29.汚い足踏み幼稚な手拍子


 週始まりの月曜日。
 隣の席の主は、生活費を稼ぐ為に湯浅高校へ予備調査に向かっている。学業を疎かにしたら通わせてくれている両親に申し訳が立たないし、何不自由なく暮らせている私は、直向きな彼女の姿を見る度いっそ身につまされる思いだった。
 だからこそ私は、頑張っている友人の助けになるようにと彼女の分もせっせとノートをとる。


「お疲れ様です。本格的な調査は明日からですね。分かりました。はい、失礼します」
 電話をかけてきたリンさんは用件だけ伝えると手短に通話を切った。
 今日は校舎内の下見と、関係者から話を聞き取ることに終始したそうだ。詳しいことは分からないが、どうやらSPRに持ち込まれた依頼以上に湯浅高校では様々な怪現象が起こっているようだった。
 ともかく、調書を見ないことには何も始まらない。明日はSHRが終わったら直行で湯浅高校に向かおうと心に決めて、足早にアパートへ帰った。


◇ ◆ ◇



 翌日。校門まで迎えに来てくれた麻衣ちゃんと並んで今回の拠点である小会議室へ向かいながら、私がいない間に起きた出来事を教えてもらっていた。
「うわあ……それはまた数が多いねー」
 事前に渋谷サイキックリサーチに持ち込まれた三件――狐狗狸を見ていた友人が狐に憑かれた、体育館の開かずの倉庫で肝試しをして以来首吊りロープの影に悩まされる、陸上部の部室で起きるポルターガイスト現象。そしてぼーさんが持ち込んだ依頼――次々事故に合う魔の席と美術準備室に幽霊が出る。
 それ以外に、夜になると聞こえるノックの音、学校の駐車場で車のミラーに女の顔が映る、足音が尾けてくる、毎晩金縛りに遭う、寝入りばなに笑い声が聞こえる、机から出てくる手、屋上に出る階段で学生服を着た男の子のような人影を見て以来やたら何かに足を取られて転ぶようになった、誰かがしょっちゅう服の裾を引っ張る――などなど、随分とバラエティーに富んだ相談内容が寄せられたようだ。
「とりあえず埒が明かないからみんなで手分けして除霊しようって話になって、ナルが号令かけたら綾子と真砂子とジョンもここにやって来たよ」
 つまり、前回の調査の時に集まったメンバーが勢揃いしたって訳か。
「でね、綾子ってば除霊しに行ったのに怖くなって尻尾捲いて逃げ帰ってきたんだよ。……まあ、気持ちは分かるけど」
 ポルターガイストが出る部室に除霊しに行った綾子さんは、偶々外から戻ってきて様子を見にきたジョンさんに槍が飛んできたのを目撃して、慌ててベースに戻ったらしい。
 幸い、槍はジョンさんの頭を軽く掠めただけで済んだそうだが、一歩間違えたら大惨事だ。
 しかし、湯浅高校に到着してすぐ霊視をして回った真砂子ちゃんは、頑なに霊はいないと主張しているそうだ。麻衣ちゃんは猜疑心たっぷりな表情を浮かべている。
 他にもとある三年生がスプーン曲げをやってみせたことを発端にした、カサイ・パニックという超能力騒ぎを起こした当人へ直接事情を聞きに行った話に耳を傾けていると、麻衣ちゃんは賑やかな声が聞こえてくる部屋の前で立ち止まった。
「ただいまー。飛鳥連れてきたよ」
 ドアを開けた麻衣ちゃんに続いて室内に足を踏み入れる。
 そして、私は来て早々機材の設置に駆り出された。
 陸上部の部室と、美術準備室、それから開かずの間の倉庫に集音マイクを繋いだ暗視カメラを一台ずつ。場所が散らばっている上に、学校を横断するほど長いケーブルもないことから、それぞれの場所で録画と録音を行う。
 念の為リンさんに見てもらって間違いなくセッティング出来たことを確認すると、私達はベースに戻った。
 おお、先程までいなかった人達が揃っている。
「お疲れ様です、皆さん」
「おー、飛鳥か。お疲れ」
 ひらひらと手を振るぼーさんを皮きりに、みんな口々に挨拶を返してくれた。
「いついらしたの?」
「少し前だよ。さっきまで麻衣ちゃんと一緒に機材の設置を手伝ってたんだ」
 真砂子ちゃんにのんびり答える。
 それで、と私は先程から視界の隅にちらつく白を巻かれた小柄な人物に向き直った。
 淡い金髪に埋もれるようにして見え隠れする包帯が痛々しい。
「怪我は大丈夫? ……槍が、飛んできたんだよね?」
 たずねながらへにゃりと眉が下がる。多分、情けない顔になっているであろう私にジョンさんは柔和な笑みを浮かべると、そっと首を振った。
「大した怪我やあらへんです……掠めただけどすから。心配してくださっておおきにです」
「そっか……良かった」
