25.空想が溶け出す温度で繋ぎ止める


 居間の床の亀裂を眺めながら、ぼーさんの除霊の結果を聞いた。シャンデリアが落ち、あちらこちらに亀裂が走る中、下から湧き出した薄い影のような冷気の塊がぼーさんの体を通り抜けていったそうだ。実はそれがミニーの上にいる真の黒幕じゃないか、とぼーさんは推理している。
 ミニーと子供たちは一緒くたに祓った。手応えはあったが弾き飛ばしただけだったかもしれないと首を捻るぼーさんに、これ見よがしに綾子さんはため息をついた。いったん現象がやんだので、綾子さんとジョンさんは報告のために戻ってきている。
「じゃあ、黒幕はここから出てきたってこと?」
 綾子さんは言いながらヒールで床を蹴った。メキッと音がして亀裂が広がり、床が大きく窪んだ。
 茶化すぼーさんの頭をはたいてここ、すごく脆くなってるみたいよ、と綾子さんはもう一度床を蹴った。
 すっと冷気が上がってくる。
 渋谷さんが膝をついて亀裂の中を覗き込んだ。
 ハンドライトをベースに探しに行き、戻ってくる頃には亀裂はだいぶ広がっていた。
 床板が落ちて、拳大の穴が開く。ライトで照らすと、床板の下には意外に広い空洞があることが分かった。高さは一メートル近くあるだろうか。
 典子さんに電話して許可をもらうと、道具を使って床を本格的に剥がした。真新しいコンクリートが流し込んであったが、切石が三枚並んで敷き述べられている。その厚みは十五センチほどだろう。
 まさかお墓でも埋まっているんじゃないかと話したばかりだったから、私と麻衣ちゃんはぎくりと身を竦ませる。男性陣が事務所の車から取ってきた道具を使って、床板をずらしていく。
 やがて現れたそれは――穴だった。ハンドライトで照らしながらジョンさんが言う。
「これ、井戸とちゃいますやろか」
「みたいね。しかもかなり古い井戸だわ」
 綾子さんが頷いて、破戒僧、中に降りてみてよとぼーさんに声をかける。ぼーさんは嫌がったがしぶしぶ降りていった。
 気抜きもしてあるし、正式に埋められてるよ、とリンさんの手を借りてぼーさんが上がってきた。
「立花家じゃない……」
 静かに思案していた所長が出し抜けに呟いた。
「建物の下にあるんだ。つまりは、家の問題じゃない、土地の問題だ。原因は家が建ってから生まれたんじゃない。そもそも家が建つ以前にあったんだ」
 ぼーさんが呆れたように、立花家以前ってのはそれいつの話よと突っ込みを入れる。
 調べてみないと分からないと言った所長に、それだけでは限界がある、ここは真砂子ちゃんの出番じゃないか? と提案したのはぼーさんだ。
 綾子さんが踵を返した。
「呼んでくるわ。こうなったら、黒幕の正体を知らないわけにはいかないもの」
「……やむを得ないだろうな」
 苦々しい顔だったけど、流石の所長も今度は拒絶しなかった。


