22.足りない爪先と知らない指先


 綾子さんがため息を落とす。
「……何なのかしら、この家。妙にちぐはぐな感じ」
 この家に起きてる異常現象はミニーの仕業だと仮定して、虐待の疑惑や曽根さんの不審な挙動、住人達はお互いに疑心暗鬼になっているから家の空気はぎすぎすしているし、礼美ちゃんに付きまとってるストーカー幽霊が何者で、何が目的なのかさっぱり分からない。私もため息をこぼしたところで、ぼーさんが不服そうに頬杖を突いた。
「こりゃ、専門家でないと手に負えねーわ」
 全く持って同感です。


 朝昼兼用の昼食を各自で頂き、午後になってからそのエクソシスト――神父さんはやってきた。
 顔見知りの麻衣ちゃんを始め出迎えに行った四人と共にベースへやってきた神父さんの姿に、私は少々驚く。金髪碧眼に白い肌は外国人っぽいが、やや小柄。麻衣ちゃん曰わくオーストラリア人らしい。所長や秋音ちゃんしかり、この神父さんも随分と若い。高校生くらいだろうか。
 そして何よりインパクトがあったのは、その見た目から飛び出る見事な関西訛りだった。
 これまでの経緯を所長から聞いていた神父さんは、話が終わると不意に穏やかな瞳をこちらへ向けた。
「そちらの方は?」
 渋谷さんに目配せすると頷かれたので、私は遅ればせながら自己紹介を始めた。
「SPRの事務員兼補佐の樋口飛鳥です。……ちなみに麻衣ちゃんとは同じ学校で、クラスも一緒だよ」
 私が最後にそう付け足すと、神父さんは碧い目を和ませる。
「そうなんどすか。ボクは神父のジョン・ブラウンいいます。あんじょうよろしゅうお願いします」
 丁寧に頭を下げるジョンさんに、こちらこそよろしくとぺこりと頭を下げた。
「私のことは呼び捨てでも何でも、好きなように呼んでね」
 そう笑いかけると、では飛鳥さんと呼ばせてもらいます、とジョンさんは微笑した。
 ……あれ?
 何故かニヤニヤしているぼーさんと綾子さん。隣の麻衣ちゃんもにこにこと笑っている。首を傾げる私に、衝撃的な事実が伝えられた。
「ふふ、多分、飛鳥も絶対あたしと同じように勘違いしてると思うけど、こう見えてもジョンは十九歳だよ」
「ええ! この見た目で!?」
 やばい、初対面の年上にタメ口きいちゃったよ! 更に本音まで口走っちゃったし!
 あわあわと慌てふためく私に、ジョンさんは飛鳥さんの喋りやすい話し方でええどすよ、と天使のような表情を浮かべている。
「……いいの?」
「はい」
 微笑ましそうに頷いたジョンさんの言葉に、私は素直に甘えることにした。
 ピリピリと緊張していた空気が少し緩んだところで、そろそろいいですか、と渋谷さんの冷ややかな声がベースに響いた。すると二人(ジョンさんとリンさん)を除くみんなの背筋がピシッと伸びた。
 脱線していた話を元に戻す。霊は人形に憑いていると考えたいところだが、礼美ちゃんに憑いている可能性も高いとジョンさんは言った。
 子供の場合、人形や動物をだしにして近づくと警戒されずに受け容れてしまう。
 悪魔憑きかと問いかけた綾子さんに対し、ジョンさんは首を振った。聞いた限りでは典型的な悪霊憑きだと思う、この場合は渋谷さんの言う憑着ですね、と。
 霊を落とせるか、と確認した所長に相手の正体は不明だし簡単にはいかないかもしれないが、引き剥がすことは出来ると答えたジョンさん。
 悪霊憑き――憑着の場合、完全に憑き物を落とすには引き剥がすと同時に除霊しなければならないが、相手の正体が分からないとそれは難しいと言う。一度は落としてもまたまとわりつく(ストーカー状態)可能性はあるそうだ。
 念のために、とぼーさんが手を挙げた。
「悪魔憑きなら?」
「悪魔憑きなら祓い落とせばたいがい、どこぞに消えますよって。正体不明でも問題おまへん」
 そう言って笑うジョンさんは、とても頼もしく見えた。


