28.片翼の意味なんて知らない


 二学期を迎え、中間考査を過ぎると文化祭の準備が始まった。
 世間を騒がせているブラックバイトとは違い、学生の本分に一定以上の理解がある我がSPRの所長様は、理由を説明すれば適切に休みをくれる。基本的に持ち込まれた依頼を選り好みする人なので、事務員がいつでも道玄坂のオフィスに詰めていなければならないという訳でもない。更には破格の時給で、調査中は危険手当てまでつく。
 トップの人間の傲岸不遜、唯我独尊な部分に目を瞑ってしまえば、理想的な職場環境かもしれなかった。
 文化祭を無事に終えた週末の土曜日。そんな理想的な職場に出社しないで私が一体何をしているのかというと。
「ふう。……やっぱりこまめに掃除しに来なきゃダメだな」
 マスクを装着し、片手には雑巾代わりのタオルを持って掃除に励んでいた。
 誰も住まない家は痛むと聞くし、月に一度は実家に帰っていたのだが、如何せん忙しさにかまけて些か期間が開いてしまっていた。だから本来であれば久しぶりにオフィスに顔を出している筈だったところを、事情を話して休みを貰い、こうして家に帰ってきたという訳だ。
 木枯らしが吹き、紅葉も色鮮やかに深まるばかりのこの季節。けれど体を動かしていると汗ばんでくるので、家に着くなりよれよれのTシャツに着替えておいた。
 積もっていた埃を掃除機で吸い上げ、これぞ文明の機器と賞賛を浴びせたいフローリングワイパーに専用のシートをセットして床を拭き掃除。すぐ水分が無くなってしまうので食卓に使うアルコールスプレーを吹きかけつつ、戸棚や家電に降り積もった埃は、雑巾に卸したばかりの擦り切れたタオルを駆使する。
 そんなこんなで数時間かけて家の中をピカピカに磨き上げると、私はあらかじめ冷蔵庫に入れておいたペットボトルの緑茶を取り出した。カラカラの喉を潤してから、次に冷凍庫から最近お気に入りのコンビニアイスを引っ張り出して、リビングのソファーに向かう。
 一仕事終えたあとに食べるアイスは格別だ。火照った体にひんやりした冷たさとバニラの甘さが染み渡り、ほうと息を吐く。
 無音が気になって付けたテレビを見ながらゆっくり味わっていると、携帯が鳴った。
「もしもし? おばあちゃん?」
 着信は祖母からだった。久しぶりに孫の声を聞きたくなったらしい。
 両親は充実した忙しい日々を送っているようで、近況報告の際に暫く日本には帰れないと言われた為、今年のお盆は私含めて田舎に帰省しなかった。
 一人で行くには足がなかったし、何よりアパートに残った方が刺激的で面白いだろうと思ったからだ。
 他愛もない話をしていると、ふとリビングの時計が目に入る。
「――あ、ごめん。そろそろ切らなきゃ。うん、じゃあまたねー」
 私は電話を切ると、コンビニの袋に手早く持参したペットボトルとアイスの空を放り込み、袋の口を軽く縛った。掃除で出たごみは指定の袋に入れてごみ捨て場に持って行ったし、これは持ち帰ろう。
 思いの外掃除に時間がかかってしまった。窓から見える雲は朱色に染まっている。
 アパートに帰って明日のバイトに備えなければ。……それに。
「お腹減ったなあ」
 なりよりも、るり子さんの美味しい夕飯に早くありつきたかった。


◇ ◆ ◇



 明くる日の日曜日。満を持してオフィスに出社した私は、リンさんの指示に従って書類の整理をしていた。早見表を作成しインデックスを付け、ファイリングして資料室の棚に戻していく。
 一段落ついて自分の机に戻ると、隣の麻衣ちゃんが何やら難しい顔で手元を眺めていた。
「なに見てるの?」
「あ、飛鳥」
 私に気づいた麻衣ちゃんが顔を上げる。
「依頼書?」
「うん。昨日湯浅高校の生徒達が相談に来たんだ」
「……湯浅高校?」
 聞き覚えのある名前だった。もしかして、受験の時にパンフレットを見たかもしれない。
「うん。私立の女子校だよ。そこそこ歴史があって、校風は固いイメージかな。で、その生徒さん達からそれぞれ三件も依頼があったんだけどナルはまともに取り合わなかったんだよね。でもあたし、それはあんまりだって思って……」
 ナルが所長室に戻ったあとに、こっそり書いてもらっちゃった。
 麻衣ちゃんはあっさり言い放つと、ペロリと舌を出して悪戯っぽく笑った。
 身一つで魔王に対峙するだなんて、相変わらず命知らずな勇者!
