27.1オクターブ高めがポイント


 開け放した縁側から入ってくる風は爽やかで涼しい。温暖化が騒がれる昨今に、相も変わらず特殊な妖怪アパートは冷房いらずだった。でも、入り口の門から一歩外に踏み出すと普通に暑いから、環境破壊は進行中なのだろう。
 夏休みを利用して絶賛修行中の身である夕士くんが力尽きて居間ですやすや眠っていると、近づいたクリがごそごそと横になって一緒に寝始めた。くすりと笑って、二人を起こさないようにそっとタオルケットをかけてやる。
 久しぶりに帰ってきた龍さんから、私はお土産として一見シンプルなペンダントを貰った。よく見れば細いチェーンの先に瑠璃色の小ぶりな天然石のようなものが下がっている。ほう、と感嘆の吐息がこぼれた。石の内部は蒼や紫や赤が複雑に混じり合って、まるで宇宙みたい。すごくきれいだった。
 ぼーっと見惚れていると、楽しそうな笑い声が聞こえてきて我に返った。はっと顔を上げる。
「ふふ。気に入ってくれたみたいだね」
「あのう……こんな高そうな物、貰っちゃって大丈夫なんですか?」
 おずおずとたずねた私に、龍さんは笑みを深めてしっかりと頷いた。
「ああ、飛鳥ちゃんの為に用意したからね。君はこれからどんどん“こちら側の領域”に関わってくるだろうけれど、それには些か危険を伴う。飛鳥ちゃんの身を守ってくれるように願いを込めたから、受け取ってくれると嬉しいな」
「えへへ。……ありがとうございます」
 思わず照れ笑いを浮かべながらお礼を言う。にこやかに頷いた龍さんは、ふと表情を真面目なものにがらりと変えた。
「勿体無いからと身に着けなかったら意味がないからね。目眩ましの術をかけているし、特殊な加工を施しているから錆びることもないよ」
 ――肌身離さず身に着けておくように、ね?
 そう言い含めた龍さんに、神妙な顔で頷く。
 ペンダントを貰ってから数日後。秋音ちゃん曰わくスランプを脱して見事レベルアップした夕士くんを見届けたあと、龍さんは再びアパートを去っていった。