 二人で笑い合うと、心なしかピリピリしていたベースの空気が少し緩んだように感じられた。
「と言うか、あんたは学校終わってから来たのよね?」
「そうですよー。放課後になるやいなやダッシュで駅まで向かいました」
 確かめるように聞いてきた綾子さんにのほほんと答えると――その矛先は思わぬ方へと向けられた。
「真砂子はどうせ芸能人が通う高校だろうからまだ分かるけど……あんたたち、前に同じクラスだって言ってたわよね。てことは麻衣。あんた学校サボってバイトに来てんの?」
 うわあ……。それ聞いちゃうんですね。いや、綾子さんが気にするのも分かるよ? 芸能人でもなんでもない一介の女子高生が、平日の昼間から調査に参加しているのは端から見たら不自然だって。
 何の他意もないであろうあっけらかんとした質問に、私は笑顔が盛大に引きつるのを感じた。
「サボってないやい! 貧乏人に優しい学校だから、条件さえクリアすればある程度融通が効くの!」
 失礼な、と憤慨している麻衣ちゃん。その表情から影を窺い知ることは出来なかった。
 私もその条件については詳しく知らないが、話を聞く分には補講や試験の点数、レポート提出などがそれに当たるみたいだ。
「ほー。麻衣は勤労少女だったのか。自分で学費を稼ぐなんて偉いな」
 うんうん、その通り。それに加えて、自身の生活費も稼がなければいけないのだ。そんな中で、しかし微塵も辛そうな素振りを見せない彼女には脱帽する。
「つまり、二足の草鞋?」
 ジョンさんは驚いたように蒼い瞳を見開いている。
「……ふうん。そっか。あんた、見かけによらず苦労してんのね」
「わ、ちょっ綾子……?」
 綾子さんは罰が悪そうな顔で麻衣ちゃんの頭を撫でた。それにぼーさんが便乗して、どさくさに紛れて私も労りの気持ちを込めて掻き回されてぐしゃぐしゃになった色素の薄い髪を手櫛で直してやったところで、いつまでじゃれ合ってるんだと言わんばかりの黒曜石の眼差しがひしひしと突き刺さるのを感じて――。
 無言で冷気を漂わせる所長に、私達は互いにそそくさと距離をとりあったのだった。
「――では、各自報告を始めてくれ」
 渋谷さんの呼び掛けに、自然と背筋が伸びる。
 依頼者達からの訴えを基に、もう一度霊視して回ったが、やはり霊がいる場所は一つもない、と真砂子ちゃんはきっぱり言い切った。
 カサイ・パニックを引き起こした生徒――笠井千秋さんが怪しいのではないか。綾子さんがそう口にすると、渋谷さんに同行して当人から直接聞き取りをした麻衣ちゃんが反論する。
 思い知らせてやる、という売り言葉に買い言葉の笠井さんの発言は怪しくはあるけど、そもそも本人の言を信じるならば最近超能力に目覚めたばかりらしいのに、こんなバリエーションに富んだ怪奇を起こすことが出来るのだろうか。
 日によってスプーン曲げが出来たり出来なかったりと、能力にむらがあるのも気になる。……もしかして笠井さんは自分の力を上手くコントロール出来ていないのかもしれない。私は心の奥底で、そんな印象を抱く。
 そのままスプーン曲げを最初に始めたユリ・ゲラーの話題となり、ゲラリーニ現象という超能力ブームを巻き起こした話に移った。
 テレビでユリ・ゲラーのスプーン曲げを見た一部の子供たちがスプーン曲げをしてみせたことがその名の由来。でもその能力は不安定ですぐに能力を無くしてしまった子も多く、困った末にトリックに頼ってしまい、インチキだと言われはじめる。それはユリ・ゲラー本人にも飛び火し、結果スプーン曲げはインチキだとすごく叩かれたらしい。
 そもそもPKは眉唾なのかと首を傾げた麻衣ちゃんに、ぼーさんは呆れたような視線を寄越している。
「おいおい、旧校舎の一件は忘れたのかー……と。麻衣、耳貸せ」
 こそこそと何事か耳打ちされている麻衣ちゃんを後目に、笠井さんを全校集会で吊し上げた学校の対応は過剰過ぎないか、と指摘するジョンさん。
 言われてみれば確かに。親に訴えたらすっ飛んできそうなやり方で、それこそ外部に漏れたらマスコミが食い付いてもおかしくないネタだ。
「超能力やゆうのんで、生徒が騒いでただけですやろ? それが原因で何か問題が起こったゆうのんならともかく……」
 これまでみんなのやり取りに一切口を挟まなかった所長が、考え込むように口を開いた。
「――ひょっとしたら、そこが突破口なのかもしれない」
 それからベースに呼び出した吉野先生(ノックの音が聞こえると訴えた人だ)が来るまでの間に、私は調書にさっと目を通して現状理解に励んだ。


