30.浪費した幸せを恐れるな


 HRが思いの外長引いてしまった。
 電車を降りるやいなや湯浅高校までダッシュで向かった私は、廊下を歩きながら荒くなった息を軽く整える。辿り着いたベースの扉を二回ほどノックして、ドアを開け放った。
「樋口です。遅くなりましたー」
 相も変わらず全身真っ黒なコーディネートの二人組と私服姿の麻衣ちゃんが、こちらを振り返る。小走りで近寄ると、何やら所長が丁度良い、と言わんばかりに頷いた。
「麻衣、樋口にインカムを」
「……はあい。飛鳥。来て早々悪いんだけど、あたしの代わりに連絡係お願いー。……今から所長様の言いつけで人探ししてこなきゃなんだ」
 ややげんなりした様子の麻衣ちゃんの肩を、労いの気持ちを込めてぽんと叩く。
 ……ははは、気苦労が耐えない面子だもんね。リンさんは一緒にいることも多いから無駄口叩かない寡黙なところが落ち着くけれど、渋谷さんに対しては咄嗟にちょっとだけ身構えちゃうもんな。二人きりの空間なんて滅多にないから未だに緊張するし。
 ――まあ、麻衣ちゃんにしてみたらそれは多分逆なんだろうけど。
 いや渋谷さんもね、あの毒舌というか物言いがなまじ綺麗な見目だから凄みがあって怖いだけで、根っこは良い人だってちゃんと知ってるし、表面化し辛い優しさだってちゃんと感じ取ってるよ?
 まあでも、私にとっては雇い主であり上司なんだから、この辺りが適切な距離感なんだと思う。
「分かった」
「これの使い方分かる? ……って、機械好きの飛鳥には愚問だったか」
 茶目っ気たっぷりな笑みを見せた麻衣ちゃんに、私も笑顔を返した。
「ふふ。昨日麻衣ちゃんがやってたのと同じ要領でいいんでしょ?」
「ひゃー、さっすがよく見てるぅ。じゃあ、行ってくるね」
「行ってらっしゃーい」
 ひらひらと手を振って小柄な友人を見送る。受け取ったインカムを装着してみんなからの連絡に備えた。
 その間に、昨日設置しておいた機材の映像チェックを任された。機材自体は午後に到着したときに回収してもう確認作業も一通り済んでいるそうなのだが、念の為再度チェックしてほしいとリンさんに頼まれたのだ。私は怪奇現象を見逃さないように目を皿のようにして映像と音声を確認したが、不審なものは何も映っておらず、不審な音声も入ってはいなかった。
 やがて、麻衣ちゃんがぞろぞろと複数人の生徒を引き連れて戻ってきた。
 きらきらと瞳を輝かせて見惚れる生徒達の様子を歯牙にもかけず、渋谷さんは淡々と椅子を勧める。
 所長に言いつけられた任務とは演劇部の生徒さん達を探してベースまで連れてくることだったらしい。演劇部の部長が代表して名乗るのを聞きながら、私はクリップボードに用紙を挟んだ。
 まず、美術準備室に幽霊が出ると訴えて吐血して入院している先生は、担任をしているクラスの生徒である江古田さんからある噂を聞かされていた。美術準備室には幽霊が出る、と。怪談話について説教されたことが面白くなくて、脅かしてやろうと思って話したらしい。
 しかし作り話ではなく、元々この学校にあった七不思議の中の一つだった。祖母と母と従姉妹が湯浅出身だと言う演劇部の部長が、そう証言する。今の風潮や校風は怪談話なんてしたら露骨に変わり者扱いされるから表向きは知らんぷりを決め込んでいるが、演劇部のように部活によっては隠れ怪談好きもちらほらいる。ちなみに笠井さんの所属する生物部は超心理学方面が好きで、新聞部はゴシップを含む都市伝説の中に怪談も含まれる野次馬系が好きなんだそうだ。