◇ ◆ ◇



 私はオフィスの自分のデスクでカメラの映像を確認しながら、簡単にデータをまとめていた。
 最新鋭の機材があるというのに何かと私がメモを取っていたのは、そもそも心霊現象と機械は相性が悪く、映像が残せなかったり酷い時には壊れてしまうことさえあるからだ。
 記憶力がずば抜けて良い所長や、何一つ見逃さないリンさんとは違って私は凡人なので、あとでデータを照合する際に困るかもしれないと思い至った結果である。
 記録した映像(複製したものだ)をパソコンの画面で流しつつ、メモと睨めっこしながらキーボードを叩く。
 最終的に所長が英語でレポートにまとめるそうなので、その資料作りの一環だ。
 本当は所長に全部英語で作ってくれと指示を受けたが、どう考えても無理だとリンさんに泣きつくと、分からない部分は日本語でもいいとしぶしぶ許可が下りた。
 辞書を開きながら、出来るだけ英文に翻訳していく。入ったばかりの時に比べたら、だいぶ専門用語も覚えてきた。これで少しは英語の成績が上がればいいのに、テストには反映されない。世の中そうそう上手くいかないものだ。でも、心なしか私に圧倒的に足りていない読解力が、ちょびっとは身についてきた気がしなくもない。
 音の確認の為にヘッドホンをつけていた私は、賑やかな来客に気がつかなかった。不意に肩を軽くぽんぽん叩かれる。ヘッドホンを外して振り返った。
「飛鳥。ナルが休憩するみたいだから、あたし達も休憩しない?」
 麻衣ちゃんが手のひらで示した方向には、いつの間にか森下家でお世話になった綾子さんとぼーさんにジョンさんの三人がいた。四人は応接間のソファーに腰掛けている。
「集中してるみたいだったから声かけなかったんだけど……気付かなかった?」
「……全然」
 ぶんぶん首を振ると麻衣ちゃんはくすりと笑みをこぼし、今からお茶を淹れるけど飛鳥は何がいい? とたずねてきた。頭脳労働で疲れていたので、私はいつも通りの答えを返す。
「紅茶をお願い」
 ミルクと砂糖をたっぷりいれて糖分補給しなきゃ。
「はーい。……じゃあ今日は、綾子ご所望のアールグレイにするね」
「うん」
 所長が紅茶党なので、手間をかけないように専ら紅茶をお願いすることが多かった。それでなくとも麻衣ちゃんの淹れる飲み物はなんでも美味しいし、茶葉に深いこだわりもない。
 給湯室に消えた麻衣ちゃんを見送って、私は応接間の方に何気なく視線を向けた。ぼーさんは最近よくオフィスに遊びにくるからか、慣れた様子でソファーに寛いでいる。逆に綾子さんとジョンさんはあの調査以来だから、二週間振りかな。
 私はやりかけの作業を保存すると画面をスクリーンセイバーに切り替えようとして、思い直してスリープモードにした。根を詰めて作業をしていたから、多少ゆっくり休憩を取っても、ジョンさんの隣に腰掛けた冷ややかな麗人から文句が飛んでくることはないだろう。
 それぞれの依頼人があれからどうなったのか地味に気になっていた。だから、本腰を入れてじっくりと話を聞きたい。
「こんにちはー。お久しぶりです。……ぼーさんは三日振りですけど。えーと、挨拶が遅れてごめんなさい」
 ソファーに近寄って三人にぺこりと頭を下げると、ジョンさんには突然来たボクが悪いからと恐縮され、ぼーさんには出迎えてくれなくて寂しかったぞー、と頭を撫でられ、綾子さんには仕事熱心なのはいいけど根の詰めすぎは良くないわよ、と軽く注意を受けた。
 あの後森下家は引っ越すことにしたようだ。綾子さんによると香奈さんが改めて挨拶に来て、典子さんと話し合いをもって和解したことを教えてもらったそうだ。ぼーさんによれば柴田さんは仕事を辞めて子供と同居することにしたらしい。
 互いが事後報告を交換するのを綾子さんの隣に座ってふむふむ聞いていると、ブルーグレイのドアが開く。
 入ってきたのはこれまた調査に協力してもらった真砂子ちゃんだった。
 そこからは正に怒涛の展開だ。突然席を立った所長がまるで逃げるように今から出掛ける、と宣言してドアに急ぐも、お供しますわ、と微笑む真砂子ちゃんがすかさず所長の片腕をがっしりと掴み――声にならない呻きをもらした渋谷さんは、寄り添う真砂子ちゃんをそのままにオフィスから出て行った。
 みんな唖然としたが、給湯室から戻ってきた麻衣ちゃんなんてグラスやティーカップをテーブルに並べる途中で見事に固まってしまっている。
「すげー…。積極的だなあ」
 暫く呆然として、復活したあとにぽろっと呟くと、渋谷さんは弱みでも握られたんじゃないか、そもそも謎めいた所長の正体とは、などと白熱した議論を繰り広げていた四人の視線が、何故か私の方に集まった。
 な、なに?
 たじたじになる私に、四人は一斉に苦笑をもらした。
「飛鳥らしいや」
 麻衣ちゃんや、脱力しているところ悪いけどそれは一体どういう意味だい?
「なんか気が抜けちゃったわ。……まあ、考えても始まらないか。二人とも、お土産があるわよ。パイがワンホール」
 綾子さんは仕切り直すようにブランドのロゴが入った紙袋から、白い箱を取り出した。
「わーい。贅沢ぅ」
「わあ、ありがとうございます!」
 歓声を上げる私達に、僕も、とジョンさんが遠慮がちに包みを差し出してきた。
「これ……芋羊羹なんですけど。クッキーか何かにしたら良かったどすね」
 申し訳なさそうなジョンさんに、麻衣ちゃんと私は慌てて首を振る。
「いいよぅ。嬉しいー」
「うん。そんな気にしなくて大丈夫だよ。甘いもの大好きだから嬉しいし!」
「あ、俺も持ってきた。サンドイッチ」
 あれよあれよとぼーさんまでもがカツサンドのお土産をテーブルの上に出した。
「ナイフある? 手伝うわよ」
 綾子さんがソファーから立ち上がる。わいわいティータイムの準備をしていると、資料室から出てきたリンさんが私達の様子を見るなり資料室に逆戻りしていった。声をかける間もない早業に、そっとしておいてほしいって意味かなとひそひそ話して、でもお叱りは受けなかったから黙認してくれるって意味だよね、とみんなの意見が一致したので準備を再開する。
 食べ物を並べて、それぞれがグラスやティーカップを手に取ると、誰が言い出すでもなく。
 お疲れ様でした、と乾杯した。



