26.森の入り口に少女の靴を並べよう


 ベースに困惑した空気が流れる中、不思議と渋谷さんは泰然としていた。
「帰りたい人間は帰ればいい。その程度の霊能者なら必要ない。むしろ邪魔だ」
 ここで逃げだしたら礼美ちゃんを見捨てることになる。ぼーさんは半信半疑で、綾子さんは渋ったり躊躇ったりもしたが、二人は顔を見合わせると、勝算があると言う所長に賭けたようだった。
「できる限り踏ん張ってみるさ。なんかあって倒れたら、そこまでだ」
「骨ぐらいは拾ってあげるわよ」
「ついでに礼美ちゃんに遺影を渡すのを忘れんでくれ。このおにーさんが身を擲って君を守ったのだからして、生涯花嫁になった気分で」
「――花嫁になった気分で手を合わせて、顔を上げたらさっさと忘れて新しい人生を満喫するよう言っとくわ」
 ぴしゃりとぼーさんの言葉を跳ね除けた綾子さんは、腹を括りすっかり元の調子を取り戻したようだ。二人の軽口に固く張りつめていた雰囲気が少しだけ弛むのを感じる。
 もしかして、ぼーさんはこれを狙っていたのかもしれない。
 所長は集まった面々の顔を見渡すと、作戦の概要を語った。
 まず始めに、以前井戸から黒幕が出てきたのは子供達を祓ったときだった。手下の子供達は数が多く、祓っても浄化するどころか消えるわけでもない。一時的に弾き飛ばされたあと黒幕の元に引き戻される。それには若干のタイムラグがあり、子供達が出払ったタイミングで大島ひろが出てきたと考えるのが妥当だ。
 よって、それを利用すれば黒幕を引きずりだすことが出来る。
 渋谷さんは綾子さんに大量の護符の制作を依頼した。幽霊が森下邸から出られないようにする為だ。
 家全体に結界を張り、あえて鬼門(北東。悪鬼邪霊が出入りする方角らしい)だけを開放する。出入りを一カ所に制限して、礼美ちゃんのいるホテルに向かおうとするであろう子供達を、鬼門に待ち構えたぼーさんと綾子さんで散らす寸法だ。
 子供達は二人が担当するとして、じゃあ大島ひろは誰が担当するのか、と当然の疑問をみんなが抱いた。
「まさか、お前さんか?」
 ジョンさんに援護を頼んだ渋谷さんにぼーさんが代表してたずねると。
「始めよう」
 返答はなかったが、その代わりに渋谷さんは意味ありげな――不敵とも呼べる微笑を浮かべて手を叩いた。


◇ ◆ ◇



 時刻は午前四時を迎えていた。
 家の中は綾子さんが急ピッチで作った大量の護符が壁に貼られている。子供達が居間から外に出ないよう、ジョンさんが居間の壁に聖水で十字を描いた。
 家の一角、鬼門にぼーさんと綾子さんがスタンバイし、黒幕である大島ひろの相手をする所長と、その補佐を頼まれたジョンさんは井戸の前へ。リンさんが機材を守り、私はモニターのチェックとサポートの為に待機だ。
 麻衣ちゃんは、一緒に居間へ行くと主張する真砂子ちゃんのそばに付いていることになった。
 邪魔だと言い放っても一歩も引かない真砂子ちゃんに、所長が折れたのだ。
「麻衣。少し危険になるが、原さんのそばに付いていてくれ。万が一、憑依されでもして妨害されると面倒だ」
 その際、あからさまに鬱陶しそうな様子で許可を出した渋谷さんに、思わず私は麻衣ちゃんと軽く顔を見合わせて眉を下げる。青褪めた顔で気丈に振る舞う背中を、二つの手がぽんと軽く叩いた。


