16.あの箱庭の野薔薇に告ぐ


 渋谷さんの視線の先にある一廻り大きい主モニターには、礼美ちゃんの部屋と祭壇の前に立つ綾子さんの姿が映っている。その後ろ側には神妙な顔をした香奈さんに尾上さん。典子さんと礼美ちゃん、柴田さんの姿があった。
 モニターのスピーカーからはすらすらと淀みなく祝詞を唱える綾子さんの声が聞こえてくる。
「つつしんでかんじょうたてまつる、みやしろなきこのところに、こうりんちんざしたまいて……」
 祭壇を見る限りそうだと思ったが、綾子さんは神道系の巫女か。
「効果、あるのかな」
 麻衣ちゃんの呟きに、リンさんと入れ替わりにソファーに横になったぼーさんが答える。
「あいつ、偉そうなだけで役に立たねえからなあ」
 うわあ、辛辣。確かに共闘しようって持ちかけた割には一人だけさっさと寝ちゃって、女王様タイプだなと思ったけど。なにもそこまで言わなくたって。
 なんだろう。同族嫌悪とか? 霊能者同士って実は折り合い悪いのかな。龍さんと秋音ちゃんの二人しか知らないから分かんないや。でもめちゃくちゃ秋音ちゃんは龍さんを尊敬してるし、仲も良好だよね。
「はーい」
 もやもやしていると、ドアをノックする音が聞こえて近くにいた私は書斎のドアを開けた。
 ――近くで、小さく息を呑む音が聞こえた気がした。
「曾根だが」
 見知らぬおじいさんは端的にそう名乗ると、今朝奥さんに来るように言われたんだが、とぶっきらぼうに続けた。
 曾根さんといえば、庭木の手入れをしている人のことだったよね。
「香奈さんにお願いして呼んでいただいたのは僕です。曾根さんにお聞きしたいことがあったので」
 所長がソファーを勧めるも、曾根さんはそれを聞き入れなかった。しかし所長は動じることなく簡単に自己紹介を済ませると、質問を開始する。
「曽根さんは、この家の世話をなさって長いとか」
 様変わりした書斎の中をどこか不審そうにじろじろと眺めていた曽根さんは、無言で頷いた。
「以前の持ち主……十和田さんや、それ以前の方から、この家で不審な物音を聞いたとか、妙なことが起こるという話を耳にされたことはありませんか」
「いいや。……あれはなんだい」
 言いながら、設置しているモニターたちを怪訝そうに指差す。
「森下さんから、家が可怪しいと訴えがあったので」
「家が、可怪しい?」
 曾根さんは繰り返して、尾上くんが妙なことを訊いてきたのはそういうわけかい、と納得したように顎を引いた。でしょう、と所長が同意を示し、再度異常なことを眼にしたり経験したことはないかたずねるも、曾根さんは短く否定した。
「では、以前この家で事件や事故があったという話を聞いたことは?」
 曾根さんは少しの間無言で渋谷さんを見つめたが、首を振る。
「あれは、お祓いかい? お祓いを頼むほど、この家の人たちは困っていなさるのかい」
「そのようです」
「何が起こってるんだ?」
「異常な音がする、勝手に物が動くという訴えをなさっています」
「それだけ?」
「それだけですが、頻度を規模も気のせいや思い過ごしの範囲を超えているので」
 曾根さんの話では十和田さんの前に住んでいたのは大沼さんという一家で、それよりも以前は曾根さんもこの家の世話を任されてはおらず持ち主は分からないが、賃貸だったそうだ。
 そういえばこの家は戦前に建てられたって典子さんが言ってたな。
 曾根さんはこのあたりの生まれで、物心ついた頃には既にこの家があったらしい。子供の頃の同級生がこの家に住んでいて、ひょっとしたら立花さんというその同級生一家がこの家を建てたのかもしれないとのことだ。
 所長がこの家の良くない噂を耳にしたことはないか聞くと、曾根さんは俺よりも近所の人に聞いてみたらどうだい、と口許を歪める。
「噂なんてない、とみんな言うだろうよ」
「そのようですね」
 妙な出来事が起こる理由に何か心当たりはありませんか、と問いかけた渋谷さんに、いいや、と曾根さんはきっぱり否定した。
「どうしてなのか、さっぱり分からない」
 所長は静かに曾根さんの顔を見て、徐に口を開いた。
「わざわざ来ていただいて、ありがとうございました。場合によってはまたお話を伺うことがあるかもしれません」
 無言で頷き、ベースから去っていこうとした曾根さんを、やや緊張を孕んだ声で麻衣ちゃんが呼び止めた。
「あのう……さっき、表にいらっしゃいましたよね?」
 え? ……もしかしてさっき生け垣の向こうから家を覗いてた誰かの正体は、曾根さん?
「道から中を見てらっしゃったでしょう?」
 曾根さんは肯定するように頷いた。
「奥さんに呼ばれたからね。来てみたら見慣れない車が停まっていた。客があるなら呼ばれるはずがないから、何事だろうと思っただけだよ」
「でも、敷地には入らずに坂の上の方へ歩いて行かれました」
 硬い表情で質問を重ねる麻衣ちゃんに、曾根さんは苦笑を浮かべた。
「上のほうに裏門があるんだよ。俺は客じゃないから表門は使わない。裏口や道具小屋にはあっちのほうが近いしな。ちょうど籔を透かしたかったんで、小屋に寄って人働きしてからここに来たんだ」
 そうですか、と頭を下げた麻衣ちゃんに頷いて今度こそ曾根さんは去っていった。
「麻衣ちゃん……もしかして」
「うん」
 私達は顔を見合わせる。渋谷さんは問うような視線を麻衣ちゃんに向けた。
「あのね、ナル。曾根さん、生け垣に隠れて中を覗いてたの。……それでなんだか、礼美ちゃんを見ているみたいだった」