 ベースのモニターで応接間の除霊の様子を見守る。礼美ちゃんだけだと怪しまれるから、応接間には典子さん、香奈さん、尾上さん、そしてミニーを抱きしめた礼美ちゃんが集められていた。カソックに着替えたジョンさんが厳かに聖書の一節を諳んじていく。聖水を使いながら礼美ちゃんの胸に十字を描き、額と左右の耳元、口許に十字を描く。と、礼美ちゃんの腕から人形が飛び出した。ジョンさんがミニーを拾い上げて、埃を払うと礼美ちゃんに差し出している。
 最後に助手を務めた麻衣ちゃんから十字架のネックレスを受け取り、礼美ちゃんの首にかけてやっていた。何事かやさしい顔で語りかけたジョンさんに礼美ちゃんは、はにかんだ笑みを浮かべている。


 二人がベースに戻ってきた。どうだった、と問いかけた所長にジョンさんは礼美ちゃんから引き離すことは成功したと答えた。
 ただ、決して消えたわけではないので根本的な解決にはなっていないと指摘した。抵抗はあったが、祈祷を嫌ってあっさり撤退した感じだったそうだ。
「どこまでも余裕をかましてくれるわけな」
 ぼーさんが呻る。
「その余裕はどこから来るのかしらね……」
 綾子さんは浮かない顔で遠くを見つめ、ちょっと散歩でもしてくるわ、と出し抜けに言った。
 散歩?
 私が首を捻ったときだ。ことん、と頭上で物音がしたと思ったら、次々に家中に騒音が連鎖していった。私達が玄関ホールへ飛び出すと、怯えた香奈さんと庇うように尾上さんがリビングから飛び出してきた。地響きや、誰かがばたばたと階段を駆け下りる気配、重い物が落ちるどしんとした振動をすぐ近くで感じたりもしたが、棚の花瓶も頭上のシャンデリアも微動だにしていない。
 ポルターガイストは音のみだった。
 専門家であるジョンさんは浄めてしまったから近づけなくなった、あるいは見えなくなった礼美ちゃんを探しているのかもしれない、と語った。
 話し込んでいると唐突にぴたりと音がやんだ。静まり返った空間に、蝉の鳴き声だけが響く。
 すると青褪めた典子さんに抱きかかえられた礼美ちゃんが二階から降りてきて、壊れた十字架をジョンさんに見せた。
 ――ミニーは礼美ちゃんを見つけてしまったのだ。
「ミニーが壊しちゃったの……」
 ごめんなさい、と瞳を潤ませて消え入りそうな声で謝る礼美ちゃん。項垂れてしまった頭を撫でて、ジョンさんはそれよりも怪我はないか、とやさしく聞いている。その脇で、ぼーさんが小さく舌打ちした。
「規格外過ぎる。ミニーは得体が知れん」


◇ ◆ ◇



 四日目の今日も、私達はベースで不寝番だ。
 礼美ちゃんが寝入ってから例のごとくこっそりと借りてきた人形に憑いた霊を再度落とすべく、祈祷を始めるジョンさんをモニター越しに見守る。
 モニターの一つには一緒に眠る典子さんと礼美ちゃんの姿があった。あの後ジョンさんがもう一度礼美ちゃんにお祈りをし、ぼーさんがお札を書いて部屋に貼り、綾子さんが典子さんの部屋を浄めて二重の結界を張った。
 その綾子さんはと言えば部屋を浄めたあと、辺りが暗くなるまで外にいたらしい。散歩してきた、と疲れ果てたようにふらふらで帰ってきた。みんな余裕がないからかスルーしているけれど、普通気分転換とか自分のペースで歩くだろうに、こんなに草臥れるまで歩き回るだろうか。私は一人不思議に思った。
 夕飯の時にその所在を典子さんからたずねられた香奈さん達は、実はホテルを取っていた。家から逃げ出したのだ。音のみのポルターガイストの際に怯えきっていたから無理もないだろうけど、心配する典子さんに連絡が着たのが夜だったから、もうちょっと早く知らせてやれば良かったのにとぼやく麻衣ちゃんに私も頷いた。
 電話をかけてきた尾上さんは、典子さん達もいったん家を出たほうがいいと提案した。とりあえず明日、香奈さんの荷物を取りに来る時に相談することになっている。
 そうこうしているうちに、ジョンさんの祈祷が無事終わったようだ。
 助手を務めていた麻衣ちゃんがミニーを抱えて部屋を飛び出していったのに合わせてぼーさんがベースから出て行く。二度と悪用されないように燃やしてしまうのだ。典子さんから許可はもらっているが、こちらが人形を貸してもらえないか申し出た時に躊躇いながらも頑として首を縦に振らなかった礼美ちゃんの姿が頭を過ぎり、私は少々申し訳ない気持ちになった。