 超能力騒動のあとのバッシングについては、異常だと部長さんは答えている。保身に走る大人らしくない、学校側がパニックを起こしているように見えたと。
 それから所長と麻衣ちゃんで集まった生徒たちから七不思議の話を一通り聞き出した。
 江古田さんが聞かせたという美術準備室に出る幽霊は、随分昔に居残って作業をしていた美術教師が、誰にも気付かれず吐血して病死したことが由来。白い夏物のワンピースに白衣を着込み、実は水玉模様に見えるワンピースは吐いた血の飛んだ痕。
 次に体育館の倉庫は自殺した幽霊が出ると言われていたが、そもそも虚報らしい。女系ルート(湯浅出身の祖母と母と従姉妹のことだ)からの確かな情報だそうで、部長さん曰わく実はそんな生徒は存在しないというのが定石だった。昔は教師定番のジョークとして、勉強をしない生徒にいっそ体育館倉庫に一晩泊まるか、と嫌みのように使っていたのだと言う。だが、近年になると学校側が怪談話などのオカルトちっくなことを断固として否定するようになり、そのジョークは次第に使われなくなった。
 座ると祟られる席や、屋上に出る階段の人影は最近のもので七不思議は存在しない。
 机から手が出てくる手は、校庭の桜の木の怪談に近しいものがあった。校庭の端に三本並んだ桜があり、そのうちの一本に触ると手に付きまとわれる。三本の桜のどれかで生徒が首を吊ったことがあり、三本全部に触れば祟りを逃れることが出来る。
 ノックの音と、誰かが服を引っ張るというのは該当する話がなかった。
 しかし、足音が尾けてくる怪談は武道場の更衣室にあった。昔、生徒を見初めた教師か学外の男は無理心中を目論んだが、果たせずに更衣室で自殺した。その生徒は髪の長い女の子だったから、同様に髪の長い生徒が更衣室を使うと、尾け回されることがある。
 子供の泣き声が付きまとう、夢の中で誰かが足を掴む、飲み水に髪が混じる、眼が痛んで霞むというのは今日の午後に新たに生徒がベースまで相談しにきた内容らしい。
 驚くことに子供の泣き声と眼が霞むの二点も、該当する話があった。
 かつてボイラー室だった地下倉庫は、忘れ物を取りにきた生徒の妹もしくは弟がはぐれてしまい、ボイラー室に迷い込んで事故に遭って亡くなった。以来、地下倉庫では子供の泣き声がして、時にはあとを付いてくることもある。
 眼が霞むのは音楽室にある第一ピアノ室のブースだ。よくそこを使ってピアノの練習をしていた生徒が事故に合い、事故後しばらくして眼が見えなくなった。そしてそれを儚んで電車に飛び込んだ。以来、そのブースを使うと眼に障りがある。部長の祖母や母は、あれだけは本物だと力説しているらしく、実際に実例が幾つもあった為に、鍵を閉めて封印していた筈だった。
 でも、今では普通に鍵が開いていて歌や楽器などの個人練習で使ってるみたいですよ、と演劇部の一年生が指摘すると、部長さんはやるせなさそうにため息を吐いた。
「怪談が伝わらなくなったから、誰かが開けてしまったのかな。霊験あらたかな場所だったそうなのに。……怪談も伝説なんだがなあ。伝説にはそれなりの意味があるんだから、残しておくにこしたことはないと思うんだけどね」


 的確な渋谷さんの問いと、人懐っこい麻衣ちゃんの絶妙な合いの手によって警戒していた演劇部の生徒たちからだいぶ話を聞き出せたから、成果は上々だろう。
 もしかして、所長が麻衣ちゃんを聞き取りに同行させるのは、警戒心なく相手の懐にするりと潜り込むのが上手い彼女の性質を理解しているからかもしれない。
 となると飴が麻衣ちゃんで……渋谷さんは鞭?