◇ ◆ ◇



 祈祷を終えた綾子さんがベースに戻ってきた。
「どうも得体の知れない話ねえ……」
 私服に着替えて一仕事終えたとばかりに晴れやかな顔でソファーにどさりと腰掛けている。
「自分が出入りしてる家なんだから、物陰から覗く必要なんてないじゃない」
「そうですよねえ……」
 うーんと首を捻る私に、麻衣ちゃんも頷いた。
「だよねえ?」
「でも、それとポルターガイストは無関係でしょ。ポルターガイストはあたしが祓ったし、もう問題ないわよ」
 えらい自信満々だが、綾子さんは何か手応えでも感じたんだろうか。
 でもぼーさんは笑い含みに本当に祓えてるのかねえ? と横槍を入れた。
「どういう意味よ」
 当たり前だがむっとする綾子さんに、ぼーさんは曾根さんから聞いた話を引き合いに出した。
「お前さんは地霊を祓ったわけだろ? けど、以前に住んでた十和田家でもその前に住んでた大沼家でも、妙なことは何もなかった。てことは、これは家や土地に憑いた現象じゃないって話なんじゃないか?」
 だろ、とぼーさんは渋谷さんに同意を求める。すると所長は浮かない顔で頷いた。
「そういうことになるだろうな。『幽霊屋敷』は特定の場所に長く同一の幽霊現象が発現する現象だ。家、または土地に問題があった場合、森下家以上に長い期間、同じ場所で過ごしていた家族に何の異常事もなかったということは考えにくい」
「それは才能の問題なんじゃないの?」
 首を傾げる私達に、霊感のあるなしの問題ってこと。十和田家も大沼家の住人の人たちは鈍くて気づかなかった、もしくは心霊現象を信じていなくて妙なことが起きても気にしなかったんじゃないか、と綾子さんは持論を語る。
 でも昨日の斜めに傾いた家具や、全ての家具がひっくり返った居間はいくら鈍くてもさすがに無視できるものではないと思うけれど。
「夕べのあれが、無視できる程度?」
 麻衣ちゃんが疑問を口にすると綾子さんは嫌そうに顔をしかめた。
「あれは……」
「何をもって霊感と言うかによるだろう」
 霊姿の目撃は相手を選ぶ傾向があるが、ポルターガイストは対象者を選ばないし、今現在も対象者を選んでいる様子がない。この家が幽霊屋敷ならば大なり小なり異常が目撃されていて当然だが、それがないということは土地や建物のせいではない。典子さん達の証言によれば異常が起こり始めたのは引っ越しからだ。ということは森下家がここにそれを持ち込んだ。
 鬱陶しそうにそう述べた所長を、綾子さんは鼻で笑う。
「それこそ妙な話じゃない。森下家に原因があるんならここに引っ越してきてから、っていうのが分からない。前の家でも同じようなことが起こっていて当然でしょ?」
「RSPKなんじゃねえの?」
 ぼーさんが二人のやりとりに口を挟んだ。
「だから、だったら前の家でも……」
「引っ越してから、ストレスが増えたのかもしれないだろ。環境が変わった、家の雰囲気に呑まれた、あるいは、兄ちゃんがいなくなって女ばかりになった。それがきっかけになってポルターガイストが発動した」
 ぼーさんの言葉にも所長は釈然としない様子だ。
「そう考えるにしても難しい。そもそも異常事のほとんどは無害で些細だったんだ。昨夜のポルターガイストは規模こそ大きかったが、積極的な被害は起こっていないし、昨夜もこれまでも被害が集中するフォーカス――焦点人物もいない。第一、エイジェントに該当する人物がいない。礼美ちゃんは幼なすぎるし、典子さん香奈さんは大人すぎる。以前同居していた柴田さんは家を出てしまっているし、彼女が出てからも異常事は続いている」
「男性陣は?」
「仁さん、尾上さん、それに曾根さん。全員が現在家に住んではいないし、年齢的にも高すぎる。RSPKの常識から言えばあり得ない。もしもこの中に犯人がいたら、極めて珍しい事例と言えるだろうな」
 ふうむ、とぼーさんは唸る。
「そうだ。あれはやってみないの? 暗示にかけるやつ」
 旧校舎の調査の時にやったという暗示実験のことかな。RSPKの場合、関係者に暗示をかけるとその通りのことが起きるらしい。
「ポルターガイストがRSPKである可能性は半分程度だ。ぼーさんお得意の地縛霊とやらの可能性もあるし、松崎さんお気に入りの地霊とやらの可能性もある。霊的な現象の場合、住人に暗示をかけようとすると、霊がその現象を起こしてしまうことがある」
 なるほど。やっぱり幽霊ってどことなく悪戯っ子っぽいというか、目立ちたがりやだな。にしても渋谷さんは隅々までよく考えてる。
「暗示実験を行って、結果、何も起こらなければRSPKの可能性は除外できる。だが、暗示実験通りの結果になれば何も証明されない。少なくとも霊的な現象ではないという傍証ぐらいは得られないと実験をする気がない」
 あらそう、と気抜けした声を上げた綾子さんは所長が次に続けた言葉で顔色を明るくした。
「ただ、松崎さんの言うことにも一理ある」
「あたし?」
「森下家が持ち込んだものなら、以前の家でも同様の現象が起こっているのが自然なんだ。ひょっとしたら、引っ越しの前後に何か原因になるようなことがあったのかもしれない」
 所長は考え込むように顎に手を当てて、口を開く。
「その頃には何か特別なことがなかったか、家族に尋ねてみるべきだろう。それぞれ依頼者に訊いてみてくれ」

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