17.頭を下げて感じないふりの右倣え


 典子さんには麻衣ちゃんが、柴田さんにはぼーさんが、香奈さんには綾子さんがとそれぞれ話を聞きに行き、綾子さんが香奈さんの方に話を聞きに行くならばと私は秘書である尾上さんに話を聞きに行った。
 すぐに居間で尾上さんの姿は見つけたものの、忙しそうにノートパソコンのキーを打っていた。
 私は躊躇ったが、気配に気付いたのか顔を上げた尾上さんとばっちり目があってしまった。ええい、ままよ。
「あの、お話伺ってもいいですか? 急ぎの用ではないので、今すぐじゃなくても大丈夫なんですけど……」
 おずおずと聞いた私に尾上さんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「……すみません。お言葉に甘えさせていただきます。あと少しで終わるので、待ってもらってもいいですか?」
「全然構わないですよ。分かりました」
 私は尾上さんに向かいのソファを勧められて、ひとまず腰掛けた。室内にはキーボードを叩く音と、テレビのニュースを読む声だけが響く。暫く手持ち無沙汰にテレビを眺めていると、終わりました、と尾上さんが言った。ノートパソコンを閉じる尾上さんに、私は早速聞き込みを開始した。
 引っ越しの前後に何かなかったか、例えば、お亡くなりになった方はいなかったかなど。
 尾上さんはうーんと考え込んだあと、特に思い当たる節はないですね、とにこやかに言った。
「そ、そうですか……」
 私は拍子抜けしたが、更に質問を重ねてみる。
「些細なことでもいいんです。なにかありませんでしたか?」
「特には、なかったと思います」
「引っ越しのあと、家の中で起きている可怪しいこと以外に、なにかありませんでした?」
 尾上さんは暫く思案したが、最終的にこれといって思い浮かぶことはありませんね、と私に告げた。
「そうですか……。分かりました。お忙しいところありがとうございます」
 私が頭を下げると、尾上さんは朗らかに笑った。
「いえいえ。何か私に協力出来ることがあれば言って下さいね」
「ありがとうございます」
 快く協力してくれた尾上さんにもう一度お礼を言って、私は居間をあとにした。


 ベースへ帰ると、ぼーさんと綾子さんはもう戻っていた。麻衣ちゃんもそれから少しして戻ってきたが、その表情は暗かった。
「おかえり。……大丈夫?」
「うん……」
 麻衣ちゃんは不格好な笑みを浮かべた。
「どっかで妙なもんでも見たか?」
 私同様香奈さんにも心当たりはなかった、と所長に細々と説明していた綾子さんの隣で話を聞いていたぼーさんがこちらを振り返る。
「びびった顔してんぜ」
「べつに。――それより、ぼーさんはどうだったの?」
 ぼーさんは肩を竦めた。
「心当たりは何もないとさ」
 勝ち誇ったように綾子さんが言う。
「やっぱり、引っ越し以後なんじゃない。だったら家よ。家か土地。でしょ?」
「それでは辻褄が合わないんだが……」
 所長は難しい顔で考え込んだ。
 綾子さんの言う通り家や土地に問題があるのであれば、以前ここに住んでいた人達も何かを目撃している筈だ。ならば、異常は森下家がこの家に持ち込んだのか? だとしたら前のお家でも何かあって然るべきだけど、尾上さん達に心当たりはない。
「……あのさあ? 子供が怪我をするとして、やたらと小さい怪我をして痣を造るのってどういう場合かな?」
「うーん、活発な子とか?」
 麻衣ちゃんが誰にともなく呟いた言葉を私が拾うと、渋谷さんは素気無く答えた。
「粗忽者なんだろう」
「じゃあ、その怪我は冬の間は腕にあって、夏になると腕から消えるのは?」
 ん?
「何の話だ」
 眉間に皺を寄せた私と同じく、所長も眉をひそめた。
「ええと……それってどういうことかなあ、と」
「長袖の間は腕に怪我をする。半袖になるとしなくなる――そういうことか?」
 麻衣ちゃんは歯切れ悪く答えた。
「うん……まあ……」
「何なの、その薄気味悪い謎々は」
 嫌がるように綾子さんが顔をしかめる。
 リンさんが訝しげな表情をして、作業の手を止めてこっちを見てきた。
「本来なら真っ先に怪我をしそうなのは露出した部分だ。それが逆転することは、日常生活の中ではあり得ない。誰かが故意に見えない場所に傷を負わせない限りは」
 ……まさか。私ははっと息を呑んだ。
「虐待……?」
「あの子が? 礼美ちゃんとかいう」
 私とぼーさんが反応すると、俯いた麻衣ちゃんが消え入りそうな声でうん、と頷いた。
「痣を見たのか?」
「ううん。……典子さんがそう言って心配してたの」
 なるほど、と所長は納得したように呟く。
「典子さんが何か言いたげにしていたのは、それか」
「それ――って」
「大層すぎると思ったんだ」
 猛然と顔を上げた麻衣ちゃんは、所長の言葉に呆気に取られた顔になった。
「ここで起こっている現象自体は、どれも些細で無害だ。いくら頻繁だとはいえ、大の大人がそれぞれに霊能者を探すという状況は変わっている。ましてや、過去に何かあったというわけでもないのに」
 たしかに、世間から見れば胡散臭い職業であろう祓い屋を頼るなんて、余程のことがない限り思いつきもしない気がする。
「それは俺も引っかかったんだよな。ここに良識ある大人が三人いるわけだろ。秘書を入れれば四人だ。異音に物体の移動、確かに気にはなるだろうさ。これで、この家で以前非業の死を遂げた人物がいるってんんなら、話は分かる。些細な異常と不幸な出来事を結びつけて、祟りだ呪いだと言いたくなるタイプの人間ってのはいるもんだし。ま、俺たちもお陰で飯が食えるわけだが」
 麻衣ちゃんはぼーさんにじと目を送った。
「ただ、別に不幸な出来事があったってわけじゃないんだろ? いくら妙だという気がしても、霊能者を探すほど気に病むもんかね?」
 うーん、おかしいとは思っても、いつまでも覚えてはいなさそうだ。
「たとえ気に病んだとしても、だ。良識を疑われそうで口にできないのが普通じゃないかね。笑われそうで言えないし、それ以前に認められない」
「香奈さんもそう言ってたじゃない」
 言ってたけどな、と綾子さんにぼーさんが同意する。
「それが、いよいよ無視できなくなって可怪しいと誰かが言い出す。拝み屋を呼ぼうという話になる――そこまでなら分かるんだ。ところが、互いに可怪しいって言い出してさ。てんでに拝み屋を探すわわけだろ、単にバッティングしただけなら二組を断りそうなもんなのに、わざわざ全員を一同に集める」
 ぼーさんの言葉に、渋谷さんも頷きを返した。
「明らかな危険はないし、差し迫った不安を感じているわけではない、と言う。にも関わらず、ぜひとも調査をしてほしい、と言う。怖くて堪らないというより、とにかく他人を家の中に入れたがっている感じだった」
「……香奈さんは陰謀説よ」
 出し抜けにそう口にした綾子さんを、みんなで振り返った。

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