 夕暮れ間近にその霊媒師さんはやってきた。
 ドアを開けて出迎えた麻衣ちゃんに倒れ込んできた着物姿の少女を、ジョンさんがおろおろと覗き込んでいる。藍地に乳白色の百合がさり気なくあしらわれた着物は、露出が少ない割に不思議と涼しげだった。
「大丈夫?」
 そっと声をかけると不思議そうな黒い瞳に見つめられた。私はそこではたと思い至った。ああ、自己紹介がまだだったよね。同い年だから敬語は遣わなくてもいっか。
「SPRの事務員兼補佐の樋口飛鳥です。麻衣ちゃんとは同じ学校でクラスも一緒だよ。それでええと、ただの一般人だからこっち方面はからっきしかな……」
 苦笑してみせると、もしかしてと彼女は呟いた。
「旧校舎のときにお弁当を届けにいらした……?」
 私はぱちくりと瞬いた。三カ月も前の、しかもほんの一時の出来事を覚えてたのか。
「あたくしは原真砂子といいます。聞いておられるでしょうけれど、霊媒を生業にしていますの」
 こんな体制で失礼しますと頭を下げた真砂子ちゃんを慌てて制止する。具合が悪いときに頭なんて下げたら余計悪化しちゃうよ。
「私のことは好きなように呼んでね、真砂子ちゃん」
 にこりと笑いかけると少々面食らった様子だったが、やがて血色を失っていた頬に少しだけ赤みが差し、はにかんだ笑みを見せてくれた。
 私と麻衣ちゃんとジョンさんの三人で真砂子ちゃんを慎重に支えながら書斎まで運んだ。ベースに到着すると、私達からするりと離れてふらふら近づいたかと思えば真砂子ちゃんは大胆にも所長の腕にしがみついた。ちらりと麻衣ちゃんの様子を窺う。心配半分呆れ半分の眼差しを注いでいた。
 小学校の低学年前後の子供の幽霊が、数えきれないほどこの家にはいるらしい。まるで墓場のようだと告げた真砂子ちゃんは、霊視をしなくても邪念や悪意、寂しくて胸が張り裂けそうな思いが、ひしひしと伝わってくるんだそうだ。真砂子ちゃんは辛そうに顔を歪めている。
 子供たちは誰かの支配を受けていて、暗い穴の底に誰かいる。そう訴えた真砂子ちゃんの腕を麻衣ちゃんが引いて、井戸のほうへと連れていった。
 リーダーは立花ゆきで確定した。だけど、井戸の底にいる黒幕の正体はゆきしか知らない。黒幕が仲間を集めるのは自分の為だ。ゆきが集めてくれるので良しとしている。けれど黒幕はゆきのように集めた子供たちを完全に支配していなければ気が済まない、という感じではない。
 真砂子ちゃんは黒幕の正体ははっきりとは分からないと首を振る。
 と、その時玄関のベルが鳴った。
 表に出てみると、そこに立っていたのは曽根さんだった。
 渋谷さんは曽根さんに立花家以前のことについて調べてもらっていたらしい。
 立花家がこの家を建てる以前に死んだ子供がいた、と告げる曽根さんに私達は息を呑んだ。
 遡ると、元々この辺りには金持ちの商家である大島家が家を構えていたそうだ。その一人娘である富子がある日行方不明になり、それから半年……あるいは一年が経った頃。誤って礼美ちゃんが転落して麻衣ちゃん諸共溺れかけたあの池に、富子の死体が浮いていた。
 親戚縁者が商売に関わっていたお陰でいざこざが絶えなかったことから、跡目争いで邪魔になった富子を誰かが殺したんじゃないか、と内情を知る近所の人たちは噂していたそうだ。
 一人娘の死を嘆いた母親が死んだのを皮きりに、家族で死人が続き、商売も急に上手くいかなくなった。最終的に分家か何かが商売を継いだが、その頃に家に雷が落ちて全焼。なんとか商売は立て直したものの結局は人手に渡って、大島家は離散した。
 火事から何年かして整地され、何軒か家が建つ。そのうちの一件が立花だった、と曽根さんは締めくくった。
 話を聞いて以来何事か考え込んでいた様子の所長が、唐突に立ち上がった。あれこそ推測を立てていた麻衣ちゃん達に出掛けてくる、と告げて曽根さんを促すと足早に部屋をすり抜けて出て行った。
 あっという間の出来事に残された面々は唖然となる。私は霊能者たちの阿鼻叫喚が始まる前に、安全地帯であるベースにこっそり戻った。


 礼美ちゃんの死守を渋谷さんに託された私達は、もう一度除霊を試みようということになった。礼美ちゃんの警護にはぼーさんとジョンさんで対応する。それから礼美ちゃんを見てみたいという真砂子ちゃんの三人を送り出し、森下家には私と麻衣ちゃんと綾子さん、リンさんが残った。
「ねえ、二人とも」
 除霊を担当する綾子さんは、巫女装束を整えながら祈祷の間、傍についていてくれないかと猫なで声でお願いしてきた。
 霊能者のくせに怖いんだ、と揶揄した麻衣ちゃんにそんなんじゃないわよ! と噛みついた綾子さんは、徐々に勢いを無くして確かにここの霊とは相性が悪くて非力なことは認めるけど、といつになくしおらしい態度だ。
 しょんぼりする綾子さんが可哀想になって、私はさりげなく助け舟を出した。
「ぼーさんみたいな反発が起きるかもしれませんもんね。お一人だと何かあったときに危ないから、私も誰かが傍についてた方がいいと思います」
 そっか、と納得したように麻衣ちゃんが頷く。
「いいよ。あたしついてたげる」
 途端に綾子さんはぱっと顔を輝かせた。そして私のほうに遠慮がちな視線を寄越す。
「飛鳥もよかったら……」
 ちらりと上目遣いに隣を窺ってみる。リンさんは仕方なさそうにため息をついてここは私一人でも大丈夫です、と言ってくれた。