 クリップボードに挟んだ用紙にボールペンを走らせる。渋谷さんが質問を重ねると、最初は険しい表情を浮かべていた吉野先生は次第に困惑した表情へと変わり、なぜ我々はあんなことをしたんでしょう? と逆に問い返されてしまった。
 もしかしたら何でもない怪談話が大袈裟に捉えられた結果の思い過ごしや、気のせいではないか、と訴えた真砂子ちゃんにぼーさんは顔をしかめた。
「つまり何かえ? 電車に引きずられた生徒がいて、それを知ってる別の生徒が気をつけないとな、電車を降りるときに手を挟まれたんだよな、と気にしすぎてかえって自分も挟まれた? いくらなんでも、そりゃあ無理だ」
 うーん。同じ席に座った四人が四人とも電車のドアに挟まれるのはどう考えても変だし、もうそれは気にしすぎてかえって挟まれた、という次元を超えている。
「気のせいと言って言えないこともない話が多いのも事実だが、全員が全員、枯れ尾花を見てるとは考えられん」
「魔の席の事故を、気のせいにすることは不可能だろう。ただし、笠井さんの件が下地になって、学校関係者が超常的なことを信じやすい傾向にあることは充分に想像できる。起こっている事件の全てを超常現象だと考えていいものかどうか……厄介だな」
 渋谷さんは指先で軽く机を叩いた。さいですね、とジョンさんが頷く。
「これだけ妙な事件が続いたら、自分にもなんぞ起こるんやないか、あれもこれも異常なことなんやないかとみんなが不安に思いますやろ。……不安やから、それでいっそう幻覚を見たり、勘違いを起こしやすくなるわけです。単なるシミも霊に見えるし、見た、ゆう話になればそれを聞いた生徒さんがさらに不安になります。すると、何でもないものまで怪しく見えて――」
 ジョンさん曰わく、高校生ぐらいまでは周囲の影響を受けやすい年頃なんだそうだ。まだ心が柔らかく、同年代や同性、同じ趣味嗜好や似た傾向の人間が集まって出来た集団は、もたらされた影響を増幅しやすい。
「この怪談の何割が本当に起こっている現象なんだろうなあ」
 唸るぼーさんの隣で、渋谷さんはため息を吐いた。
「それは実際に調べてみればいいわけだが、こうも数が多いとそれすら満足にできない。しかも、現象の起こる場所も校内に限るわけじゃない。むしろ場所を特定するのが難しいという有り様だ」
 確かに。先程ベースで話を聞かせてもらったばかりの吉野先生は、自宅でノックの音を聞いている。吐血して病院に担ぎ込まれたという美術準備室の先生も、外回り組であるジョンさんとぼーさんが護符を渡したのは、入院先の病院にまで幽霊が現れるからだ。
「だよな。だからって異常を訴える人間全員に四六時中付き添ってたら、時間も人手もどんだけかかるか分からんもんな」
「そういうことだ。今回は原さんの霊視が頼みの綱なんだが……」
「霊はいませんわ」
 真砂子ちゃんは不快そうに眉を潜めて、間髪入れずに否定する。
「……と、いうことだ。早くも行き詰まってしまったな」
 肩を竦める所長。歯車の噛み合わなさに、小会議室にはなんともいえない沈黙が降りた。

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