 時刻は午前一時を迎えていた。ベースに戻ってきた三人を出迎える。
「まだ余裕ありそうな感じ?」 ぼーさんが訊くと、ジョンさんは頷いた。
「祈祷を嫌って逃げていったという感じでおました。やっぱり本体には届いてへんと思いますです」
 ミニーの正体について議論していると綾子さんがせめて霊視の能力者がこの場にいれば、とため息混じりに言った。
「霊能者って霊が見えてこその霊能者なんじゃないの?」
 素朴な疑問をぶつけた麻衣ちゃんに答えたのはぼーさんだ。 俺たちみたいなのは拝み屋と言って、拝んで霊を祓うのが生業。基本的に霊を視ることが出来る霊能者と、霊を祓う拝み屋は別業種らしい。まれに兼業という人もいる、と注釈を加えたジョンさんに私は心の中で同意した。秋音ちゃんや龍さんは幽霊を視られるし、成仏させたり除霊することも出来るそうだ。
 透視能力者、もしくはサイコメトリスト(物に触れることで情報を読み取れる超能力の一種、サイコメトラーが出来る超能力者のことらしい)にきてほしい。それかジョンを呼んだぐらいだからいっそ霊媒師も呼んだらどうだ、と手を打ったぼーさんに渋谷さんは難色を示した。
 原真砂子?
 ……ああ! 旧校舎の時に来てた着物の美少女か。
 大いに既視感を刺激してやまなかった女の子のことを、私はあれから帰ってアパートの住人に話してみたのだ。そしたらテレビにちょくちょく出ている美少女霊媒師のことじゃないか、と誰かが声を上げ、そこでやっと私は正体を知った。感応型の霊媒師で、能力は本物だと秋音ちゃんが太鼓判を押していたのを思い出す。
 取り付く島もない所長にぼーさんが尚も言い募るも、昼間の時のような騒音が突如始まって、みんな一斉にモニターに釘付けになった。
 ふとポルターガイストが起こす音の隙間から、子供の声が聞こえだした。
 咄嗟に典子さんの部屋に設置したカメラの映像を見る。飛び起きた二人は固く抱き合ったまま、強張った表情で唇を引き結んでいた。
 礼美ちゃんじゃない……これは誰の声だ?
 リンさんがスピーカーを次々に切り替えていく。無人の筈の礼美ちゃんの部屋に切り替わったときに、はっきりと子どもの声が流れた。怒って喚き立てるような声がどんどん高まっていく。するとそれまで微動だにしなかった礼美ちゃんの部屋の棚がひとりでに動いた。前に迫り出したと思った瞬間、ガタガタ揺れながら倒れる。
 ぼーさんがベースを飛び出していき、ジョンさんがその後に続いた。
「……一人じゃ、ない」
 隣で麻衣ちゃんが立ち上がる。怒鳴る声、泣き叫ぶ声、喚き立てる声。子どもの声が重なる。ベッドがガタガタと揺さぶられ、倒れた椅子が見えない誰かに蹴り飛ばされたようにアーチを描いて壁に激突し、クッションが全く別の方角から飛んできて宙を舞った。
「こんなにいたの!?」
 唖然と綾子さんが立ち竦んでいる。
「祓っても祓っても落ちないはずだわ。たぶんちゃんと祓えていたのよ。少なくとも追い払うぐらいのことはできてた。でも、すぐに別の奴が取り憑いてくる」
 モニターの一つにぼーさんとジョンさんが階段を駆け上がる映像が映っている。
「どれぐらいいるんだろう……」
 私が思わず呟いたとき、悲鳴が聞こえてきた。ばっと後ろを振り返る。それは開け放したままのドアの向こう――上のほうから響いてきた。二階だ。
 視線を前に戻すと、典子さんの部屋のベッドが揺すられているのが分かった。礼美ちゃんと典子さんはベッドの上で抱き合ったまま蹲っている。
「リン」
 所長がリンさんを呼ぶ。
「麻衣と樋口はここで待機」
「はい!」
 答える麻衣ちゃんと声が重なる。けれど駆け出していく二人の背中が完全に見えなくなると、突如全ての騒音がぴたりとやんだ。

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