「麻衣! 早く!」
 ポルターガイストに妨害されながらも頑張って除霊に挑む綾子さんを居間で見守っていたら、冷気の靄に囲まれて祈祷どころじゃなくなった。とうに日が落ちて夜の帳を迎えた室内から逃げ出そうとした私達を、激しい横揺れが襲う。途中で麻衣ちゃんが転倒した。
「麻衣ちゃん!」
 踵を返して助けだそうとした私は、再び襲いかかってきた激しい揺れに立っていられなくなった。その場にうずくまる。
 悲鳴に顔を上げると、麻衣ちゃんの足が靄に覆われていた。そのまま凄まじい力で体が引きずられていく。
 人一倍怖がっていた綾子さんは声にならない悲鳴を上げている。多分、パニックに陥っていた。
「飛鳥! 綾子ぉ!」
 助けを求める声に、私は這いつくばるようにして床を進んだ。絶対連れていかせない!
 歯を食いしばって精一杯両腕を伸ばし、なんとか麻衣ちゃんの身体にしがみつくことに成功したが、その勢いは止まらず私ごとずるずる引きずられていく。周囲に群がった靄は、穴に向かって進んでいた。このままでは二人とも井戸に落ちてしまう……!
「も……っ駄目……!」
 ――ついに諦めかけたその時。
「っ谷山さん! 樋口さん!」
 その人は部屋に飛び込んできて、麻衣ちゃんの腕をしっかりと握りしめて穴の縁から引きずり戻した。そのまま麻衣ちゃんの身体にへばりついた私ごと腕に抱えると、ドアを抑えていた綾子さんの元へ駆けた。
 素早く居間を出て廊下に下ろされると、がくりと足の力が抜けた。
「良かったぁあああ……っ」
 綾子さんは化粧が崩れるのも厭わず、隣で同じように座り込んでいる麻衣ちゃんに抱き付いている。
 助かったんだ……。
 安心したら途端に身体が震えてきた。私は震える唇をこじ開ける。
「あ、ありがとうございます……リンさん」
 リンさんは無言で頷き、ベースに行きましょう、と私達をそっと促した。


 麻衣ちゃんは足に擦り傷を負っていた。引きずられる際に井戸の石に掠めたのだろう。
 ベースで綾子さんから手当てを受ける麻衣ちゃんをソファーに座ってぼーっと眺めていると、賑やかな声が玄関のほうから響いてきた。
 ドアが開き、所長が書斎に入ってくる。手当てを受けている麻衣ちゃんに眉を潜めると、何があった、とリンさんに視線を向けた。
 リンさんが掻い摘んで答えると、渋谷さんはじっと麻衣ちゃんを見つめた。麻衣ちゃんは無言のプレッシャーに気圧されたのか、たじたじになっている。
「な、なによう」
「……調査の時にスカートを履くだなんてどういう思考回路をしているのかと思って」
「うっ」
 次から気をつけマス。罰が悪そうにぼそぼそ喋った麻衣ちゃんに、渋谷さんは真顔で頷いた。
 そして、場の空気を切り替えるように自分が出掛けていた間の映像記録を流すよう言いつける。
 それから間もなく賑やかな声の正体が判明した。礼美ちゃんの元へ向かった筈の三人が、ぞろぞろとベースへ入ってきたからだ。
 三人は所長に呼び戻されたらしい。
「今夜中に決着をつける」
 そう宣言した渋谷さんは、黒幕の正体は富子の母である大島ひろだと告げた。
 悲しみのあまり井戸に身を投げたひろは、娘を求めている。八歳前後の子供が欲しいという欲求は、当の八歳の子供にしてみれば同じ年頃の仲間が欲しい、という欲求と合致する。
 綾子さんは腕を組んだ。
「問題は、その執着をどうやって解くかってことじゃないの?」
「自分の娘を探している筈なのに男女関係なく同じ年頃の子供達を狙うのは、富子ちゃんは既に手の届かない場所へ――成仏しているのかもしれないですわね」
「それやったら辻褄が合いますやろか」
 真砂子ちゃんの意見は一理あるな。私と同じことを思ったのかジョンさんも頷く。がしがしと頭を掻いたぼーさんが、身も蓋もない愚痴をこぼす。
「富子本人がいれば一番手っ取り早いんだがなあ」
「――なら、富子を連れてきてやればいい」
 うーんと頭を悩ませる私達をよそに、所長はあっけらかんと言い放った。

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