「っぐ、けほ」
 危ない危ない。自分の思いつきに危うく吹き出しそうになってしまった。昔からある七不思議について外回り組に説明、もとい怪談を披露していた麻衣ちゃんがこちらを不思議そうに見たので、何でもないと首を振る。
 その時、綾子さんと真砂子ちゃんがベースに戻ってきた。
「――いる、って」
 綾子さんは勢い良く小会議室の扉を開け、確かめるように背後の真砂子ちゃんを振り返った。真砂子ちゃんは固い表情で頷いている。
「地下の倉庫です。女性の悲鳴が聞こえました。それに……子供の泣き声と」
「子供、ですか?」
 所長がたずねると、真砂子ちゃんは覚悟を決めるように一度目を閉じた。
「仰りたいことは分かりますわ。子供なんている筈がない、というのでございましょう。でも、聞きました。そうとしか答えられません」
「どういう子供だか、分かりますか」
 淡々と渋谷さんは質問を重ねていく。
「……事故で亡くなったのだと思います。まだ幼稚園ぐらいの男の子です」
 ――すごい。さっき聞いたばかりの怪談の内容に、どんどん近付いていっている。
「なんでそんな子供が、しかも事故って」
 まだ全部の七不思議を麻衣ちゃんから聞いていないぼーさんが、胡散臭気に声を上げる。
「……分かりません。……けれど、熱いと泣いています……火傷のイメージです……お湯か蒸気が……」
 真砂子ちゃんは口を噤むと、俯いてしまった。……この様子からすると、もしかして私が湯浅高校にいない間にツンと気位が高そうな彼女が、自信をなくすような出来事があったのかもしれない。
 頼りなげに小さく俯く姿を見るにみかねて、ぼーさんの鋭い視線から真砂子ちゃんを隠すように二人の間に割って入るのと同時に、渋谷さんは真砂子ちゃんの意見をあっさりと肯定した。
「それでいいんだ」
「――へ?」
 ぼーさんと真砂子ちゃんは揃って目を丸くしている。
「学校怪談にある。あの倉庫は昔、ボイラー室だった。そこに生徒が連れてきた兄弟が迷い込んで事故で死んだのだそうだ。事故の内容までは伝わっていないが」
 驚いていないのは、生徒達に七不思議を聞いていた私と渋谷さんと麻衣ちゃん、ベースで作業していたリンさんぐらいだった。
 善は急げとばかりに小会議室のパイプ椅子から立ち上がった所長が指示を飛ばす。
「問題の場所を、もう一度、全部見てもらえますか。――今まで廻ったのは?」
「言われた場所ですわ。陸上部の部室と、体育館の倉庫、屋上に出る階段と、相談しに来られた先生の車と……」
「あと、念のために魔の席と、手が出てくるっていう席。場所に固定されてるのは、それだけだっけ」
 ペアを組んで一緒に校内を廻っていた綾子さんが横から補足した。
「美術準備室がございますわ。ですが、昨日もさっきも部活動で使用中でしたから」
「改めて見てみてください。以上の箇所に加えて、校庭と武道場更衣室、音楽室のピアノブースを」


「どうでした?」
 真砂子ちゃんの霊視についていった面々(例によってリンさんと私を除く)を出迎える。備え付けてあったポットのお湯を急須に注ぎ、外回りから戻ってきた六人にお茶を淹れて、私は空いていたパイプ椅子に座った。
 真砂子ちゃんの証言をまとめると、美術準備室、校庭の桜と武道場更衣室、第一ピアノ室には、霊がいた。
 でも、明らかに曰わくありげな魔の席や、その他の場所についてはやはり何者も見えず、何かを感じとることもできないそうだ。
 昔からある七不思議のように、確かな由来があると考えていい怪談のある場所には反応しても、怪談がなければ明らかに怪現象が起こる場所には反応しない、か。どういうことだろう?
「あー、訳が分からん。魔の席にはいて当然だろうよ。四件も事故が続いているんだからな」
 ぼーさんは頭を抱えた。真砂子ちゃんは、先程よりも幾分かはきはきとした声でそれに答える。
「でも、霊はいませんでした。不吉な感じはしますけど、何かがいる、というほどの感覚はありませんわ」
 背筋を伸ばして冷静に話す彼女は、少し自信を取り戻したみたいだ。
「なんでそうなるんだよ、真砂子ちゃん」
 恨めしそうに訊いたぼーさんに対し、真砂子ちゃんは視線を遠くへやると、途方に暮れたように目蓋を閉ざした。
「分かりませんわ。……あたくしも、こんなことは初めてです」

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