◇ ◆ ◇



 八月も半ばを過ぎると長谷さんがお土産を沢山携えてアパートに遊びにやってきた。聞けば家族でオーストラリア旅行に行っていたらしい。
 大人組にはアイスワインやオージーワインを各種。もちろんクロコダイルジャーキーやカンガルージャーキーと言ったお酒のおつまみも忘れない。……ワニは聞いたことあるけど、カンガルーも食べるんだと私は軽くカルチャーショックを受けた。
 るり子さんにはブラックオパールが輝く指輪。長谷さんによると指を見れば指輪サイズは分かるらしいが、ちらりと見上げた夕士くんは呆れたような顔をしていたから、一般的な男子高校生には出来ない芸当なんだろうな。
 秋音ちゃんには見た目にも爽やかなキウイのシャーベット。それから趣味に合うか分かりませんが、と前置きした長谷さんは可憐なオパールのイヤリングが入ったジュエリーボックスを手に取った。
「こう言ってはなんですが、そんなに高価なものではないので。遠慮なく」
「うわー……! ありがとう長谷くん!」
 そつがない長谷さんに、受け取っていいのかと少し躊躇っていた秋音ちゃんも嬉しそうな笑顔を浮かべてジュエリーボックスを受け取った。
「良かったねー、秋音ちゃん」
 一緒になって喜ぶ私にも、長谷さんはすっとジュエリーボックスを差し出してきた。
 中に入っていたのは秋音ちゃんのイヤリングよりも小ぶりなオパールが連なるブレスレットで、さり気なくゴールドのチャームがアクセントになっていて可愛かった。
「わあ……。可愛い」
 うっとりとため息がもれる。しげしげと私の手元を覗き込んできた秋音ちゃんが、顔を上げて長谷さんにたずねた。
「ねえ、もしかして私のイヤリングとお揃い?」
 すると、長谷さんは笑顔で頷いた。
「はい。どうせならと思ってデザインを揃えさせました。……さっきも言った通りそんなに高価な品じゃないから、飛鳥も遠慮せずに受け取れよ」
「わーい。ありがとうございます!」
 私は歓声を上げて早速ブレスレットを左手に填めてみた。秋音ちゃんとるり子さんを交えて、それぞれもらったアクセサリーをきゃっきゃと見せ合いっこする。
 そしてクリへのお土産は、大中小のデフォルメされた動物のぬいぐるみだった。でれでれと相好を崩した長谷さんは、カンガルーやコアラ、ワニやアザラシにエミューといったオーストラリアの国鳥を模したぬいぐるみに囲まれて、びっくりしたように瞬きを繰り返すクリを抱き上げて頬擦りしている。
 ……クリの分は、多分一番気合いを入れて選んだんだろうなあ。
 生暖かい目で見守っていると、あ、と長谷さんは唐突に声を上げた。そして徐にお土産を詰め込んだ紙袋や箱の中を漁りだす。
「クリのぬいぐるみ見て思い出したよ。もう一つ飛鳥にお土産があるんだった」
 そう言って長谷さんが紙袋から取り出したのは、抱き枕サイズのシャチのぬいぐるみだった。
「きゃー! 可愛いー!!」
 思わず黄色い悲鳴がこぼれ落ちる。ほら、と無造作に渡してきた長谷さんからそっとぬいぐるみを受け取った。
 潰さないように加減してむぎゅっと抱き締める。
 おお、ふっかふか!
「ちょっと子供っぽ過ぎるお土産だったかもしれないな……ってのは杞憂だったか」
「……ある意味ブレスレットよりも喜んでるんじゃねえか?」
「飛鳥チャンは純真だねェ〜」
「ふふ、ここにもクリと年が近い子供がいたわね」
 すっかりシャチのふわふわな手触りに夢中になっていたからか、みんなのこそこそした内緒話は私の耳を素通りしていった。
 ちなみに親友である夕士くんへのお土産はアボリジアン・アートのTシャツだったらしい。どこか納得がいかなさそうな顔で教えてくれた。
 長谷さんは他にもオージーチョコレートやオージーマカダミアナッツを持ってきてくれたので、一色さん曰わくお菓子が大好きだという物の怪たちと夕飯のあとに分け合いながら美味しく頂いた。
「あ、」
 夕士くんが空になったお菓子の箱を見て残念そうな声をもらしたので、ティッシュの上に確保しておいた私の分のチョコレートとマカダミアナッツをお裾分けしておいた。
 元はと言えば夕士くんがアパートの一員だから、長谷さんは私を含めた住人達の分もお土産を配ってくれたんだしね。
「そういや飛鳥。夏休みの宿題は終わったのか?」
 長谷さんの問いに、食後のお茶を飲んでいた私は持っていたコップをひとまずテーブルの上に戻した。
「んー……。こつこつ計画立てて取り組んできたし、つい先日友達の家に課題を持ち寄って大体は終わらせたよ」
 私と麻衣ちゃんはみーちゃんからメールでお誘いを受け、(麻衣ちゃんは携帯を持っていないから私を通じてだ)さくちゃんの家で行われた勉強会に参加してきた。まあ、途中からただの映画鑑賞会と化していたけれど。各自で持ち寄ったお菓子を摘みながら、対戦ゲームに白熱したり心ゆくまでお喋りに勤しんだりと、すごく楽しかった。
「俺は早々に全部終わらせたけどな」
「あたしもー」
 修行とバイトと学業の両立流石です先輩! ……夕士くんと秋音ちゃんの二人が終わらせてるってことは。
 じっと見つめる私の視線に気づいたのか、長谷さんは良い笑顔を浮かべて口を開いた。
「俺は夏休みに入るなりすぐさま終わらせたぞ。と言うか、大体って裏を返せば全部片付けてないって意味だよな」
 うっ。流石、鋭い。私は肩を竦めて早々に白状した。
「……古典がまだ半分残っております」
 長谷さんはそうか、と鷹揚に頷いてみせる。それからなんとも素晴らしい提案をしてくれた。
「俺が羽を伸ばす片手間でいいのであれば――宿題見てやろうか?」
「ぜっ、ぜひお願いします……!」
 都内でも屈指の進学校に通う秀才の言葉に、私は一も二もなく頷くのだった。

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