存在であろう大人が率先して村八分にするなんて酷い、笠井さんの気持ちも考えろ、と。
 ぎゅうと、繋いだままの片手が一瞬強い力で握り返される。
 実際に話してみて分かったが、千秋先輩は物騒な噂話とは違い、初対面の私に対して警戒心ばりばりに毛を逆立てて、これ以上自分の心が傷つけられないようにと、密かに怯える普通の女子高生だった。
 調査初日から参加し、私よりも接した時間が長かった麻衣ちゃんは、時折寂しそうに笑う千秋先輩のことを思って、冷静ではいられなくなってしまったのかもしれない。
「だが、まあ――」
 そこで所長はしかめていた眉を解くと、凍てつくようだった瞳を僅かに緩ませた。
「少しは、校長が重い口を開くきっかけになっただろうな」
「えっ……」
 麻衣ちゃんは驚愕をありありと顔面に貼り付けて凝視するが、それは瞬く間に波風も立たない厳冬の湖面へと戻ってしまい。
 さっきのは幻だったのかと、思わず私は狐に摘まれたような顔をしている(多分私もこの時二人とそっくりな顔をしていた)タカさんや千秋先輩と顔を見合わせた。


◇ ◆ ◇



 戻ってきた協力者たちに、改めて渋谷さんが学校側の事情を掻い摘んで説明すると、皆一様に複雑そうな反応を見せた。
「……ま、起こったことを聞くと極端に走るのも仕方ないって気もするか」
 そう言って頭を掻くぼーさんに、ジョンさんがですね、と同意を示す。
「当時のことを覚えてはる先生方が極端に走って、それ以降入って来はった先生方もそれに影響された、ゆうことなんですやろな」
「先生ばかりじゃなく、生徒もな。それが続いた結果、教師の間では否定的な態度が常態化したし、怪談だのが流布し始めても早々に芽を摘まれるから続かない。生徒も演劇部みたいに表向きは口を噤むし、すると怪談は消える。生徒も否定的――というより無関心になるって訳だ」
「そして、今度はその逆のことが起こり初めてるわけでおますね」
 それから最初に起こった怪異は何だという話になり、聞き取り調査をした際の各々のメモ書きや、麻衣ちゃんが書いて整理してくれていたカードを基におおよその時系列を割り出した。
 夜になるとノックの音がして一晩中鳴り止まない吉野先生、車のミラーに女の顔が見える宗城先生、座った者は電車に引きずられる魔の席は、九月の始め頃から。
 対するに、地下倉庫から子供の泣き声が聞こえる、などの旧怪談は十月に入ってから始まっていた。
 九月に始まった例は一つもない。
 狐憑きのような枯れ尾花系も十月に入ってからだ。それも半ばを過ぎてから増えている。
 麻衣ちゃんはカードに再度書き込みをすると、順番に整理し直してくれた。私は会議室内に置いてあったホワイトボードを拝借すると、カード達を読みながら刑事ドラマのように時系列順に板書していく。
 ホワイトボードを見ると、まず新怪談が一番初めに発生したことが分かった。次に旧怪談、枯れ尾花と続いていく。
 ではそもそも学校で怪談を耳にするようになったのはいつ頃かという所長の質問にタカさんは九月末ぐらいかなと答え、千秋先輩は人と話していなかったから正確には分からないけれど、十月の半ばくらいからちらほら耳に入るようになったかなと答えた。
 魔の席が可怪しいという話になったのは十月に入ってから。九月半ばに席替えがあり、約一週間後。二度目の事故が起きた。十月の席替えの後、三人目の被害者が出た時には既に校内でいろんな怪談話が広がっていたから、やっぱり、と誰しも思った。タカさん曰わく怪談話だけではなく、他校の友達の話や、どこかの心霊スポットなどの話も話題になっていたようだ。
 十月末ぐらいから、産砂先生の所へ寝入りばなに笑い声がする、飲み水に長い髪の毛が混じる、と事務員さんや教師が相談に現れるようになり、自分には霊能力なんてないのにと産砂先生は困っていたらしい。話を聞いて、そういうことは専門家に言った方がいいと助言したらしいが、そこまで大袈裟にしたくないと相談者達には尻込みされたとか。
 つまり、十月末には否定派の筈だった先生も賛成派へ転向し始めていたということだ。
 千秋先輩に対するバッシングは九月から始まった。二学期が始まって生物部でスプーン曲げをやってみせたらあっという間に噂が広がってしまった。ただその頃は聞こえよがしに非難する人もいたが、純粋に庇ってくれる人もいたそうだ。流れが変わったのは全校集会の前後。全校集会の後は、学校全体の敵意に晒され居場所も無くなっていた。
 十月の後半に入ったぐらいには面と向かって非難はされなくなったが、その代わりに千秋先輩の祟りだと言う人も出てきて、遠巻きにされるようになり、現在に至る。
「やはり、学校の雰囲気が変わったのは怪談話が流布したせいか……」
 二人から一通り話を聞き出した渋谷さんが、顎に手を添えて呟いた。
「怪談が流布するようになったのは新怪談の影響だろう。――問題は新怪談がなぜ起こったのか、ということだ」
 そうなのだ。旧怪談にはきちんと由来があり、古くから湯浅に根付いていたものだが……新怪談は違う。
 いつ、誰が、どのようなタイミングで発生したのか。そもそも何かしらの被害が出てから新怪談が登場したのか。もしくは、まことしやかに囁かれるようになってから実害を持ち始めたのか。
 ……あー、ダメだ。こんがらがってきた。