 明けない夜はないように、ついに全ての元凶である大島ひろと犠牲者でもあり加害者でもある子供達は所長達の手によって浄化された。
 時折砂嵐が混ざるモニターをやきもきしながら見つめていた私に教えに来てくれた麻衣ちゃんは、気が抜けたように笑っている。
 みんなで居間に集まって井戸を覗き込む彼女を見つめた。暫くして顔を上げた真砂子ちゃんは、見守る私達に微笑みかけた。
「もう誰もいませんわ。この家には霊はいません」
 その言葉を聞いて一人、二人と腰を降ろす。みんな疲れきっていたけれど、良かったと心の底から安堵していた。
 所長が行ったのはぼーさんや綾子さんが行っていた除霊ではなく、浄霊と呼ばれるものだった。話を聞く分だと除霊は言うなれば強制的にこの世から消してしまうもので、浄霊は心残りを解決して成仏させることだ。
 モニター越しに見守っていた際に、渋谷さんが穴から出てきた大島ひろと思しき霞のような幽霊に対して掲げていたのはヒトガタだ。ぼーさんによると偶人(ぐうじん)、木人(もくじん)、桐人(とうじん)とも言うらしい。
 富子に見立てたヒトガタをひろに与えて、ようやく望みが叶ったひろは未練がなくなり浄化――つまり成仏したのだ。
 あの時渋谷さんが出て行ったのは、ひろと富子の素性を調べる為だった。古い街だから可能なことで流動的な都市部だったらアウトだったと所長はさらりと述べたが、それでも五十年以上前の子供の生年月日を調べるなんてどうやったんだか私には皆目見当がつかない。
 納得したような沈黙が居間を包む中、所長とリンさんが真っ先に居間から出て行った。
 ぼーさんは脱力してごろんと横になるとナルが陰陽師だったとはなあ、と呟いた。近くにいた麻衣ちゃんが首を傾げている。
 陰陽師か。有名なのは安倍晴明だよね。
 ――でも、どちらかと言えばリンさんの方が怪しい。
 カリスマ霊能者たる龍さんが、リンさんは良い力を持っているって誉めていたことが一番の理由だ。それからフルネームを名乗らないところが、私の知る霊能者や魔道書のマスターたちと共通している。
 術者の人は真名を知られると縛られてしまうから、秋音ちゃんみたいに仮名(けみょう)を使ったり、骨董屋さんや古本屋さんのように意図的に名前を伏せたり、龍さんのように通称を名乗ったりする。この場合、リンさんも例に漏れず真名を隠している……?
 所長についてはオーラがなんたらって言ってたけど……そっち方面に通じるモノは感じなかったって意味なんじゃないだろうか。ああでも、それは穿った考えかも。
「飛鳥ー。機材の撤収始めるってー」
「はーい」
 ぼーさんによる麻衣ちゃんへの陰陽師解説は終わったようだ。私は返事をしながら埃を払って立ち上がった。
 とりあえず、二人の正体については保留にしておこう。今のところ二人共答える気は更々なさそうだし。真正面から聞いてもはぐらかされてしまうだろう。後々、もっと気安い関係になれたらいずれ機会が訪れるかもしれない。
 うーん。希望的観測過ぎるかな?


 機材の撤収準備はジョンさんとぼーさんも手伝ってくれた。床板を剥がして出現した井戸然り、更には最後まで抵抗していた幽霊たちの置き土産とばかりに無事だった部屋も荒れに荒れて、家の中は見るも無残な有り様だった。力仕事には加わらなかった真砂子ちゃんや綾子さんが甲斐甲斐しく片付けや家の中の物を整理して、少しだけ人心地つく。
 そうこうしているうちに、連絡を受けた典子さんと礼美ちゃんがホテルから戻ってきた。
「本当に、もう大丈夫なんでしょうか」
 不安がる典子さんに、心配ないでしょう、と所長は答える。
「気になるのでしたら、転居されても構いません。そのほうが安心できるかもしれませんね」
 幽霊はいなくなり、引っ越し先にもくっついては来ないから、と。


 機材の撤収が終わると私達も家の片付けを手伝った。
 ある程度片付けが終わると、麻衣ちゃんが淹れた紅茶と典子さんがお茶請けにと買ってきてくれたクッキーを食べながらのんびり休憩する。すると、並んでソファに座る私と麻衣ちゃんの下へ、礼美ちゃんがもじもじと近寄った。
 そして、端から見ても懐いていた麻衣ちゃんは基より、私も一緒に遊ばないかと誘われた。
 どうやら私ともお喋りしたかったそうだが、ミニーに止められていたのに加えてこの家に来てからすっかり人見知り気味になってしまい、なかなか自分から話しかけられなかったそうだ。
 基本的に私はベースにいたから会う機会も少なかったしね。 あまりお喋り出来なかったことが心残りだったらしいの、と微笑ましそうに補足する典子さん。所長の方を伺うと好きにしろ、とあっさり許可が降りた。
 私は照れて頬を染めている礼美ちゃんに、にっこりと笑いかける。
「うん。いっぱいお喋りしようね」
 私達は様子を見るために、もう一晩だけ森下邸に泊まった。
 閑静な住宅街に相応しく虫が鳴く音以外には何も聞こえない、とても静かな夜だった。

top next
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -