21.近頃、毎日爪を研いでおります


 所長が麻衣ちゃんを通じて呼び出した典子さんに件の人形をお借りできないか訊くと、快く書斎まで持ってきてくれた。
 ミニーは昨年の九月の終わり頃、お兄さんが礼美ちゃんへのお土産にと買ってきた物らしい。
 受け取った渋谷さんがどれぐらい前のものなのかたずねると、典子さんは自分よりも義姉のほうが詳しいからと、台所にいる香奈さんを呼びに行った。
 香奈さんは今日から仕事に戻る予定だったが、昨夜の出来事が堪えた柴田さんから暫く休ませてほしいと連絡が入った為、家に残ることにしたそうだ。
 人形はパリの蚤の市で出張中だったお兄さんが偶々見つけて購入したらしく、新品ではない。せいぜい十年か二十年前くらいの物で、ハンドメイドだろうとのことだった。
 そして、こちらが更に質問を重ねようとしたときだ。
「返してっ!」
 突然、背後から叫び声が上がった。麻衣ちゃんが飛び上がらんばかりに驚いている。
「ミニー、返して! 触らないでっ!」
 いつの間に書斎に入ってきたのか、礼美ちゃんが所長のシャツをぐいぐい引っ張っていた。「礼美ちゃん、ミニーと話ができるんだって?」
 渋谷さんが話しかけるも礼美ちゃんは答えない。必死の形相で背伸びをすると、所長の手から人形をもぎ取った。
「誰も触っちゃ、だめ!」
 ミニーを抱き締め、礼美ちゃんは脱兎の勢いで駆け出す。典子さんが慌てて礼美ちゃんを追いかけていった。
 静止するでもなく無言で二人を見送った所長の瞳は、底知れない色をしていた。


◇ ◆ ◇



 モニターを監視しながら、私達は今夜も何かあったときに備えてベースで寝ずの番だ。
 夜半過ぎ、全員が疲労と倦怠感に包まれる中、唐突に所長が始まった、と呟いた。
 ペンをノックする。只今の時刻は午前二時半。礼美ちゃんの部屋の温度が下がるのと同時に主モニターの映像が動き始めた。サーモグラフィーと連動したカメラは、最も温度の低い箇所を自動的に追尾する。
 じりじりと視界が移動して、礼美ちゃんのベッドの上でぴたりと止まった。枕に背中を預けて座っているミニーの姿を捉えている。礼美ちゃんが眠ったあと、こっそり拝借したのだ。
 こうして見ると気味が悪いね、と言った麻衣ちゃんに頷く。精巧に作られた人形は、今にも動き出しそうだ。
 人形が駄目だと言う綾子さんの話を小耳に挟みながら(人形は魂の器で、魂が入ると安定するが大事にし過ぎると増長するし、かと言って疎かにするととんでもないしっぺ返しが来たりする)モニターを見つめていると、信じられない映像が私の目に飛び込んできた。横で所長が立ち上がる。
 麻衣ちゃんが腰を浮かせ、綾子さんの話に注釈を挟んでいたぼーさんや綾子さん、それからリンさんまでもが身じろいだ。 俯せになったミニーが、ずるっと動く。シーツごと引っ張られるように身体が小刻みに引かれて、枕に載った首だけがそこに残った。首と胴体が離れていこうとしている。
「……やだ」
 麻衣ちゃんが小さく悲鳴を上げる。
 不気味ではあるが寿荘の神出鬼没の貞子さん(無害だけど外見といい出没の仕方といいまさにリング)に比べたら、B級ホラー映画を見ているみたいだなと私はひっそり思った。
 完全に首と胴体が分離した。長い金髪が枕の上でもぞっと動いたかと思えば、ごろんと枕から落ちて白い顔を晒す。シーツの上を転がり、ミニーの首はベッドの下へ落下していった。
 ごとん、と硬い音をスピーカーが拾うのと同時ぐらいに礼美ちゃんの部屋の温度が通常に戻り始めた。


 あの後礼美ちゃんの部屋へ向かった麻衣ちゃん達が、苛立った雰囲気で戻ってきた。
 ミニーには何の異常も見られなかったそうだ。
 首と胴体は分離していないし、それどころか最初に設置したときのまま元通りの位置にあったらしい。
 ならばカメラの映像はと確認したが、丁度深夜二時半を過ぎたあたりから砂嵐にやられてしまっていた。リンさんと私で記録メディアの修復を試みたが、駄目だった。
 でも、麻衣ちゃん達が部屋に駆け付ける直前に録画を再開し、唖然とする面々の様子はしっかり残っている。
 怒ったぼーさんは人形を祓って焼き捨てると宣言した。慌ただしく袈裟を身につけて戻ってきたかと思えば鞄を引っ掻き回し、引っ張り出した道具を抱えて足早にベースを出て行った。
「ナル、止めなくていいの?」
 麻衣ちゃんがたずねたが、渋谷さんは肩を竦めるばかり。ならばと隣のリンさんをちらりと伺うも、無言を貫いている。
「……そう簡単に祓えるようならいいけどね」
 苦々しげに呟いた綾子さんの言葉は、やがて現実のものとなった。


 ぼーさんの準備が整うまでの間に、人形をしかるべき場所(神社やお寺)へ納めたほうがいいんじゃないか、と綾子さんは進言したが、無駄だと所長に切り捨てられていた。
 以前の持ち主ならミニーに憑依して一体化しているだろうから単純に人形を封じればいいけど、憑いた霊がミニーを器として利用しているだけで実は礼美ちゃん自身に憑着しているのなら、人形を神社やお寺に納める前に人形から離れてしまうからだ。
 綾子さんは唇を噛み、じゃあどうするの、と問いかけたが渋谷さんは黙ってモニターを見つめるばかりだった。


 ぼーさんの声がスピーカーから聞こえてきた。礼美ちゃんの部屋の室温は五度下がったまま、不審な物音もない。
 複雑な印を組み、淀みなく真言を唱える姿は、れっきとしたお坊さんだ。
 山を降りたと本人は言っていたから、高野山で厳しい修行を積んだんだろうか。テレビで見た宗派による修行の様子を捉えたドキュメンタリー映像を思い浮かべているうちに、どうやらぼーさんの除霊は終わったようだった。
 ミニーを入れた段ボール箱を抱えて庭に出て行くぼーさんをカメラ越しに見送る。
「なんだか嫌な感じ……」
 麻衣ちゃんがぽつりと呟いた。綾子さんの除霊の時みたいに何の反応もなかったけれど、これは果たして成功したんだろうか。
 じっと無言のまま真剣な面持ちでモニターを見つめる所長達につられるように、息を詰めたときだ。
 サブスピーカーから――典子さんの悲鳴が聞こえてきた。


 典子さんの部屋へ向かった麻衣ちゃん達が、真っ青な顔色の典子さんをベースに連れて戻ってきた。
 そろそろとソファーに座った典子さんは、小刻みに身体を震わせている。
「――ミニーが」
 その時、ぼーさんがベースに駆け戻ってきた。勢い込んで何かを言いかけたが、ソファーに座って震えている典子さんを落ち着かせようと宥める私達の姿に眼を留めて、口を噤んだ。
「……どうした?」
 ぼーさんに首を振り、私は典子さんの脇に座った渋谷さんを目線で示した。
「大丈夫ですか?」
「……はい。……すみません」
 それから所長は典子さんから話を聞き出した。
 なんとなく目が覚めて、夢うつつにお腹に何かあると感じたらしい。典子さんは一緒に眠っていた礼美ちゃんが鳩尾に顔を埋めているんだと最初は思ったそうだが……礼美ちゃんの顔は目の前にあった。
 手で触れて撫でてみたら、子どもの頭の感触がして何かが可怪しいと気付いた典子さんは飛び起きる。そして布団を跳ね除けた先には――礼美ちゃんの傍に寄り添うミニーがいたというわけだ。
「私……寝ぼけてたんでしょうか。あれは、ミニー? ミニーはお預けしたはずで、だからいるはずがないと思ったから、人形でないように感じた、とか?」
 私は麻衣ちゃんと顔を見合わせた。……ミニーならさっきぼーさんが庭に持って行って燃やした筈だよね?
 何かの拍子に目覚めてミニーがいないことに礼美ちゃんが気付いたらいけないだろうと思い、届けに行ったと混乱する典子さんに所長は話を合わせる。一応声はかけたが、よく眠っていたのでそっと枕元に座らせておいた。礼美ちゃんがそれに気付いて、布団の中に引き込んだのだろうと。
 驚かせてしまってすみませんと私達が謝ると、典子さんはようやくほっとしたように微笑み、部屋に戻っていった。
「逃げやがったな」
 低い声でぼーさんが呟いた。
「燃やさなかったの?」
 綾子さんが訊く。
「燃やしたさ。だが、箱は燃えたのにミニーはいなかった」
 段ボールの蓋が燃え崩れる一瞬までは確かにミニーがいた筈だった。しかし、完全に蓋が燃え落ちてしまうと箱の中にミニーの姿はなく、段ボールは空のまま燃え崩れていった。
 ビニールテープを始めドライバーや温度計などの物を隠してしまえるんだから、人形も訳ないのか。物理的な干渉が可能なんだろう。
「……そんなことだろうと思ったわ」
 綾子さんがため息をつくと、なんだと、と不服そうにぼーさんが睨む。
「反応が無さ過ぎたもの」
 祈祷が効いていたのなら多少なりとも反発があって然るべき。おとなしく除霊されるようなタマじゃないでしょう。祈祷の間中全くの無反応だったからおとなしく燃やされるはずがないと思った、と綾子さんは述べた。
「……全くの無反応?」
「こっちで見ている限りはね。それとも、あんた何か感じた?」
「……いいや」
 ぼーさんはふて腐れたように呻った。
「全然相手にされなかったってことね」
「むかつくー」
「悔しいけど、格が違う感じ。――ねえ、どうするの?」
 綾子さんは言いながら所長を振り返った。渋谷さんは少し考えこみ、口を開いた。
「手強いのは確かだろう。尋常の相手じゃない」
「……逃げる?」
 え。有料で依頼されたのにも関わらず、この現状をほうって?
「逃げ出しますか?」
 逆に所長から問われて、綾子さんは返事に詰まった。
「両手を挙げて逃げ出すのでなければ、専門家を呼んだほうがいいかもしれない」
 ……専門家?
 麻衣ちゃん達も怪訝そうにしている。
「残念ながら、憑き物は僕も管轄外だ。当たった事例も多くないし、蓄積も少ない。礼美ちゃんのことを考えると、専門家に任せたほうがいい」
 綾子さんがじれた顔で、だから、専門家って何よとたずねると。
 もちろん悪霊憑き、または悪霊憑きを落とす専門家だと所長は答えた。
 合点がいったようにあ、と顔を見合わせた三人に私は一人首を傾げる。あとでこっそり麻衣ちゃんに聞いたところ。
「ああ。ぼーさんと綾子みたいに校長に依頼されて旧校舎に来てた霊能者の中にね、悪魔祓い師――エクソシストがいたんだよ」


 それから明け方近くに仮眠を取り、二人とも眠い目を擦りながらベースに顔を出した。私はこれまで録画した映像をチェックしてラベリングする仕事を仰せつかり、麻衣ちゃんはエクソシストさんが到着するまで礼美ちゃんにくっ付いているようにと所長から指示されていた。
 一時間が過ぎたぐらいだろうか。麻衣ちゃんが途方に暮れた顔で書斎に戻ってきた。
 どうやら礼美ちゃんに逃げられてしまったらしい。
 麻衣ちゃんの報告によると、昨晩の出来事(ぼーさんが祓って焼き捨てようとしたこと)はミニーの告げ口により礼美ちゃんにも何となく伝わっているようだ。ミニーが酷いことをされた、と。
 礼美ちゃんは見えない誰かと話していて、変な感じがしたと首を傾げている。
「そうだ。綾子さん、ちゃんとクライアントのケアはしてね。全然状況報告してないでしょ」
 え、と虚を衝かれた様子の綾子さんは、そっか。バラバラに来たんだっけあたし達、と思い出したように呟いた。
 柴田さんに依頼されて来たぼーさんだけど、支払いは香奈さんらしい。忘れてたな、と頭を掻いたぼーさん達をじと目で見つめる。不安がってる依頼人をほうっておくなんて、大人としてどうかな。
 そして麻衣ちゃんはまた曽根さんが礼美ちゃんを庭から見てたよ、と所長に告げた。
「また?」
 その報告を聞くなり渋谷さんは難しい表情で何事か考え込んでいる。

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