 内心慄いていると、飛鳥も読む? と依頼者を渡されたのでさっと目を通した。
 一件目は、狐狗狸(こっくり)さんを見ていて友人が狐に憑かれた。二件目は、肝試しをしたら幽霊がついてくるようになった。三件目は、クラブの部室にポルターガイスト現象が起こる。
「なんか怪しいよねえ」
 受験生の集団ノイローゼかなと一瞬思ったけど、依頼者の学年はばらばらだしその可能性は低そうだ。同じ学校の生徒から立て続けに依頼が集まるなんて……何かが起こっているサインではないだろうか。
「ま、所長様は断っちゃったから、これの出番はなさそうだけどね」
 麻衣ちゃんはそう言うと、依頼書を折り畳んで無造作にスカートのポケットに突っ込んだ。
「なーるちゃーん」
 その時、軽い調子の声と共に開いたオフィスのドアへと反射的に視線を向けた私は、ぽかんと口を開けて固まった。
「お。久しぶりだな、お二人さん。元気か?」
 人を喰った笑顔を向けてくるのはすっかり顔馴染みになったぼーさんだ。しかし、その格好には馴染みがない。
 黒い皮のスーツの上下に、中に着込んだTシャツも黒だ。更に赤いカーネーションがワンポイント的に付いた黒いハットと黒い皮靴。極めつけには真っ黒なサングラスを引っ掛けている。……ちゃんと前が見えるんだろうか、それ。
 ジャケットの裾にあしらわれたラインストーン以外にも、やたらと全身がキラキラしているから、ラメ糸でも織り込んでいるのかもしれない。なんにせよ、普段着ではないだろう。いつもここに来るときはもうちょっと落ち着いた格好をしているし。
 私が遠くから観察している間にも、ぼーさんはソファーに腰を降ろして出迎えた麻衣ちゃんにアイスコーヒーを強請っていた。
「ビルを出たとこに自販機があるよ」
 つれない麻衣ちゃんに、ぼーさんは情けない声を上げる。
「虐めんなよー。今日は仕事の話だって」
「仕事ぉ? ほんとにぃ?」
 麻衣ちゃんが疑わしげな顔で聞き返すと、ほんとだからアイスコーヒー頂戴、とぼーさんは再度強請った。
 やれやれと首を振った麻衣ちゃんが給湯室に消えていく。でも、麻衣ちゃんってば何だかんだ言いながらぼーさん専用のアイスコーヒーをちゃんと用意してるんだよね。全く、素直じゃないなあ。
 すぐにアイスコーヒーが入ったグラスを持って戻ってきた麻衣ちゃんは、にまにま微笑む私の顔を見て小首を傾げている。私は席を離れるとぼーさんの近くまで寄ってまじまじと眺めた。
「それにしてもどうしたんですか、その格好」
 見れば見るほど派手な格好ではあるが、不思議とぼーさんの雰囲気には馴染んでいる気がする。
「それ、あたしも気になってた!」
「あー。俺、今日はバイトだったのよ」
「? バイトでその格好を?」
「ああ」
「何のバイトしてるの?」
 麻衣ちゃんの質問に、被っていたハットを脱ぎ捨てながらぼーさんはあっさり答えた。
「――バックバンド」
「はああぁ!?」
 一拍の間を置いて絶叫した麻衣ちゃんに、私はびくっと肩を揺らした。
「イベントで手が足りねーってんで急に駆り出されたのよ。一回きりのピンチヒッターだったんだけどさ。これがへったくそなアイドルちゃんで、まいったのなんの」
 麻衣ちゃんの叫び声でいち早く驚きから復活した私は、興奮気味にたずねる。
「へえー! ぼーさんってミュージシャンだったんですか?」
「そ。これでもベーシスト。スタジオミュージシャンってやつだな。まあ、来いと言われりゃステージでも路上でも行くけどね。一応自分のバンドもあるんだけど、ボーカルがいまいちでなー。ナルちゃんくらい顔のいいボーカルがいりゃ、もうちっとメジャーなんだがなあ」
「霊能者が本業じゃなかったんですねえ」
 私がしみじみ言うと、まあな、とぼーさんは頷いた。
「でも、それならどうして霊能者なんてやってるの?」
 ようやく驚きから復活したのか、麻衣ちゃんが当然の疑問を口にする。
 うーん、確かにミュージシャンと霊能者って特別接点は無さそうだよね……。疑問符を浮かべる私達に、ぼーさんは何とも言えない顔になった。
「俺んち寺だから、親父が坊主にしたがったんだ。でもさー、お山はベースはもちろん、CDとかプレイヤーも一切持ち込み不可なんだよ。それでお山を下りたわけだな。――でも、この業界って祟りだとか幽霊だとか意外に多いんだ。何かある度に元坊主だってんで担ぎ出されて、それでなんとなく拝み屋が副業みたいになってるんだ」
 ……ああ、そっか。
 考えてみれば芸能界って如何にもドロドロしてそうだし、渦巻いた怨念やらなにやらが、誘蛾灯のように誘われてしまうのかも。
「煩いと思ったら……」
 がチャリとドアノブの回る音がして、漆黒の麗人が胡乱な眼差しで天岩戸(あまのいわと)から顔を覗かせた。