 渋谷さんは気持ちを切り替えるように、出払っていた人達に本日の首尾をたずねた。
 みんなの話を聞く分だと、どちらの怪談も分け隔てなく綾子さんお手製の護符を渡し、お祓いやご祈祷など除霊も分担して行っているのに、何故か旧怪談が由来の相談者達は状況が改善していて、新怪談が由来の相談者達は何一つ状況が変わっていないみたいだ。
 むしろ、人によっては被害が強くなっている。
 ぼーさんは天井を仰いだ。
「どうなってんのかねえ。新怪談って何者よ」
「由来する怪談がない、真砂子には見えない、除霊には効果がない」
 綾子さんが指折り数えながら言うと、ジョンさんも頷く。
「新怪談が全部の引き金を引いてるんやゆうことは、確かやと思うんですけど……」
 所長は嘆息して、調書の紙とカードの束を引き寄せた。
「何か他に共通項がないか探すことだな」
 うんざりしたように、綾子さんが顔をしかめる。
「また聞き取りぃ?」
「新怪談の被害者に絞って。……あとは、除霊の努力を続けるしかない」
 綾子さんは盛大なため息を吐き、力なく頷いた。
「あたしもう、飽きちゃった。……とにかくもう一回、見て廻ろう」
 真砂子ちゃんを促して立ち上がる。ジョンさんもそれに続いた。やれやれ、と億劫そうに立ち上がったぼーさんを渋谷さんが呼び止める。
「一度、学校全体を祓うというのはどうだろう?」
 渋谷さんの提案に、どの程度効果が期待できるかは不明だが、学校主催の儀式として生徒も含めてお祓いをするのは悪くない。少なくとも枯れ尾花が沈静化できる、とぼーさんは顎をさすった。
 所長がリンさんに視線を移すと、リンさんは所長の意を汲んでさっと立ち上がった。多分、これから学校側へ交渉しに行くんだろう。
 まさに阿吽の呼吸だ。……この二人って付き合い長いのかな。
 謎めいた雇用主とその助手の来歴を推察していると、ぼーさんが暗くなった窓の外とタカさんや笠井さんの姿を見比べているのに気付く。
「二人とも、そろそろ帰ったほうがいい」
 えええ、と二人は不満の声を上げた。
「夜は危ないからな。ほら、駅まで送ってってやるから」
 聞き分けのない子に言い含めるようにぼーさんが促せば、渋々先輩たちは立ち上がった。またね、と手を振り合ってベースから出て行く姿を見送る。
 ――やがて小会議室に残ったのは、私と麻衣ちゃんと渋谷さんの三人だけ。
 夜の静寂(しじま)が室内を支配する。
 あ、これは……。
 お邪魔虫は退散しようかと気を利かせて立ち上がろうとするも、隣の席からくいっと制服の裾を引っ張られて、私は敢えなくパイプ椅子に逆戻りだ。
 麻衣ちゃんったらそんな心細そうな顔しないでよ。大丈夫、私はここにいるから。
 置いてかないでアピールに屈した私は、自分の心の衛生上の為にも、麻衣ちゃんと所長の間の微妙な空気を何とかしようと腹を括る。
 だってこの二人、さっきから一切口聞かないんだもん。
「所長。私はその場に居なかったから詳しいことは分かりませんが、傍目から見て麻衣ちゃんは……ご覧の通りめちゃくちゃ反省してます」
「ちょ、飛鳥……!」
 麻衣ちゃんは眼を見開いて制止しようとしてきたが、一度開いた口はちょっとのことじゃ止まらないし……止められない。
「ただ意地を張っちゃって、自分でも引っ込みがつかなくなっちゃってるんです」
 眉間に皺を寄せて鋭い眼光を飛ばしてくる御仁のプレッシャーにもめげず、無言で見つめ続けていると――やがて所長はそっと視線を外した。
 か、勝った……!
 途中からもはやただの睨めっこみたいになっていたが、勝ちは勝ちだ。私はこの時初めて所長に勝利した。
 渋谷さんは、もぞもぞと決まりが悪そうに萎縮している麻衣ちゃんを一瞥する。
「……いい。僕も言い過ぎた」
 意地っ張りな彼女の気持ちを汲んでか珍しく折れてくれた所長に、やっとこさ麻衣ちゃんは素直に頭を下げることが出来た。
「……ごめんなさい」
「依頼人にも様々な事情があるということを忘れるな」
 おずおずと謝る麻衣ちゃんを、渋谷さんは厳しい声で叱りつける。
「うん」
 真剣な表情で返事をする麻衣ちゃん。それを聞いた所長は、少しだけ厳しい声色を和らげた。
「以後、気をつけるように」
「うん……!」
 麻衣ちゃんは大きく頷くと、次いで安堵の笑みを浮かべる。
 よっし! 仲直り成立!
 黙って事の成り行きを見守っていた私は、ほっと息を吐き出した。
「やっと針の筵から解放された……」
 脱力して思わず本音をもらせば、じとりとした紅茶色と漆黒の瞳に晒されてしまい。私は空笑いで誤魔化すのだった。

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