 う、……露骨に顔をしかめてらっしゃる。
「よう」
 そろそろとソファーの方を伺うと、ぼーさんはけろりとした顔で軽く手を挙げていた。
 やっぱりこの人メンタル強いな。邪険にされても全然気にした素振りがないし、きつく当たられても平気そうにしているし、余裕があるというか。……大人だ。
「今日は仕事の話だそうです、所長」
「まさか」
 取り付く島もない所長の態度にも、ぼーさんはめげない。
「今日は本当に仕事の話。ちょっと厄介な話でさ、ナルちゃんの知恵を借りたいんだが」
 殊勝なぼーさんの態度が功を奏したか、もしくは相談の内容に多少興味を惹かれたのか、渋谷さんはぼーさんと向かい合うようにソファーに座った。私は自分の机に戻って用紙を漁る。適当なクリップボードに探し当てた用紙を挟み、ポケットからボールペンを取り出した。
 私がごそごそやっている内に、アイスコーヒーのお代わりと紅茶を淹れたティーカップをお盆に載せた麻衣ちゃんが二人の前にそれぞれ並べている。それも終わって麻衣ちゃんが身を引くと、ぼーさんが実は、と切り出した。
「俺のバンドの追っかけに、高校生がいるんだけどさ」
「バンド?」
 怪訝そうに繰り返した所長に、ぼーさんは私達にしたのと同じ説明を簡潔に聞かせた。
 流石の渋谷さんもぼーさんの本業には驚いた様子だ。けれどすぐにいつもの無表情に戻っている。
「まったくの素人バンドで、趣味っつーか道楽のもんなんだけど。で、そのファンというか固定客の中にタカってのがいるんだ。その子の高校で妙なことが起こってるらしいんだよな。詳しく聞くと、どうも気味の悪い話でさ。その子が言うには、自分のクラスのとある席は呪われてるんだと。その席に座った者が、ここ三カ月くらいの間に相次いで事故に遭ってるらしい」
「よくある話だな」
「それがそうとも言えないのさ。事故に遭ったのは四人なんだが、そのときの状況がまったく同じ」
「学校で生徒が取る行動は限られている。舞台も同じ、行動もある範囲内に限定されていれば、同一シチュエーション下における同様の事故はあって当たり前だろう」
 正論で畳み掛けられたぼーさんは、そう来ると思った。残念ながらそれは当てはまらんぜ、と口角を上げてにやりと笑う。
「事故に遭った四人全員が、電車に引きずられたんだ。しかも、下車しようとして腕をドアに挟まれて。一人は軽症で済んだが、後の三人は大怪我をした。死んだ者がいないのは不幸中の幸いだが、妙だとは思わんか?」
 その言葉を聞いて、渋谷さんは思案に暮れるように拳を顎に据えた。
「それだけじゃない。その子のクラスの担任が、控え室代わりに使ってた美術準備室に幽霊が出るっつって騒いでるうちに、バッタリ倒れて入院したんだと。どうやら大量の吐血を繰り返しているらしいんだが、医者にも原因が分からんらしい」
「……なるほど」
「そこの学校じゃ、他にも妙なことが起こってるらしくてな。怪談がらみの病気や事故やらが絶えないんだと。気味が悪いんでなんとかならないかって言うんだ」
「……ねえ、ぼーさん。その子の学校ってまさか湯浅じゃないよね?」
 神妙な顔で二人のやり取りに口を挟んだ麻衣ちゃんに、私はあっと声を上げた。
「まさかの湯浅だ。……どうして」
 慌ててポケットの中を探っている麻衣ちゃんの代わりに答える。
「昨日湯浅高校の生徒さん達から、三件も依頼があったらしいんです」
 あった、と声を上げた麻衣ちゃんが若干皺の寄った依頼書を引っ張り出してテーブルの上に広げると、ぼーさんは目を皿のようにして覗き込んだ。
「この依頼は?」
「ナルは断っちゃった。でも、気になるからぼーさんかジョンに頼めないかと思って一応書いてもらったの」
 ぼーさんが呆然としたように用紙を見比べる横で、所長は依頼内容を思い出すように沈黙している。
「ナルちゃん、どうする? 昨日から三件――タカを含めれば四件だ。どう考えても尋常じゃない。そんでも無視するか?」
 渋谷さんは少し黙考すると、徐に指示を出した。
「その子達に連絡を取ってみよう」
「じゃあ、あたしが電話かけるね。昨日会ってるし」
 麻衣ちゃんが席を立った瞬間、オフィスのドアが開いた。
「あのう……」
 おずおずと初老の紳士が足を踏み入れた。その人が差し出した名刺を見て、取り次ぎに立った麻衣ちゃんが目を丸くしている。
「実はうちの学校で、どうも奇妙なことが起こっているらしく……その調査を依頼できないかと」
 その初老の紳士は、まさしく今話題に上がっていた湯浅高校の校長である三上昇氏だった。

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